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私に仏教は必要か・宮沢賢治の仏教を考える
仏教の変遷と作品から見る賢治の仏教 考

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今現在、原始仏教(初期仏教、釈迦仏教)を実践している人間はいないはずである。

わが修行の道こそがお釈迦様の道(原始仏教・初期仏教)であると主張する教団・指導者が存在するようだが、それらの教団・指導者の間では、お釈迦様が何を指導されたのかということ一つでさえも意見の一致を見ていない。

あるものは「人は『仏』になれる」と主張し、あるものは「人は『阿羅漢』にはなれるが『仏』にはなれない」と主張している。
あるいは、大乗だの、小乗だのと非難しあっている。

仏教の起源を学問として研究している方々の意見も分かれているようである。

当ブログは、こういう問題を大雑把に扱っている。
なぜなら、私にとって大事なことは、仏教指導者の意見が一致することでも、学問的に結論が出ることでもなく、私の苦しみを実際に和らげたり、消滅させてくれることなのである。

2500年前ごろに、お釈迦様が実際に体験し、そのご自分の体験を踏まえて、このようにすればお前たちは苦を消滅させることができるのだよ、と言って指導し、実際に苦を消滅させたような、ご自分の体験を踏まえた修行法を知りたいのである。

スッタニパータ「第三 大いなる章 二, つとめはげむこと」に次のような記述がある。(中村元訳「ブッダのことば スッタニパータ」岩波文庫)

     +++++ ○ +++++

Sn425 ネーランジャラー河の畔ホトリにあって、安穏を得るために、つとめはげみ専心し、努力して瞑想していたわたくしに、
Sn426 (悪魔)ナムチはいたわりのことばを発しつつ近づいてきて、言った、あなたは痩せていて、顔色も悪い。あなたの死が近づいた。
Sn427 あなたが死なないで生きられる見込みは、千に一つの割合だ。きみよ、生きよ。生きたほうがよい。命があってこそ諸々の善行をもなすこともできるのだ。
Sn428 あなたがヴェーダ学生としての清らかな行いをなし、聖火に供物をささげてこそ、多くの功徳を積むことができる。(苦行に)つとめはげんだところで、何になろうか。
Sn429 つとめはげむ道は、行きがたく、行いがたく、達しがたい。」
この詩を唱えて、悪魔は目ざめた人(ブッダ)の側に立っていた。
Sn430 かの悪魔がこのように語ったときに、尊師(ブッダ)は次のように告げた。──
「怠け者の親族よ、悪しき者よ。汝は(世間の)善業を求めてここに来たのだが、
Sn431 わたしにはその(世間の)善業を求める必要は微塵もない。悪魔は善業の功徳を求める人々にこそ語るがよい。

Sn441 或る修行者たち・バラモンどもは、この(汝の軍隊)のうちに埋没してしまって、姿が見えない。そうして徳行ある人々の行く道をも知っていない。
Sn442 軍勢が四方を包囲し、悪魔が象に乗ったのを見たからには、わたくしは立ち迎えてかれらと戦おう。わたくしをこの場所から退シリゾけることなかれ。
Sn443 神々も世間の人々も汝の軍勢を破り得ないが、わたくしは智慧の力で汝の軍勢をうち破る。──焼いてない生の土鉢を石で砕くように。
Sn444 みずから思いを制し、よく念オモい(注意)を確立し、国から国へと遍歴しよう。──教えを聞く人々をひろく導きながら。
Sn445 かれらは、無欲となったわたくしの教えを実行しつつ、怠ることなく、専心している。そこに行けば憂ウレえることのない境地に、かれらは赴くであろう。」

     +++++ ○ +++++

この経の悪魔が言っていることは、悪魔らしくない内容である。
私たちに悪魔が囁く時は、いわゆる悪いこと(悪行)をやれと唆す。

しかし、この悪魔が勧めているのはお釈迦様当時のインドにおける、いわゆる常識的な生き方であって、決して悪事(悪行)をやれとけしかけているのではない。

それは、よりよい来世(輪廻の信仰)を目指すために善業を積む作業である。

CiNiiの論文を読むと、今でもテーラヴァーダ諸国(タイ・ミャンマー・スリランカなど)の在家の人々は、素朴に輪廻を信じ、よりよい来世を願い、本気で功徳を積もうとしているそうだ。

悪魔ナムチが勧めているのは、そういう善いことを行う(功徳を積み、善業を積み上げる)ためには、人として生きていることが最適なのだということである。

「成就できるか否か甚だ難しい修行(つとめはげみ)に身命をすり減らして死んでしまっては、功徳を積めないぞ。」
「積んだ功徳が少なければ、悪所(三悪道)に堕ちかねないぞ。」と脅しているとも考えられる。

スリランカのある村の人たち(在家)のほとんどは、涅槃の成就などは何度も何度も生まれ変わらなければ達成できないと考えているそうだ(その調査によれば、村人たちの多くは、正しい涅槃の知識すら持っていないそうだ)。
 *「シンハラ仏教徒の再生観について」大岩 碩
 *シンハラとは、スリランカ人の民族名で大方が仏教徒。他に、南インド由来のタミル人(ヒンドゥ教徒)という少数民族がいる。

そう勧める悪魔に対してお釈迦様は力強く次のように宣言した。

「Sn431 わたしにはその(世間の)善業を求める必要は微塵もない。悪魔は善業の功徳を求める人々にこそ語るがよい。」

「Sn443 神々も世間の人々も汝の軍勢を破り得ないが、わたくしは智慧の力で汝の軍勢をうち破る。──焼いてない生の土鉢を石で砕くように。
Sn444 みずから思いを制し、よく念オモい(注意)を確立し、国から国へと遍歴しよう。──教えを聞く人々をひろく導きながら。
Sn445 かれらは、無欲となったわたくしの教えを実行しつつ、怠ることなく、専心している。そこに行けば憂ウレえることのない境地に、かれらは赴くであろう。」

この文章を読めば、悪魔の軍勢の正体を想像できる。
悪魔の軍勢とは、無明(無知・渇愛・妄想)の譬えである。

また、443の詩句にある「智慧」とは、涅槃を成就する際に獲得する明知であり、私たちの智慧とは全く異なるものだと考えられる。
この智慧を獲得するためにお釈迦様が指導された修行法を実践するのである。

言い換えれば、いくら経典を読んで、哲学しても、思索しても、熟考してもこの智慧(明知)は生じないと考えられる。

只一つの方法は、お釈迦様の修行法なのである。
私の場合は、ルアンポル・ティエン師の瞑想法が最も可能性のある修行法だと思い実践している。

このように、原始仏教(初期仏教)では(私の勉強から推理すると)、出家と在家では、全く異なる道を歩んでいることになる(Sn431)。

お釈迦様の教えが世にでるまでは、「ヴェーダ学生としての清らかな行いをなし、聖火に供物をささげてこそ、多くの功徳を積むことができる。」とされていたのだ。
これは天の神々の世界を目指す道である。

