生野まちづくり工房「井筒屋」
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鉱山町・生野町の町並み散策の拠点、生野まちづくり工房「井筒屋」から歩きましょう。 この建物は、吉川(きっかわ)さんのお宅で、生野では「吉川邸」と呼ばれていました。 展示室のパネルでは、吉川家の歴史を、このように伝えています。 『吉川家が、1600年前後から生野町で暮らし始めたと伝えられています。江戸時代の吉川家は、山師を代々継承し、井筒屋の屋号で郷宿を営んでいました。文久3年(1863年)の生野義挙では、増太郎の祖父である太田仁右衛門(太田家は郷宿姫路屋)が兵糧方を勤めたと記録されています。生野鉱山が三菱合資会社に払い下げられた明治29年(1896年)に、吉川家は山師を廃業。翌年頃から昭和6年までの間、煙草元売捌所(煙草卸売業)を営みました。明治維新後の生野町の政財界での吉川家の功績は高く、増太郎は、生野町議会議員や県会議員を務めたほか、生野銀行設立の発起人の一人として、明治27年(1894年)に取締役に就任しています。次いで、繁次郎も生野銀行の支配人を勤めました。』 ここで、2つのキーワードが出てきます。 1つは「山師(やまし)」、もう1つは「郷宿(ごうしゅく)」です。 では、山師から、たずねてみましょう。 江戸時代、生野代官所から銀山の採掘権を与えられた鉱山師(鉱山の経営者)を、山師といいます。 山師は、下財(げざい)を雇って、銀石を採石します。下財とは、銀石を掘る労働者のこと。 掘った銀石は、山師と下財で、山分けするルールになっていたようです。 史料によると、生野銀山には、約500の坑道があって、それぞれの坑道に、山師がいたとか。 山師には経営規模でランクがあって、大規模な山師は、大山師(おおやまし)と呼ばれたそうです。 吉川家は、白口の鶴林山(かくりんざん)という銀山の経営を、代々務めたと記録されています。 次に、郷宿について、話を聞きました。「生野鉱山を訪ねる近代モダンの旅」の 「築170年、江戸時代の郷宿を再生した古民家で、まったり」でも、少しふれていますので ここは、その追記を書きます。 http://blogs.yahoo.co.jp/baahus5st/428393.html?p=1&pm=l 生野代官所の領内は、現在の兵庫県中北部から岡山県東部までのエリアで、約360の村があったとか。 生野銀山には、6軒の郷宿があって、訪れた村役人たちを平等に分け合っていたそうです。 吉川家の古文書には、作州吉野郡の人の書面が多かったと、解説パネルに記載されていました。 ちなみに、代官所時代、旅人は、当時、神西郡森垣村にあった旅館街に宿泊していました。 現在の六区、JR生野駅周辺あたりです。 郷宿の主人は、社会的にも、とても信頼される立場にあったようです。 公用や訴訟で、生野代官所に出頭する本人にかわって、訴状を書いたり 本人と一緒に出頭に付き添うことなども、郷宿の主人の大切な仕事の1つでした。 6軒の郷宿は、厳格な規則のもとで、助け合いながら、郷宿を営んでいました。 規則には、後継ぎがない場合、互いに世話をする条項もあったようです。 郷宿を「ごうやど」と呼ぶところもありますが、生野では「ごうしゅく」と呼んでいます。 山師と郷宿の様子を、いまに伝える展示品が、展示室にありました。 生野銀山鏈筋大絵図(いくのぎんざんくさりすじおおえず)、銀山入山関係札、数々の古文書、 天保14年(1843)、天保の改革の断行として、勘定吟味役・羽倉外記(はくらげき)の一行が 生野銀山を訪れたときの宿札(井筒屋には勘定吟味方改役の福田所左衛門が宿泊)など、 展示品はすべて吉川家から寄贈されたものでした。 吉川家は、明治時代に生野が輩出した近代洋画家の和田三造とも交友かあったようで 彼のデッサン画や彼の兄弟の作品なども展示しています。 また、蓄音機、SPレコード、家庭用品、雑誌、おもちゃなども展示していて 明治時代から昭和時代に至る暮らしの様子や文化度の高さが、うかがえます。 明治時代のホトトギスや双六広告には、びっくりです。 アイロンだけでも、火慰斗(ひのし)、文化鏝(ぶんかごて)、蒸気鏝(じょうきごて)、 昭和9年のナショナル製の電気アイロンなど、まさに、生活史の変遷を見るようです。 おもちゃは、カルタ、カード、百人一首、すごろく、知恵の輪、ルーレット、ブリキ製の鉄砲など 古き良き時代の遊び道具がありました。きっと、お正月は、いつも、賑やかだったのでしょう。 聞くところによると、吉川さんのお宅から、ハイカラな洋楽が聴こえていたそうです。 ほかに、手動アイスクリーム製造器、振動按摩器、鰹節削り器などもありました。 平成11年、吉川家とそのご家族の皆様のご厚意によって 「吉川邸」が当時の生野町に寄贈されました。 住民と行政の協働による改修プロジェクトが立ち上げられ、何度もワークショップを重ねて 平成15年6月、「吉川邸」は、生野まちづくり工房「井筒屋」に生れ変わりました。 生野町口銀谷地域の景観シンボルとなった、1軒の大きな町家は、国登録文化財です。 2階は、生野町のファンクラブ「生野ひいき人倶楽部」の部屋として開放。 町外から訪れる(帰る)ファンの皆さんを「おかえりなさい」とお迎えする部屋になりました。 地域の住民を中心に組織した井筒屋運営委員会が管理運営を担当。 そのなかに、口銀谷の町並みをつくる会もいくの銀谷工房の入っています。 気さくで、あたたかいおもてなしに、ほっとします。 生野まちづくり工房「井筒屋」 TEL:079-679-4448 開館日は月曜日を除く毎日、午前9時から午後5時まで (資料:生野まちづくり工房「井筒屋」)
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