滅びの美学♪三国志♪孫呉編Vol.2♪江東の虎♪孫堅
仁義の人、劉備(りゅう び 161−223年)とその義兄弟関羽(かん う ?−219年)、張飛 (ちょう ひ ?−221年)、そして、趙雲(ちょう うん ?−229年)、諸葛亮(しょかつ りょう 181−234年)といった忠臣たちが建国した蜀漢が滅んでいくさまを時系列に描いた時代小説『三国 志演義』はいうまでもなく、紀伝体の史書『正史三国志(、「魏書」30巻(「本紀」4巻、「列伝」2 6巻)、「蜀書」15巻、「呉書」20巻、計65巻)※1)』に目を通してみても、そう思う人は少な くはないでしょう。 そこで、しばらくの間、三国志の登場人物それぞれにみられる“滅びの美学”について、 曹魏(書庫『大好き!史記&三国志(赤壁)』→ http://blogs.yahoo.co.jp/atori25/folder/984622.html) 蜀漢(書庫:三国志蜀漢特集 → http://blogs.yahoo.co.jp/atori25/folder/1041756.html) 孫呉(書庫:三国志孫呉特集 → http://blogs.yahoo.co.jp/atori25/folder/1041755.html) 国別に分けて紹介させていただこうと思います。 さて、孫呉編Vol.2の今回は、
でおなじみ、「孫堅」について、お話させていただきます。 孫堅(そん けん、155年または156年 – 191年または192年)、字は文台、呉郡富春県(現在 の浙江省杭州市富陽県)の人。 三国時代に成立した呉の皇帝、孫権の父にあたります。廟号は始祖、諡は武烈皇帝。 彼の生没年については諸説があり、ただ享年37歳であったことから155年−191年もしくは15 6年−192年だったと思われます。 例えば、正史三国志では192年没とされておりますが、正史に注釈をつけた裴松之(はいしょうし 3 72年−451年)の説によれば長子孫策の享年(200年、26歳で暗殺)から逆算すると孫策17歳 の年、つまり191年に横死したということになります。 「勇敢にして剛毅であり、己の力のみを頼りとして身を立て、張温に董卓を討つ事を薦め、董卓によって 暴かれた洛陽の山陵を修復した。忠義と勇壮さを備えた烈士である。」 とは、正史三国志を著した陳寿の孫堅評です。 また、孫堅は、裴松之により、 「同時代、義をもって立った人々(反董卓連合の群雄)の中で、最も忠烈の志があった。」 とも評されました。 『陽人の戦い(191年)』で、都尉“華雄”を斬り、董卓軍を破った“江東の虎”孫堅。。。 彼は、董卓(とう たく ?−192年)をして、 『二袁児を倒せば、中国全土を支配できる』 といわしめた四世三公の二袁、袁紹(劉表―曹操)と袁術(公孫瓚(劉備)−孫堅(孫策))が、後漢に とって変わろうとする中、漢室匡輔※2)を貫き通しました。 ところで、
といわれる小説三国志演義。。。 そこで、描かれた孫堅は、董卓によって暴かれた洛陽の廟を修復するものの、宮中の古井戸に身を投げた 貴人の遺体から印璽を発見し、その後、自軍の宿将、程普(てい ふ ?−?年)の言葉により、それが伝国 璽だと判明すると、彼は野心を胸に抱き、玉璽を隠匿してしまいます。 そして、それが結局、反董卓連合の崩壊に繋がったとされているのです。 たしかに、こうした逸話は他にもみられます。 呉書が注にひく、『江表伝(記載範囲は孫堅から孫皓の治世、既に散逸)』にも、そうした記述がありま した。しかし、その注釈をつけた裴松之は、こうもいっています。 『もし、孫堅が、伝国璽を手に入れたなら世に公表したであろうし、そうであるなら、それは孫家に伝わ っているはずである。忠烈の士である孫堅にとっては、こうした宝は秘匿してよいはずがなく、従って、 こうした事実はなかった。』 ただ、その真偽は明らかでないにせよ、もし、孫堅が玉璽を隠匿したとするならば、漢室匡輔を旗印とし ながらも、なかなか戦おうとしなかった反董卓連合(盟主 袁紹)の群雄たちの中に信用できる者はいな いと彼が判断したからかもしれませんね。 孫堅の死後、その軍勢は、袁術に吸収されますが、孫堅の貫き通した信念−“漢室匡輔”は、その息子 たちに受け継がれました。 それが、やがて、彼の長子“小覇王孫策”が袁術と決別する正当性を支えることとなったのです。 そして、孫堅のもうひとつの遺産は、孫氏を支える軍事基盤です。 彼の戦死を境に、袁術に吸収され、求心力を失っていたはずの孫堅軍。。 それでも、その逆境の中、程普、黄蓋、韓当、祖茂、朱治、呉景、孫河(孫堅の族子)などの武将達は孫 堅軍崩壊後も、“漢室匡輔”を旗印とした孫氏への忠義を貫きました。 彼らはその後、曹操と戦った『赤壁の戦い(208年)』でもその孫呉軍の主力でありつづけ、勇猛果敢 な軍隊を鍛え上げていったのでした。 『悪党といわれてきた者は本当に悪党なのだろうか 善玉と呼ばれてきた者は本当に善玉なのだろうか 歴史は善と悪だけでわりきれるものではない。』
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村ポチ^^
ゲームで遊ぶなら孫堅なんですけどね^^
曹操は強すぎるし、劉備は武将が少なすぎるし^^
2012/2/23(木) 午後 3:45
孫堅は、最期が最期だから、勇気があっても
単純。
猪突猛進ってイメージがありますね。
戦死しなければ、その後歴史が大きく変わったかも。ぽち
2012/2/23(木) 午後 4:54
こんばんわ。
こっそり、曹仁登場していますね。
最初は口ひげだけだったんだ。
あごひげがない!
まだ23,4ですものね。
ポチ。
2012/2/23(木) 午後 8:25 [ nanapika ]
こんばんは
今日は応援のみで失礼します
ごめんなさい
ポチ
2012/2/23(木) 午後 10:41 [ him*tu*an*ko ]
おはようございます。
金曜日。今日も無事に1日が過ごせますように。
本日の凸ポチッ☆と。
お身体ご自愛下さい。
2012/2/24(金) 午前 10:36
シルバーナイトさん
たしかに、そうかも。。
孫堅軍には孫堅四天王がいますし、息子の孫策もいいですよね。
凌統とか、甘寧はもちょっとあとですけど。。。
2012/2/26(日) 午前 1:47
朧月夜さん
こんばんは。
たしかに、孫策もそうでしたけど、物事を性急に進めすぎてましたよね。
でも陽人の戦いで、董卓軍をけちらしてしまうあたり。。
やはりすごいと思ってしまいます。
2012/2/26(日) 午前 1:49
nanapika さん
ばれましたか?曹純が騎兵隊を率いるまでは、騎兵隊は曹仁が仕切っていましたから、官渡くらいまでは、曹仁がよく先鋒をつとめています。
確かに口ひげのみですよね。どのあたりからあごひげがプラスされるのか、確認してみますね♪
2012/2/26(日) 午前 1:52
him*tu*an*koさん
ご訪問&ぽちありがとうございました。
2012/2/26(日) 午前 1:53
光照苑さん
お忙しい中ご訪問&ぽちありがとうございました。
2012/2/26(日) 午前 1:55