これに対してお釈迦様は在家の生活一切を放擲し捨てて、出家となり、「(苦行に)つとめはげんだ」のである。
これは解脱・涅槃を目指す道である。

今は、お釈迦様が輪廻の実在を認めたか否かという議論をいまは行わない。

言えることは、お釈迦様が、世間の人たちは輪廻を信じ、少なくとも次の生で三悪道に落ちることは避けようとしていたことを認めていることである。

もう一つ問題になるのが、在家(つまりお釈迦様に帰依した仏教徒)は、どっちの道を歩んだのかということである。

この問題は次回考える。


閉じるコメント(68)

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    釈迦の説いた修行法は、まず、聞いて、考えて、理解する、ということですよね。

    そして、実践する。

    聞思修と言われますよね。

    さらに、実践した結果を元に、また聞いて、考えて、理解して、実践する、その繰り返しですよね。

    そして、実践方法についても、まず、聞かなければならない。

    だから、経典を読み、僧侶の解説を聞き、そして、学者の解説も参考にする、ということですよね。

    釈迦の手法が何だったのか、そこには、確たる証拠がありません。

    それはつまり、初期仏教の実践者がいない、とも断言できない、ということになりますよね。

    初期経典に完全に忠実な修行者はいるだろうか、ということなら、世界中を調べれば、断定できるかもしれませんが、それは、大変な労力を必要とするでしょうし、それが分かったとしても、それほど重要なことではない、と思えますね。

    [ mag**iok ]

    2010/5/25(火) 午後 5:32

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    誰かの手法を見て、その方法では、悟りの達成は無理だろう、と推察することは、可能ですよね。

    そして、いろいろ調べて、この手法なら、悟りは可能だと思える、というものを選択する、ということですよね。

    みな、そういう思考過程を経ていると思っています。

    だから、その人にとっては、それが、これなら可能だと思えた、ということですよね。

    [ mag**iok ]

    2010/5/25(火) 午後 5:39

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    なお、釈迦は、苦しみが嫌だった、それを終滅したかった、だから、周囲の反対にもかかわらず、王子としての地位も、妻子も捨てて、29歳で夜逃げ同然に出家したのですよね。

    つまり、釈迦にとっては、この世で苦しみを終滅することが目的ですから、来世に、よきところに生まれたい、そのために、在家として功徳を積む、ということでは、この世で苦しみを終滅できませんから、在家として功徳を積む、従来の世俗の善業を積む行為には、興味がない、ということですよね。

    [ mag**iok ]

    2010/5/25(火) 午後 5:53

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    釈迦は、解脱目指して、一世一代の賭けに出た、不退転の決意で臨んだ、ということだと思います。

    [ mag**iok ]

    2010/5/25(火) 午後 6:02

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    コメント有り難うございます。

    この記事は、前々回の「当ブログの主要課題の一部変更について」、前回の「賑やかになった原始仏教サブカテゴリー」の続きです。

    CiNiiやJAIROの論文を読んで針路変更を決断した私の事情を語っています。

    何気なく読んだ、刈谷定彦さんの「出家とは何か --大乗仏教の起源をめぐって--」で、何かもやもやが吹っ切れた気がしました。

    今までは出家でもない在家でもない道を勝手に決め込んでいたのですが、それが間違いだと気づいたのです。

    [ avaro76 ]

    2010/5/25(火) 午後 10:41

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    私は仏典はパーリ仏典を採用しています。修行法もテーラヴァーダ仏教系のものを参考にしています。

    よく考えてみれば、ブッダダーサ師とルアンポル・ティエン師以外は、恐らく、正統のテーラヴァーダ仏教の修行法を厳守していると思います。

    テーラヴァーダ仏教はまさしく出家主義だと思います。
    このことは今までもネットの情報と何冊かの本で承知していたのですが、ミャンマーやタイの瞑想センターの存在から、出家しなくても修行は可能なのかなと漠然と考えていました。

    しかし、テーラヴァーダ仏教が説く涅槃・解脱は出家が不可欠でしょう。
    清浄道論の修行法は、こうして介護を行いながら、他にも親族についてやらねばならぬ状況では、とても難しい。

    [ avaro76 ]

    2010/5/25(火) 午後 10:55

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    趣味や哲学として原始仏教に親しむならば、今までどおりでやれるのですが、少なくとも苦の止滅を目指すというのなら、自分は何を目指し、どこまでやれるのかをしっかり考え直す必要があると分かったのです。

    ようするに、avaroの修行計画書を作成する必要があるということです。

    本気で涅槃達成を目指すなら、無所有を覚悟しなければなりません。
    そのほかにもいろいろ決断しなければならないことがあります。

    しかし、私は出家は恐らく死ぬまで不可能でしょう。

    どうしても私専用の修行プログラムが必要なのです。

    [ avaro76 ]

    2010/5/25(火) 午後 11:02

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    いろいろな角度から、検討をして、現代生活に適応できる目標を経典などから選び出し、私に可能は修行法を決める、というこれだけでも途方もない大風呂敷です。

    楽しみながら作業を進めます。

    お付き合いいただければ幸いです。

    なお、本日頂いたコメントは大いに参考にさせていただきます。

    よろしくお願いします。

    [ avaro76 ]

    2010/5/25(火) 午後 11:08

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    ティエン師は、在家でも悟れる、と主張しているように私は感じています。


    avaさんは、そこにも共感されていたのではないでしょうか。

    avaさんは、ティエン師の手法で間違いない、ということを自分に言い聞かせたくて、他の手法の間違いを探している、というふうに私の目に映ります。

    そして、それは私にも当てはまることで、私は、初期経典の正しさを確認したくて、他の宗派の教義も学んでいる、という感じです。

    他の宗派の教義を学ぶと、そこに初期経典の痕跡が見て取れます。初期経典がどのように変容していったか、という様子が見れます。それが分かると、自分としては、安心して、初期経典に立ち戻れる、という感じです。

    [ mag**iok ]

    2010/5/26(水) 午前 5:39

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    <ティエン師は、在家でも悟れる、と主張しているように私は感じています。>
    テキストにはっきりと書いてあります。

    <avaさんは、ティエン師の手法で間違いない、ということを自分に言い聞かせたくて>
    そう感じるのであれば、そうなんでしょうね。
    ところで、物事はあらゆる角度から見る必要があると思いませんか。
    例えば、スリランカには一種のカースト制度が存在して、最大セクトのシャム派には、ゴイガマというスリランカの最上位カーストしか出家できない(受け入れてくれない)そうです。橘堂正弘「スリランカ仏教教団のカースト問題」
    起源は不明です。このことを認識してスリランカ仏教に対する場合と知らずに対する場合では、何か違いがありませんか。

