「いじめ」というもの・・・
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しばらく父親が体調を崩したり知人が亡くなったりと、パソコンに向かうことができず、 数ヶ月も投稿できませんでした。すいません。 絆と勇気が「いじめ」を・・・ 今、日本の社会は様々な問題に直面している。 北朝鮮問題もそう、靖国問題、年金問題、医療介護、障害者福祉・・・。 あげたらもっとでてくるはずだ。 しかし、どうしても一つ触れておかなければならない、私の中では突出した問題がある。 それは、いじめ問題に他ならない。 福岡の、教師を含めたニュースが今もなお流されているから、皆さんにもいじめへの意識が あることだと思う。 私の子供の頃にもいじめは確かにあった。私も上級生にいじめをうけたこともある。 顔を見るたびに殴られた。 そして、いつも後悔の念に襲われる・・・。それは、いじめた側にいたこともあったことだ。 まったくえばれることではないし、、むしろ軽蔑されるべきことかもしれないが、僕は両方の立場を 経験してしまった。 いま思えば、いじめられる辛さを知っていながらいじめをしてしまった私は、最も卑劣な人間だった のかもしれない。いつも過去を思うと苦しい・・・。 私がいじめについて偉そうなことを言える立場にはないと思う。 ただ、ここでは、たった一人のいじめられている子でも、たった一人のいじめている子でも、 たった一人の親御さんでもいい、このブログを見ていてくれると思って、 一言ずつ言わせてもらいたい。恥を忍んで言わせてもらいたい。 君たちは、誰かをいじめたことを必ず後悔する。夜も眠れない程の苦しさを味わうことになる。 福岡の中学生の痛ましい事件をきっと知っていると思う。 いじめられるということは、君たちが思っている以上の苦しみなんだ。 命をかけて訴えるほどの苦しみなんだ。 君たちは、人をいじめることはできるのかもしれない。 でも、同級生を殺すことはできないはずだ。 しかし、いじめは殺すことに等しい程の苦しみを与えているんだ。 つまり、殺してしまっているほどのことなんだ。 自分も同じことをされていることを想像してみてほしい。 目をつむって・・・。きっと眠れなくなるはずだ。 今なら間に合う。やめよう。 いじめをうけている子供の心理で真っ先に彼らが思うことは、 「僕がいじめをうけていることを知ったら、お父さんお母さんはきっと辛い思いをする」 という気持ちだ。 「お父さんお母さんを苦しめられない・・・。僕が耐えていればいいんだ・・・」 「でも、知ってもらいたい・・・・・・・・。少しでもいいから・・・・」 子供達は必ずなんらかのシグナルを送っている。 でも大人達は気づかないことがほとんどなのかもしれない。 どうやったら気づいてあげられるのだろうか・・・。 毎朝起きた時に、目を見て「おはようー!!」と言っているだろうか。 毎朝学校に行くときに、「行ってらっしゃい!!」と目を見て言ってあげているだろうか。 学校から帰ってきたら、「今日の学校はどうだった??」と聞いてあげているだろうか。 この、昔から続いている「親子の挨拶」という家族文化が、子供のシグナルを知る 最も大切な絆であり、最も重要な親子の儀式なのだ。 「おはよー!!」と言った時に、元気に起きてきただろうか? 「行ってらっしゃい!!」と言った時に、元気に学校に飛び出して行っただろうか? 「今日はどうだった?」と聞いた時に、楽しそうに学校であったことを話してくれただろうか?
普段からの絆があれば、当たり前のように子供を知ることができると思う。
そうすれば、子供の苦しみを感じることができる。そしていつでも「私がついているよ」と抱きしめてあげられる。 本当に辛いよね。本当に苦しいよね。 死にたいと思うこともあるよね。本当はみんなと仲良くしたいよね。 でも、どうか誰かに話してください。どうかあきらめないでください。 どうか一人で抱えこまないでください。きっと解決します。 まずは誰かに話そうとすることに向かってください。 人に話すことはものすごい勇気がいることかもしれない。 でも、「いじめ」という、勇気を持つことよりももっともっと過酷な試練にみんなは一人で 耐えているんだ。きっと話せるはずだよ。 親じゃなくてもいい。先生にじゃなくてもいい。どこの馬の骨とも分からない僕みたいな バカにでもいいんだ。誰かに・・・そう誰かに・・・。 AYDA 理事長
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とても心に響くメッセージだと思います。トラバさせて下さい。
2006/11/18(土) 午前 3:12