自分自身がついていけない理由を最初に結論をだすと以下の二つと思われる。
・自分自身が沖縄復帰についてあまり知らない
・自分の青森という土地に根付いたアイデンティティ
【一つ目の「自分自身が沖縄復帰についてあまり知らない」について】
コラムの引用
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▼自身を含め、60年代後半から71年に生まれた人たちのほとんどがそうではないか。復帰前の「アメリカ世」も知らないが「復帰っ子」でもない。復帰を語る時に自分がどこに立っているのか、戸惑ったこともある
▼正直なところ、沖縄戦と比べて復帰について学ぶ機会は少なかったように思う。復帰後の生活が当たり前だった世代にとって、復帰を意識する場面は少なく、復帰は近いようで遠い存在だったのかもしれない
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まさに上記の引用部分の復帰についての学習はその通り。平和学習は沖縄では良くされているのだが、復帰に関しては実はあまり知らない。今回40年ということで自分も復帰に関心を持つようになったのだが、関心を持つほど復帰に関する自分の無知さに気づかされ、沖縄に居るのに自分はこんなことも知らなかったのかと思い知らされる。このコラムを書いた人は復帰前生まれだが、この方が「復帰を語るときにどの立ち位置にいるのか戸惑っている」と思っているのだから、現代の若い人も戸惑っているのではないだろうか。もう自分は戸惑いまくりだ。
(いや、今日の琉球新報で沖縄の若い人が復帰の日をあまり知らないという記事があったので、むしろ復帰に関心をもっている沖縄の若い人は少数派なのではないだろうかと思ったり)
【二つ目の「自分の青森という土地に根付いたアイデンティティ」について】
自分が復帰を語ると自分の出生の話もしなくてはならない気がする。父は山形の血と母は沖縄の血、そして自分の産まれが青森県三沢市、育ちの部分ではもう沖縄の方が長くなってしまった。父の転勤で沖縄に15年前引っ越した。勘がいい方は父が何の仕事をしていたか分かると思う。
自分は育ちに関して沖縄の方が長くなったのだが、実は、ふるさとは青森という意識が強く根っこがある。なんというか、土地に根付いたアイデンティティは青森県三沢市の方が強い。もしかしたら、復帰に対していまいち沖縄の世論(新聞など)と感情を共有できないのは自分自身の土地に根付いたアイデンティティがあるのだからなのかと推測する。
沖縄と青森の間で自分のアイデンティティは揺れ動く。青森の旧友と連絡をとることがもうなくなってしまった(正確にはFacebookで一人と連絡取れた) それでも青森には帰りたいといつでも思う。
しかしながら、このアイデンティティがあるからこそ、自分は沖縄の問題を広い視野で見ることができるのではないのかと思う。
ふぅ・・・・。けっこう推敲したけど、伝わるように努力はしたんですが書きなぐったような稚拙な文章ですね。ここまで読んでくれた方、読んでくれてありがとうございます。あ、、ブログに同期させよう。
今日ぐらいは色んな問題は置いといて、復帰40年を素直に喜びたいですね。もしかしたら、復帰をしなかったら自分は産まれてこなかったかもしれないのだから。