    [ avaro76 ]

    2010/5/26(水) 午前 7:56

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    また、以前の論点に戻っています。

    なぜ、avaさんが、そこにそれほど拘るのか、ちょっと不思議です。

    私は、スリランカの教団に入信するつもりで、その僧侶の言葉を聞いているのではありません。

    現存最古と言われるパーリ経典を現代に伝えてきた教団の僧侶の説法の中に、釈迦の直説が残されているはずである、という視点で、それを、自らの理性で検討しながら、取捨選択する、というのが私の立場です。

    だから、スリランカの教団の中に、身分差別をしているものがあるとしたら、そのような身分差別は参考にしません。なぜなら、それがパーリ経典に反しているのは明白だからです。

    でも、身分差別をしているような教団であっても、それが、歴史が古く、そしてパーリ経典に依拠している、ということであるなら、そこで、どんなことが語られているか、興味があります。それを、鵜呑みにすることなく、自らの理性で判断して、釈迦の直説を推察するための参考とするでしょう。

    [ mag**iok ]

    2010/5/26(水) 午前 10:09

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    また、スリランカの僧の言うことに共感して、その教団に入信したとして、実は、その正体が、身分差別をするような教団だった、ということが分かったら、それ以後は、そのような教団に従うことはしないでしょう。

    それが、理性で行動する、ということですよね。

    avaさんは、自分の理性に自信がない、ということでしょうか。

    [ mag**iok ]

    2010/5/26(水) 午前 10:11

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    その正体が悪の組織たる教団に他者が騙されているのは、見過ごせない、という心情は理解できます。

    でも、どうやったら騙されないようになるか、となると、誰にも頼らずに自分で考えてやる、ということになるでしょう。

    しかし、それができないから、先人が説いたことを学んでいるのですよね。

    だから、騙されないように、鵜呑みにすることなく、自らの理性をフルに使って、他者の教えを参考にする、というのが有効である、ということになりますよね。

    [ mag**iok ]

    2010/5/26(水) 午前 10:18

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    スリランカの仏教は、完全なのでしょうか、とテーラワーダの僧侶に質問した人がいました。

    それに対しては、「人がやることだから、完全ということは、なかなか難しい。表向きは、涅槃に至ることが大事である、と言っていながら、実際には、本気でそれを目指していない人も多い。しかし、スリランカでは、それを批判して、強制的に改めさせようとはしない。あくまで自主性を尊重する。ただ、大きく道に外れたり、儀式に凝りだしたりすると、非難されたり、一時的にそれが流行っても最終的には民衆から見向きをされなくなる」というようなことを回答していました。

    スリランカの仏教も、問題を抱えている、と私は認識しています。

    [ mag**iok ]

    2010/5/26(水) 午前 10:34

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    <avaさんは、ティエン師の手法で間違いない、ということを自分に言い聞かせたくて、他の手法の間違いを探している、というふうに私の目に映ります。>
    という憶測をコメントされたので、その憶測は見当違いですよと申し上げました。
    このページの記事をもう一度読み直してください。
    私は、自分が経典・その解釈・修行法などあらゆる面でテーラヴァーダ仏教の伝統を参照して勉強しているからこそ、テーラヴァーダ仏教の実態をもっと知って、自分の道を策定しようというのです。
    テーラヴァーダ仏教の信者ではないのでしたら、私の文章を素直に読んで欲しい。
    先入観や憶測は避けて欲しい。

    私たちは所詮在家なのです。
    テーラヴァーダ仏教諸国の在家の実態を知ることは重要だと考えて記事を書いているのです。

    [ avaro76 ]

    2010/5/26(水) 午前 11:21

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    「私は、自分が経典・その解釈・修行法などあらゆる面でテーラヴァーダ仏教の伝統を参照して勉強しているからこそ、テーラヴァーダ仏教の実態をもっと知って、自分の道を策定しようというのです。」

    そうであるなら、テーラワーダの悪しき面と、良き面を、理性的に、分けて捉える必要があると思う、ということを言っているのです。

    悪しき面を見て、それに影響された視点で、良き面を見るようなことは、すべきではない、理性でもって、常にニュートラルな視点に立つべきである、ということを言っているのです。

    テーラワーダの実態を調べて、その悪しき面を浮き彫りにすること自体を私は否定しているのではありません。

    テーラワーダの実態を調べる、というのも、それが気になる人は、とことんまで調べるのがいいと私も思います。

    私が、言っているのは、実態を調べた結果、浮き彫りになった悪しき面に対する感情に左右されて、良い面を見るべきではない、常に、ニュートラルな視点に立って、良いところは参考にする、ということが、釈迦の手法が何だったのかを推察することにおいて、合理的である、ということを言いたいのです。

    [ mag**iok ]

    2010/5/26(水) 午後 0:02

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    「例えば、スリランカには一種のカースト制度が存在して、最大セクトのシャム派には、ゴイガマというスリランカの最上位カーストしか出家できない(受け入れてくれない)そうです。橘堂正弘「スリランカ仏教教団のカースト問題」
    起源は不明です。このことを認識してスリランカ仏教に対する場合と知らずに対する場合では、何か違いがありませんか。」

    そうavaさんは、コメントしています。

    僧侶が語ることを、その言葉ごとに、自らの理性で、判断する、という視点においては、その教団が身分差別をしているという実態を知る以前と、それを知った後では、その言葉ごとに理性的に判断する、ということにおいては、私にとっては、違いがありません。

    avaさんは、身分差別をしているような教団の僧侶の言うことは、たとえパーリ経典に従っていても、その僧侶の言うこと信用しない、ということなのでしょうか。

    もし、そういうことであるなら、そう明言していただくと、私が誤解することも少なくなると思います。

    [ mag**iok ]

    2010/5/26(水) 午後 0:04

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    「言い換えれば、いくら経典を読んで、哲学しても、思索しても、熟考してもこの智慧(明知)は生じないと考えられる。
    只一つの方法は、お釈迦様の修行法なのである。
    私の場合は、ルアンポル・ティエン師の瞑想法が最も可能性のある修行法だと思い実践している。」

    ただひとつの釈迦の修行法を知るために、自らの理性でもって、経典を読み、その経典を現代に伝えてきた僧侶の説法を聞き、そして、学者の解説も参考にするのが有効である、ということを私は言っているのです。

    avaさんは、ティエン師の手法が、ただひとつの釈迦の修行法だと思っているのですよね。

    であるなら、何ゆえに、さらにテーラワーダを学ぶ必要があるのでしょうか。

    他の道には問題がある、この道で間違いない、ということを確認したい、ということではないのでしょうか。

    [ mag**iok ]

