馬車道
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【生野銀山を訪ねる近代モダンの旅(1日目)】 平成18年11月25日(土) 15:45 ツアーの一行は、三菱マテリアル生野事業所の前に案内され、馬車道の話を聞かせてもらいました。 馬車道とは、生野鉱山本部から、姫路の飾磨港を結ぶ、全長49kmの馬車専用道路のこと。 明治6年に工事に着工し、開通は、3年後の明治9年。別名、生野鉱山寮馬車道ともよばれました。 生野鉱山の近代化を進めるためには、大型の機材などを運搬できる道路が必要だったのです。 建設を指揮したのは、フランス人技師のレオン・シスレイ。 ここにも、当時のフランスの近代技術が導入されています。 彼は、道路を水田より60cm高くし、あら石、小石、玉砂利などを敷き詰めて 馬車の車輪が滑らかに走行できる道路を建設しました。 馬車道の起点は、生野鉱山本部でした。 となると、そのシンボルは、やはり、正門ではないかと…。 当時の正門は、現在の三菱マテリアル生野事業所の門から、少し、町よりにあって 石造の2対の門柱が立っていました。 この門柱、実寸調査の結果、メートル法でつくられたのではないかと推測されています。 明治時代の初期に、日本がメートル法を導入した事例には、横須賀製鉄所などが報告されていますが 明治時代に建造された生野鉱山の産業遺産にも いくつか、そうではないかと、推測される建物があるようです。 そう言えば、生野鉱山本部の工場に使用された部品には 横浜や横須賀の製鉄所でつくられたものがあったという話を聞きました。 その部品も、もしかして、馬車道を通ったのかも。(推測ですが…) いま、旧生野支庁の門柱は、史跡・生野銀山に移設されています。 菊の紋には、かつての宮内庁御料局時代の名残りを感じました。 旧生野支庁の門柱は、朝来市の指定文化財であり、生野鉱山の産業遺産の1つです。 さて、次は、昭和の頃の暮らしを覗いてみましょう。
そのレポートは、次の記事で、紹介します。 |



