旧生野鉱山本部
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【生野銀山を訪ねる近代モダンの旅(1日目)】 平成18年11月25日(土) 15:30 次に訪れた場所は、三菱マテリアル生野事業所の構内でした。 ここは、現在も操業中のため、普段は、立ち入り禁止なんですが 今回は、ツアー限定で、特別に建物の1部を公開していただきました。 ガイドは、元鉱山職員の大橋さんです。 この地は、太盛(たせい)と呼ばれ、明治維新後に、お雇い外国人のフランス人技師らによって 日本の近代鉱業のモデルとなる工場が建設されたところです。 生野鉱山は、明治維新後に、我が国初の官営鉱山となりました。 以後、皇室財産への編入を経て、明治29年に、当時の三菱合資会社に払い下げられます。 写真は、明治時代中頃の生野鉱山本部の全景です。 ここには、いまも、現役で使用されている建物がありました。 その1つが、事務所棟です。 当時は、混汞所(こんこうしょ)と呼ばれ、製錬をしていたそうです。 この建物が落成したのは、明治9年のこと。基礎は石造、建物はレンガ造でつくられています。 レンガの積み方にも、特徴があるようで、フランス積みの壁面が見られるとか。 フランス積みとは、レンガの長い面と短い面を交互に積む工法で この工法が使われていたのは、明治時代の初期までなんだそうです。 ちなみに、生野では、レンガも、自家製だったとのこと。 わざわざ、フランスから、レンガの職人を招いて製造していたそうです。 材料の土も、生野で探し、その土を使用していました。 そのため、いわゆる、赤レンガよりも、少し黒っぽい色をしています。 日本の産業振興の一翼を担ったといえる生野鉱山の中枢部。 その場に立って、かつての建物を見ていると、先人の声が聞こえてきそうです。 日本の産業革命、そして、高度成長期。そのなかでの、紆余曲折。 いまの時代の礎を築いたといっても過言ではない、その時代に想いを馳せる、ひとときでした。 繰り返し申しますが、この見学地は、工場の構内のため、立ち入り禁止。 ツアー限定の特別公開です。本当に、貴重な貴重な体験でした。 ここで製錬した鉱石は、一路、姫路の飾磨港に向かいます。
その道のガイドについてのレポートは、次の記事で、ご紹介します。 |