    2010/5/26(水) 午後 0:13

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    それとも、ティエン師の手法にも、いまひとつ納得できない、不明瞭な点があるから、他のものも調べているのである、ということでしょうか。

    そうであるなら、他のものの悪しき点より、良い点、参考になる部分について着目すべきだと思います。

    悪しき点について抱いた感情でもって、良い点を見ると、見誤る、参考になるものも見過ごしてしまう、と思います。

    [ mag**iok ]

    2010/5/26(水) 午後 0:17

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    なお、悪しき点を黙認すべきである、と言っているものではありませんので、そこは念のため言っておきます。

    悪しき点を参考にしないのは、当然です。

    [ mag**iok ]

    2010/5/26(水) 午後 0:19

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    私は、テーラワーダに入信するために、その僧侶の説法を聞いているのでありません。自分の理性に照らして、良い点を参考にするために聞いているのです。

    悪しき点は、いかようにでも酷評なさればいいと思います。

    ただ、その悪しき点に対して抱いた感情を引きずったまま、良い点を見るべきではない、ということを言っているのです。

    重ねて言いますが、その教団に入信するわけではないのですから。

    [ mag**iok ]

    2010/5/26(水) 午後 0:26

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    私にとって合理的でも、avaさんにとっては合理的ではない、ということもあると思います。

    それから、私の指摘が合理的であると思っても、avaさんは、自らの姿勢を変えない、ということも、もちろん、あっていいと思っています。

    私は、合理性の視点からコメントしています。だから、私の指摘が、合理的だと思うかどうか、合理的でないと思うのであれば、どの部分をそう思うか、ということを論じてもらえればいいのです。

    また、私の指摘に一理あると思っても、自分は自分の視点を変えない、ということであるなら、そう言ってもらえれば、それで議論は終息します。

    [ mag**iok ]

    2010/5/26(水) 午後 1:18

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    私は、相手の記事、コメント(指摘)に、正面から、合理的にコメントを返しているだけ、という意識なのです。

    相手の指摘に、合理的に反論できる余地があるから、コメントを返す結果になってしまう、という感覚なのです。

    [ mag**iok ]

    2010/5/26(水) 午後 1:23

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    そちらの言うことにも一理あるが、自分の解釈を曲げるつもりはない、という答えでも、もちろん構いません。そういうことなら、私は自論を押し付けるつもりはありませんので、それ以上はコメントしません。

    私が問題にしているのは、私のコメントを、その合理性を、avaさんが理解していない、理解しないまま反論している、と思えることです。

    だから、それを理解できるまでコメント繰り返すことになってしまいます。

    相手の指摘を理解することと、それを受け入れることは、別だと私は思っています。

    だから、そちらの言い分を理解したけど、でも、それを受け入れない、自分の考えを曲げない、ということなら、そう言ってもらえればいいだけのことなのです。

    そして、相手の指摘が、どうしても合理的とは思えない、ということなら、それは、徹底的に議論すべきである、そう思います。

    そうすると、やがて、お互いの合理性の土俵の違いが明確になって、そこが議論の限界と納得できると思います。

    [ mag**iok ]

    2010/5/26(水) 午後 1:35

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    それから、そこまでの議論はしたくない、ということであれば、ここで議論を終結すると言ってもらえれば、それでいいと思っています。

    [ mag**iok ]

    2010/5/26(水) 午後 1:40

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    <そうであるなら、テーラワーダの悪しき面と、良き面を、理性的に、分けて捉える必要があると思う、ということを言っているのです。悪しき面を見て、それに影響された視点で、良き面を見るようなことは、すべきではない、理性でもって、常にニュートラルな視点に立つべきである、ということを言っているのです。>
    当然のことながら、私の視点で見ています。

    <avaさんは、身分差別をしているような教団の僧侶の言うことは、たとえパーリ経典に従っていても、その僧侶の言うこと信用しない、ということなのでしょうか。>
    mag**iokさん、パーリ経典はカーストを承認しているのでしょうか。

    <avaさんは、ティエン師の手法が、ただひとつの釈迦の修行法だと思っているのですよね。であるなら、何ゆえに、さらにテーラワーダを学ぶ必要があるのでしょうか。>
    深読みして決め付けないでくださいね。
    ティエン師を只一人と言ったことがありましたっけ。
    パーリ経典もティエン師の修行法もサンガ・在家の関係も、テーラヴァーダ仏教諸国のものです。
    研究してはいけませんか。

    [ avaro76 ]

    2010/5/26(水) 午後 4:32

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    <ただ、その悪しき点に対して抱いた感情を引きずったまま、良い点を見るべきではない、ということを言っているのです。>
    ご忠告と受け取ります。

    このアーカイブは、「原始仏教を考える」ですので、原始仏教とはどういうものなのか、出家でも正式な在家でもない私は、何をできるのか考えます。

    この記事のテーマはまだ提示されたばかりです。
    よろしくお願いします。

    [ avaro76 ]

    2010/5/26(水) 午後 4:43

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    「<そうであるなら、テーラワーダの悪しき面と、良き面を、理性的に、分けて捉える必要があると思う、ということを言っているのです。悪しき面を見て、それに影響された視点で、良き面を見るようなことは、すべきではない、理性でもって、常にニュートラルな視点に立つべきである、ということを言っているのです。>

    当然のことながら、私の視点で見ています。」

    それは、ニュートラルかどうかは気にしない。自分が自分で見たいように見るのである、ということでしょうか。

    そのスタンスを変えるつもりはない、ということですね。

    [ mag**iok ]

    2010/5/26(水) 午後 5:56

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    「<ただ、その悪しき点に対して抱いた感情を引きずったまま、良い点を見るべきではない、ということを言っているのです。>
    ご忠告と受け取ります。」

    忠告が、具体的に反映されることを期待しています。

    [ mag**iok ]

    2010/5/26(水) 午後 5:59

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    もちろん、それは、avaさんの自由です。

    [ mag**iok ]

    2010/5/26(水) 午後 6:00

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    「<avaさんは、ティエン師の手法が、ただひとつの釈迦の修行法だと思っているのですよね。であるなら、何ゆえに、さらにテーラワーダを学ぶ必要があるのでしょうか。>

    深読みして決め付けないでくださいね。

    ティエン師を只一人と言ったことがありましたっけ。」

    それでは、ティエン師の手法が、ただひとつの釈迦の修行法であるとは言えない、と思っているということでしょうか。

    それとも、ティエン師の手法が、ただひとつの釈迦の修行法かどうかは分からない、ということでしょうか。

    [ mag**iok ]

