購買会と協和会館
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【生野銀山を訪ねる近代モダンの旅(1日目)】 平成18年11月25日(土) 16:00 三菱マテリアル生野事業所の前でのガイドは続きます。今度は、正面の建物のお話でした。 手前に見える建物が、購買会。いわゆる、売店にあたります。 が、しかし、さにあらず。ここには、いろいろな商品があったと教えてくれました。 米や醤油は、もちろん、調味料、お酒、文具、日用品、お菓子などなど。 三菱に勤務されておられた方々の生活用品が、ずらりと揃っていました。 いまで言う、お酒も買えるスーパーマーケットのような感じでしょうね。 なかには、舶来品や高級なものもあったようですが、 値札の表示は、かなりのお手頃価格でした、とのこと。うらやましい。 また、この建物の隣りには、組合の厚生施設があって 散髪屋、洋服屋、靴屋、クリーニング店、自転車屋などが入っていたそうです。 購買会の2階には、食堂があったそうです。名前は、その名も、ずばり、「鉱山食堂」。 いまは、この建物、老朽化が進み、なかには入れません。 ですので、ここでは、当時の写真を見て、しばし、タイムスリップ。 これは、食事会の様子ですね。 壁には当時のメニューが貼られています。カレーライス40円、うどん15円…、あれっ? 生卵は、何と、時価と書いてます。当時は、かなり、貴重だったのでしょう。 9月末に生野町で開催される「銀谷祭り」では、1日限定で、鉱山食堂が復活します。 当時の懐かしいラーメンが食べられます。(人気の味なので、お早めに) さて、購買会のその先、川を隔てた向こうの建物のお話が始まりました。 そこには、かつて、協和会館という建物がありました。 これも、三菱の建物で、館内は、ステージやホールなどがあって 芝居、映画、コンサートなどが開催されていました。 何でも、当時の大物歌手は、ほとんど、来町したとか。 また、映画なんかも、周辺のまちより、早く封切りされたそうです。 催し物は、三菱関係者だけでなく、町内の人たちにも開放したと聞きました。 生野のみんなで楽しんだ当時の様子がうかがえます。 また、ステージが、ダンスパーティーになったことも、しばしば。 昭和20年代には、社交ダンスのクラブがあったそうです。 東京から赴任した三菱職員の奥様のダンスは、とても、上手だったそうで 男性陣は競って「Shall we dance?」と誘ったとか…。(事実は定かでないですが) 昭和30年代の初めには、町の人口が、1万人を超えたときもありました。(いまは、その半分です) ここでは、華やかりし頃の生野の青春時代を、垣間見た感じです。 そして、当時の人々のエネルギーを、少しいただいたような気分になりました。 元気な時代を見ると、気持ちも元気になるものですね。 どこかに忘れてきた、あの頃の活力を思い出す、そんな、ひとときでした。 ツアーは、この後、宿泊先に向かいます。
そのレポートは後日として、先に、2日目のレポートを、次の記事で紹介します。 |