    2010/5/26(水) 午後 6:03

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    「パーリ経典もティエン師の修行法もサンガ・在家の関係も、テーラヴァーダ仏教諸国のものです。
    研究してはいけませんか。」

    研究してはいけないとは言っていません。研究してはいけないと私が言ったでしょうか。そう感じたとしたら、それは誤解です。

    それを研究したいという動機は、ティエン師の手法にも、まだ、完全に納得していない、ということなのではないだろうか、他の手法と比較することで、ティエン師の手法で間違いないという納得を深めたい、という動機からではないだろうか、と言っているものです。

    そして、そういうことであるなら、他の手法を、ちゃんと学ぶということが大事であり、そのためには、悪い面も、良い面も、ニュートラルな視点で、理性的に捉える必要がある、と言っているものです。

    [ mag**iok ]

    2010/5/26(水) 午後 6:06

  • 顔アイコン

    「このアーカイブは、「原始仏教を考える」ですので、原始仏教とはどういうものなのか、出家でも正式な在家でもない私は、何をできるのか考えます。」

    そのまえに、なぜ、それを考えたくなったのか、ということに「気づく」ことが大事だと思っています。

    [ mag**iok ]

    2010/5/26(水) 午後 6:07

  • 顔アイコン

    20世紀を生きたティエン師が、苦しみを終滅したと宣言した。そして、その人が書いたテキストには、経典を学ぶ必要はない、真理は自らの心にある、ただ自らの心と体を観察することに専念していればいい、それが真理に至る道である、というようなことが書かれてあった。他にも、輪廻についても、初期経典とはニュアンスが微妙に違っていた。そして、そこで解説されていた瞑想の具体的な手法に共感した。そんな自分が、なぜ、原始仏教を研究したくなるのか。

    それは、ティエン師の手法に、完全には納得していない、あるいは、まだ不明瞭な部分を感じている、ということではないでしょうか。

    でも、そのこと自体は、なんら非難されるべきものではないと思っています。

    以前にも書きましたが、私も、初期経典に納得するために、他の宗派の教義を学んでいます。

    私が問題にしているのは、他のものを学ぶときには、理性的な、ニュートラルな視点が大事である、ということです。

    [ mag**iok ]

    2010/5/26(水) 午後 6:19

  • 顔アイコン

    なお、私が、テーラワーダ寄りである、という印象を持たれたのだと思いますが、私は、私の理性で、これは参考になる、ということを引用しているので、そう感じるだけで、私も、テーラワーダの僧侶の発言の中で、参考にしていないものもあるのです。

    でも、私にとっては、参考にならないのは、捨てる、というだけのことですから、取り上げないだけなのです。けっして、テーラワーダを必要以上に擁護しているのではありません。

    テーラワーダには、参考になる部分もありますよ、という意味で紹介しているつもりなのです。

    [ mag**iok ]

    2010/5/26(水) 午後 6:24

  • 顔アイコン

    「<avaさんは、身分差別をしているような教団の僧侶の言うことは、たとえパーリ経典に従っていても、その僧侶の言うこと信用しない、ということなのでしょうか。>

    mag**iokさん、パーリ経典はカーストを承認しているのでしょうか。」

    ちょっと私の説明が言葉不足だったようです。補足します。

    身分差別をしているような教団の僧侶が、身分差別とは関係のない別のことを言ったことについて、それが、パーリ経典に従っている場合でも、avaさんは、その僧侶の言葉は信用しない、ということでしょうか。

    [ mag**iok ]

    2010/5/26(水) 午後 6:27

  • 顔アイコン

    <それは、ニュートラルかどうかは気にしない。自分が自分で見たいように見るのである、ということでしょうか。そのスタンスを変えるつもりはない、ということですね。>
    ニュートラルかどうかという意味が分かりません。mag**iokさんは、非常にはっきりした態度を示していて、その限りでは、mag**iokさん的な偏りがあります。私の視点と言うのはそういう意味です。

    <それでは、ティエン師の手法が、ただひとつの釈迦の修行法であるとは言えない、と思っているということでしょうか。>
    私の意見(大風呂敷)は年中述べている通りです。私にとって最適で最も現代に対応できる、と考えています。

    <それを研究したいという動機は、ティエン師の手法にも、まだ、完全に納得していない、ということなのではないだろうか、他の手法と比較することで、ティエン師の手法で間違いないという納得を深めたい、という動機からではないだろうか、と言っているものです。>
    現在のテーマがまさにこれです。

    [ avaro76 ]

    2010/5/26(水) 午後 8:53

  • 顔アイコン

    <それは、ティエン師の手法に、完全には納得していない、あるいは、まだ不明瞭な部分を感じている、ということではないでしょうか。>
    その通りです。

    <私が問題にしているのは、他のものを学ぶときには、理性的な、ニュートラルな視点が大事である、ということです。>
    勝手な言い分ですが、釈迦もそれまでの思想を学んで実践した上で、批判的に乗り越えたのだと思います。私は実践が伴いませんが、批判的に学ぶという姿勢は崩しません。

    <身分差別をしているような教団の僧侶が、身分差別とは関係のない別のことを言ったことについて、それが、パーリ経典に従っている場合でも、avaさんは、その僧侶の言葉は信用しない、ということでしょうか。>
    納得できるまで調べます。

    [ avaro76 ]

    2010/5/26(水) 午後 8:59

  • 顔アイコン

    すいません、訂正します。
    <<それを研究したいという動機は、ティエン師の手法にも、まだ、完全に納得していない、ということなのではないだろうか、他の手法と比較することで、ティエン師の手法で間違いないという納得を深めたい、という動機からではないだろうか、と言っているものです。>
    現在のテーマがまさにこれです。>
    研究をつづけているのは、勉強が楽しいからです。
    ティエン師の瞑想法に関しては、私にはこれしかないと思っているのですが、疑問点も多々あります。ティエン師の勉強も継続します。

    [ avaro76 ]

    2010/5/26(水) 午後 9:08

  • 顔アイコン

    「ニュートラルかどうかという意味が分かりません。mag**iokさんは、非常にはっきりした態度を示していて、その限りでは、mag**iokさん的な偏りがあります。私の視点と言うのはそういう意味です。」

    「例えば、スリランカには一種のカースト制度が存在して、最大セクトのシャム派には、ゴイガマというスリランカの最上位カーストしか出家できない(受け入れてくれない)そうです。橘堂正弘「スリランカ仏教教団のカースト問題」
    起源は不明です。このことを認識してスリランカ仏教に対する場合と知らずに対する場合では、何か違いがありませんか。」

    釈迦の説いた修行法とは何か、というテーマで研究する場合には、その研究対象が、身分差別をしている団体だから、という理由で、身分差別とは関係のない項目まで、感情的な目で見ない、どちらも、同じように、理性で対応する、ということです。

    それが、私が言っているニュートラル、という意味です。

    [ mag**iok ]

    2010/5/27(木) 午前 7:05

  • 顔アイコン

    例えば、汚泥の中に埋まっている金貨と、白砂の中に埋まっている金貨の、どちらの金貨も、同じ金貨として扱う、それが、私の言っているニュートラル、ということです。

    汚泥の中に埋まっていた金貨も、白砂の中に埋まっていた金貨も、どちらも、本物かどうか、同じように検査する、というのが、私の言うニュートラル、ということです。

    [ mag**iok ]

    2010/5/27(木) 午前 7:07

  • 顔アイコン

    それから、汚泥の中に埋まっていた金貨だから、その金貨が、本物かどうかを疑う、という姿勢はいいのです。疑って調べた現時点での結果を、ありのままに公表すべきである、ということです。

    まだ、調査中で、分からないのであれば、分からない、と答えるべきである、ということです。

    あるいは、偽物だと思うのであれば、偽物だと思うとその根拠を示して言ってもらえればいいのです。

    [ mag**iok ]

    2010/5/27(木) 午前 7:08

  • 顔アイコン

    ただし、その場合、その根拠が、汚泥の中に埋まっていたものだから、その金貨は偽物であると思う、というようなことでは、それは、ニュートラルではない、ということを言っているのです。

    汚泥の中に埋まっていたものだから、それは、偽物だと思う、ということは、偏見による独断ですよね。


    そういう偏見と独断に陥らないように気をつける必要がある、ということを私は言いたいのです。

    [ mag**iok ]

    2010/5/27(木) 午前 7:09

  • 顔アイコン

    もちろん、我々は悟っていませんから、完全なニュートラルということは、ありえないでしょう。

    だから、お互いに、ニュートラルかどうかを、その都度、議論していけばいいと思います。

    そして、何度も言っていますが、avaさんは、ニュートラルなんて気にしない、自分の見たいように見るのである、それが私の研究である、ということなら、そう言ってもらえれば、それ以上は、何も言いません。

    ただ、ニュートラルでない視点による研究結果は、他者からは、正当だと評価されにくい、ということは理解するべきだと思います。

    でも、他者から正当だと評価されなくていい、自分のやりたいようにやって、それをブログに公開しているだけである、そこに他者から批判的な指摘があっても、自説を曲げるつもりもないのだから、ということであるのなら、それも、それはそれでいいとは思います。

    そういうことなら、そう言ってもらえれば、あとは何も言いません。

    [ mag**iok ]

    2010/5/27(木) 午前 7:11

  • 顔アイコン

    「言い換えれば、いくら経典を読んで、哲学しても、思索しても、熟考してもこの智慧(明知)は生じないと考えられる。
    只一つの方法は、お釈迦様の修行法なのである。
    私の場合は、ルアンポル・ティエン師の瞑想法が最も可能性のある修行法だと思い実践している。」

    avaさんは、経典を読んだり思索したりすることより、釈迦の説いた実践の修行法が、ただひとつの解決法なのである、と考えているのですよね。

    「<それでは、ティエン師の手法が、ただひとつの釈迦の修行法であるとは言えない、と思っているということでしょうか。>
    私の意見(大風呂敷)は年中述べている通りです。私にとって最適で最も現代に対応できる、と考えています。」

    つまり、avaさんにとっては、ティエン師の手法が、釈迦の説いた実践の修行法である、ということになりますよね。

    [ mag**iok ]

    2010/5/27(木) 午前 7:13

  • 顔アイコン

    それとも、ティエン師の手法が、釈迦の手法と同じかどうかは分からないが、自分には、それが合っていると感じたというだけのことである、ということなのでしょうか。

    そうではなくて、ティエン師の手法こそ、釈迦の説いた実践法だと感じた、ということではないでしょうか。

    私が、これまで言ってきたことは、そういう意味です。

    ティエン師のテキストにも、これが釈迦の手法と同じである、というようなことが書かれていたと記憶しています

    [ mag**iok ]

    2010/5/27(木) 午前 7:15

  • 顔アイコン

    「研究をつづけているのは、勉強が楽しいからです。」

    知識欲を満足させるのは、楽しいものですよね。私もそうです。

    それから、今回のコメントで、avaさんは、ティエン師の手法に完全には納得していない、あるいは、まだ説明に不明瞭な部分があると感じていて、他をいろいろ調べることで、その納得を深めたい、理解を深めたい、という動機があることが明確になりましたよね。

    以前にも書きましたが、そのこと自体は、何ら非難される筋合いのことではないと私は思っています。私も同じような動機を持っています。

    ただ、繰返しになりますが、他のものを調べる、研究するというときには、ニュートラルな視点が必要である、ということを言いたいだけです。

    [ mag**iok ]

    2010/5/27(木) 午前 7:17

  • 顔アイコン

    そして、自分は自分で、見たいものを見たいように見る、その姿勢を変えるつもりはない、ということなら、そう明言してもらえればいいのです。それはそれで、avaさんの自由だと思っています。

    ただ、その見方に対して、相手から合理性の点での指摘があったら、その指摘が合理的な指摘だと思うか、それを合理的な指摘だとは思わないかを、理由を明確にして反論してもらえればいいと思います。

    そして、一面で合理的な指摘だとは思うが、しかし、私は私の見解を曲げない、ということなら、それも明言すべきだと思います。

    それが、相手のコメントに正面から応じる、ということであり、議論に不可欠なことだと思います。

    [ mag**iok ]

    2010/5/27(木) 午前 7:19

  • 顔アイコン

    身分差別をしている団体だから、その僧侶の発言を、批判的に検証する、というのは、いいのです。むしろ、そうあるべきだと思っています。

    そして、私が言っているのは、身分差別をしていようが、していまいが、僧侶の個々の発言について、理性的に、批判的に、検証する、という態度に変わりがない、ということがニュートラルである、ということです。

    [ mag**iok ]

    2010/5/27(木) 午前 7:29

  • 顔アイコン

    そして、批判的に検証した結果を、理性的、合理的に語ってもらえればいいのです。

    私が言っているのは、悪しき側面のある団体の僧侶の発言だから、という理由だけで、それを、拒否し続けていないだろうか、ということです。

    理性的に検証せずに、感情的に拒否し続けていないだろうか、ということです。

    [ mag**iok ]

    2010/5/27(木) 午前 7:32

  • 顔アイコン

    中立な視点で、理性で、批判的に検証して、悪い点を見たことによる感情に引きずられることなく、良いと思われる点は、参考にする、それが私が言っているニュートラルということです。

    [ mag**iok ]

    2010/5/27(木) 午前 7:36

  • 顔アイコン

    そして、まだ、検証中で分からない、だから、今は、それについては、何とも言えない、分からない、ということなら、そう明言してもらえればいいだけなのです。

    [ mag**iok ]

    2010/5/27(木) 午前 7:37

  • 顔アイコン

    <釈迦の説いた修行法とは何か、というテーマで研究する場合には、その研究対象が、身分差別をしている団体だから、という理由で、身分差別とは関係のない項目まで、感情的な目で見ない、どちらも、同じように、理性で対応する、ということです。それが、私が言っているニュートラル、という意味です。>
    mag**iokさんは、批判的な文言を読むとスグニavaroは感情的になっていると感じるようですね。
    それで、中立(ニュートラル)を強調しているのですね。
    批判的な文章が、理屈も論拠も念頭になく、頭に血が上った状態でひたすら論敵を攻撃するのは感情的なんでしょうね。
    私の文章はそんなに無茶苦茶なんでしょうか。
    冷静に論理的に文章を構成しているつもりなんですが。

    感情的にとか、理性的にとかいう、議論の論理とは関係ない概念で文章の分析をせずに、文章そのモノの非論理性や矛盾、誤りを指摘してください。

    mag**iokさんは、とにかく、論理ではなく、私の態度(姿勢)を問題にしがちです。
    議論の対象は、私の文章です。

    [ avaro76 ]

    2010/5/27(木) 午前 9:17

  • 顔アイコン

    <,任癲他者から正当だと評価されなくていい、自分のやりたいようにやって、それをブログに公開しているだけである、そこに他者から批判的な指摘があっても、自説を曲げるつもりもないのだから、ということであるのなら、それも、それはそれでいいとは思います。>
    <△修譴ら、今回のコメントで、avaさんは、ティエン師の手法に完全には納得していない、あるいは、まだ説明に不明瞭な部分があると感じていて、他をいろいろ調べることで、その納得を深めたい、理解を深めたい、という動機があることが明確になりましたよね。>
    ,砲弔い---mag**iokさんは、いつから宗教裁判の審判官になってしまったのでしょうか?
    △砲弔い---私の考え方をこのように決め付けることと、このページのテーマとはどういう関わりがあるのでしょうか?

    [ avaro76 ]

    2010/5/27(木) 午前 9:28

  • 顔アイコン

    <それとも、ティエン師の手法が、釈迦の手法と同じかどうかは分からないが、自分には、それが合っていると感じたというだけのことである、ということなのでしょうか。そうではなくて、ティエン師の手法こそ、釈迦の説いた実践法だと感じた、ということではないでしょうか。>
    mag**iokさんが釈迦の全てを分かっていないように私も完全に理解できていません。出来ていないからこうして考えて記事を書いているのです。それを承知で、なぜいちいち駄目押しをしたがるのですか?
    さっきも宗教裁判の審判員の例えを挙げましたが、こういう議論の進め方は、最早議論とはいえないでしょうね。テーマを論じ合うのではなく、テーマの論じ方を議論しようとしていますね、mag**iokさんは。ガリレオが天動説を唱えようとしているらしいと知った法王庁がそういうガリレオの態度を咎めました。天動説か地動説かを議論することなく。

    [ avaro76 ]

    2010/5/27(木) 午前 9:36

  • 顔アイコン

    <ただ、その見方に対して、相手から合理性の点での指摘があったら、その指摘が合理的な指摘だと思うか、それを合理的な指摘だとは思わないかを、理由を明確にして反論してもらえればいいと思います。そして、一面で合理的な指摘だとは思うが、しかし、私は私の見解を曲げない、ということなら、それも明言すべきだと思います。それが、相手のコメントに正面から応じる、ということであり、議論に不可欠なことだと思います。>
    議論において合理的というのは、公開された文章(記事)を分析して、どの部分がどういう理由で論理的でない、間違っている、などと合理的な方法で、論拠を明示して反論したり批判したりすることだと思います。
    ましてや、議論のテーマではない、議論のやり方を盾にして、これは間違っていると批判するのは、合理的ではないし、論理的でもないと思いますよ。
    <私は私の見解を曲げない、ということなら、それも明言すべきだと思います。>
    この要求を書いていて、あれ、チョッとおかしいかな、と思いませんでしたか。まともな議論では、こんな要求出てこないんではないですか?

    [ avaro76 ]

    2010/5/27(木) 午前 9:47

  • 顔アイコン

    <そして、私が言っているのは、身分差別をしていようが、していまいが、僧侶の個々の発言について、理性的に、批判的に、検証する、という態度に変わりがない、ということがニュートラルである、ということです。>
    この文中の「僧侶」を「お釈迦様」と読み替えて見てください。
    この文章がおかしいことがお分かりになると思います。

    それからもう一つ、私はこの記事の一つの論拠として、大岩先生の調査結果を提示しました。
    正しい議論においては、この調査(論文)もキチンと読んで、私の記事との整合性を分析してしかるべきだと思います。

    記事のテーマとは直接関わらない「態度」だとか、「論じ方」だとか、「合理性云々」の議論は、もしお望みであれば、別途、それらをテーマとして議論しあいましょう。

    合理性云々の議論は毎回登場しています。
    つまり、毎回テーマがそっちに持っていかれて同じ議論の繰り返しなんです。

    [ avaro76 ]

    2010/5/27(木) 午前 10:02

  • 顔アイコン

    『<,任癲他者から正当だと評価されなくていい、自分のやりたいようにやって、それをブログに公開しているだけである、そこに他者から批判的な指摘があっても、自説を曲げるつもりもないのだから、ということであるのなら、それも、それはそれでいいとは思います。>
    について---mag**iokさんは、いつから宗教裁判の審判官になってしまったのでしょうか?』

    「〜ということであるなら、それも、それはそれでいいとは思います。」と私は言っています。裁判官は、そんな仮定形は使いませんよね。裁判官は、断定するのが仕事ですよね。

    私は、avaさんのコメントを読んで、そういう印象を受けた、ということです。

    そして、「〜ということなら」と仮定形を使っています。決してavaさんのことを勝手に断定していません。

    その印象は、間違いである、誤解である、ということなら、そう言ってもらえればいいだけです。

    [ mag**iok ]

    2010/5/27(木) 午後 0:41

  • 顔アイコン

    そうして、自分の立場を、理性的にコメントしてもらえればいいだけのことです。

    それが、相手のコメントに正面から応じる、ということではないでしょうか。

    それなのに、いつから、裁判官になったのですか、と言うだけで、詳しいことを語らない。

    それは、相手の指摘が図星だったときに、頭に血が昇ってしまって、なんとか反論しようとする人がよく使う手に私には思えます。

    それも、私の勝手な決めつけになるのでしょうが、私にそうさせているのは、他ならぬavaさんである、ということに気づいてください。

    [ mag**iok ]

    2010/5/27(木) 午後 0:42

  • 顔アイコン

    『<△修譴ら、今回のコメントで、avaさんは、ティエン師の手法に完全には納得していない、あるいは、まだ説明に不明瞭な部分があると感じていて、他をいろいろ調べることで、その納得を深めたい、理解を深めたい、という動機があることが明確になりましたよね。>
    について---私の考え方をこのように決め付けることと、このページのテーマとはどういう関わりがあるのでしょうか?』

    20世紀を生きたティエン師の手法に共感しそれを実践しているavaさんが、初期仏教も研究したいのは、なぜだろうか、ということです。

    そして、その動機が明らかになれば、それを研究するにあたっては、どういうふうにするのが合理的か、ということを論じるためのものです。

    それは、これまでの流れを読み返していただければ、すぐに分かることだと思います。

    私は、常に、avaさんのコメントに理性的に正面から応じてきたつもりです。

    ところで、私のその決め付けは、間違っている、ということでしょうか。

    どうですか、ここでもavaさんは、正面から答えていないのです。

    [ mag**iok ]

    2010/5/27(木) 午後 0:44

  • 顔アイコン

    「<それとも、ティエン師の手法が、釈迦の手法と同じかどうかは分からないが、自分には、それが合っていると感じたというだけのことである、ということなのでしょうか。そうではなくて、ティエン師の手法こそ、釈迦の説いた実践法だと感じた、ということではないでしょうか。>
    mag**iokさんが釈迦の全てを分かっていないように私も完全に理解できていません。出来ていないからこうして考えて記事を書いているのです。それを承知で、なぜいちいち駄目押しをしたがるのですか?」

    駄目を押すのは、avaさんが正面から答えなくて、曖昧な答え方しかしないからです。だから、確認しているのです。

    そうでなくては、理性的な議論になりません。

    avaさんは、駄目を押されることの何を嫌がっているのでしょうか。

    [ mag**iok ]

    2010/5/27(木) 午後 0:46

  • 顔アイコン

    『<私は私の見解を曲げない、ということなら、それも明言すべきだと思います。>
    この要求を書いていて、あれ、チョッとおかしいかな、と思いませんでしたか。まともな議論では、こんな要求出てこないんではないですか?』

    全然おかしいと思いません。むしろ、これまでの流れから、そう考えざるをえない、というのが、私の心境です。

    avaさんは、avaさんのこれまでの対応が、私にそういう印象を与えるはずがない、というほどのものだと、思っておられるのですね。

    もし、そうだとしたら、我々の間には、そこにも、決定的な相違があるということだと思います。

    [ mag**iok ]

    2010/5/27(木) 午後 0:47

  • 顔アイコン

    「<そして、私が言っているのは、身分差別をしていようが、していまいが、僧侶の個々の発言について、理性的に、批判的に、検証する、という態度に変わりがない、ということがニュートラルである、ということです。>
    この文中の「僧侶」を「お釈迦様」と読み替えて見てください。
    この文章がおかしいことがお分かりになると思います。」

    どこが、どうおかしいのか、具体的に語ってください。

    どうですか、ここでも、具体的に答えてくれていません。

    [ mag**iok ]

    2010/5/27(木) 午後 0:49

  • 顔アイコン

    それに、なぜ、その「僧侶」を、「お釈迦様」と読み替える必要があるのでしょうか。

    現存最古と言われるパーリ経典を現代に伝えてきた教団の中に、お釈迦様の直説が残っている可能性があるから、それを研究するのがテーマですよね。

    だから、パーリ経典を伝承してきた教団が、身分差別をしていようと、していまいと、その僧侶の言葉を、個別に、理性的に検討する、という態度には、変わりがない、ということを言っているのです。

    パーリ経典を伝承してきた教団が、その経典に背いて、身分差別をしてきた、ということであっても、身分差別と関係ない項目については、釈迦の直説が残っている可能性がありますよね。

    だから、身分差別をしていようと、していまいと、その僧侶の言葉を、「個別に」、理性的に検討する、という態度には変わりがない、ということです。

    分かっていただけますか。

    [ mag**iok ]

    2010/5/27(木) 午後 0:54

  • 顔アイコン

    「それからもう一つ、私はこの記事の一つの論拠として、大岩先生の調査結果を提示しました。
    正しい議論においては、この調査(論文)もキチンと読んで、私の記事との整合性を分析してしかるべきだと思います。」

    私が、その調査結果に意義を唱えましたか。

    その調査が、全部正しいとしても、あるいは、間違った箇所があったとしても、これまでのテーマには、関係ない、というのが私の理解です。

    なぜなら、以前にも書きましたが、悪い点は参考にしないし、良い点は、参考にする、ニュートラルな視点で、それを行う、ということですから、その調査結果で、悪い点とされたことは、参考にしないのですから、問題ないですよね。

    私が問題にしているのは、悪い点があるからといって、その悪い点を知ったことの感情を引きずって、良い点を見るべきではない、それでは、良い点を見誤る可能性が高い、他のものを研究するときには、ニュートラルな視点が必要だと思う、ということですよ。

    [ mag**iok ]

    2010/5/27(木) 午後 1:01

  • 顔アイコン

    身分差別のような悪い点は参考にしない。

    そういう悪い点以外のことで、参考になることは、参考にする。

    それを、理性的に行う、ということです。

    身分差別をしているから、それ以外のことも、その教団の僧侶の言うことは、信用しない、というような感情的な対応はしない、ということです。

    その僧侶の言葉を、個別に、経典に照らして理性的に考える、そして、良いと思われる点は、参考にする、ということです。

    [ mag**iok ]

    2010/5/27(木) 午後 1:14

  • 顔アイコン

    mag**iokさん、まことに申し訳ない。

    あなたも私に何か分からせようとされているようなのですが、その内容に興味が湧きません。

    そのことを丁寧に説明しているのですが、説明すればするほど、かえってmag**iokさんの疑念を高めてしまうようです。

    mag**iokさんがおっしゃる議論の仕方は、多分、有意義なんでしょう。

    しかし、ページが代わっても毎回同じテーマの議論なのでは疲れます。
    残念ながら、この議論の意義が見えません。

    そこで、今回はここまでで、このページの議論は終結とさせていただきます。

    申しわけありません。

    この私の結論をmag**iokさんがどのように解釈しても結構です。

    ここまでのご丁寧なコメントに感謝します。
    有り難うございました。

    [ avaro76 ]

    2010/5/27(木) 午後 1:42

  • 顔アイコン

    了解しました。

    興味がない、意義が見えない、ということは、遠慮せずに、今後もおっしゃってください。

    今後も、直接的な議論ができたら幸いです。

    今回もありがとうございました。

    [ mag**iok ]

    2010/5/27(木) 午後 2:10

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