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名画の条件には色々あると思うが、最も必要なものは何か?
考えて見て下さい。わかった人はなかなかの人です。
答えは「時間」もしくは「年月」です。
そんな馬鹿な、という人はいるでしょうが、名作というものは時間に縛られず、時代を超えて愛されて評
価されなければならないし、時間が経ったからと言って作品の面白さや素晴らしさが伝わらなくなっては
ならないのです。
現代にはテレビもインターネットも色々とメディアもあり、それらのない以前の時代の宣伝とは比較にな
らないほどの大きさでキャンペーンをやる。映画自体の制作費以上の金額が投入されることも少なくない
でしょう。
そういうことを考えれば、かつての名画と今のヒット作品は比較にならないでしょう。当然昔の映像エン
ターティメントが映画だけだったとしても、日本と違い、欧米には舞台があります。オペラもミュージカ
ルも日本の比ではないわけです。実際今でも、舞台が映画化されるという日本ではなかなか難しいこと
が、ハリウッドなどでは多くあり、また、ヒットする。
それを考えれば、当時の映画にヒットは内容が重要で宣伝媒体は限られていた。その代わり批評はその分
厳しいものだった。それは名作を生む土壌だったわけです。
また、大作と名作は違います。それを考えれば作品に金をかければいいというものでもない。
と、講釈が長くなりましたが今回はちょっと古い作品なので。
最初の作品は「ガス燈」です。
イングリット・バーグマン、シャルル・ボワイエの競演作品です。
ハリウッド映画ですが、バーグマンもシャルル・ボワイエもアメリカ人ではない。ヒロインのバーグマン
を救う人物としてジョセフ・コットンが出ていますが、正直あまりパッとしない。アメリカ人らしいです
が(笑)。
この作品は何にしても精神的に追い込まれていくバーグマンと良き夫の仮面を被って妻である彼女を追い
込んでいく色悪(いい男で悪い役のことです)のシャルル・ボワイエの魅力に尽きます。
見ている者はなにかシャルル・ボワイエ演じる夫が変だと気づきながらも、ヒロインをどうしてもやれな
い心理に追い込まれる。不思議な映画です。まさに見ている者が何とか美貌で可憐なヒロインを救いたい
と切実に思い、切歯扼腕する感じ。しかし、観ている者が女性であれば、一世を風靡したの二枚目シャル
ル・ボワイエのその悪役ぶりに翻弄されるかもしれません。
シャルル・ボワイエがこれで悪役を演じたのは、アメリカにおけるフランス人男性像が微妙に反映してい
る気がするのですが、どうでしょう。そういう見方をすると、アメリカ人の男性がヒロインを助けるジョ
セフコットンに対するイメージは僕の感想とはちがうまもしれませんね。
しかし、いい雰囲気の映画です。
でも、カップルで楽しむのは、お薦めしません。なにしろどう考えてもこの二人の競演を見た後では、お
互いが色あせて見えてしまうかもしれませんから。ご夫婦ならば逆に面白いかも知れませんが。色々な意
味で・・・。
次の作品は「凱旋門」です。
映画を見る楽しみは競演者の妙です。この作品は、上の作品と同じバーグマンとシャルル・ボワイエの競
演なのです。しかし、じゃあ、つまらないのではないか、と思った方、ハッキリ言いましょう。その考え
はまったく見当違いな先入観です。
ガス燈では、まだその個性を出し切れていなかった若手女優のバーグマンがここでは、シャルル・ボワイ
エを向こう回し、これでもかという体当たりの演技をします。いわばボワイエに手を引かれていた少女が
成長し、その成熟した美貌と魅力で虜にしようとする雰囲気です。いってみれば、ボワイエは守勢に回っ
ての演技となる。しかし、さすがに彼は二枚目で生涯をすごした伝説の俳優です。そのバーグマンの魅力
を存分に引き出し、これ以上ない魅力的で哀切極まりない女性を演出し、しかも自分は二枚目としての貫
禄を見せる。
恋愛映画としては、これ以上凝ったロマンティックで、しかも複雑な男女の機微が描かれた物語はなかな
かお目にかかれないものです。
僕はまだ、中学生か高校生時分に見たのですが、その世界を見て圧倒された記憶があります。これが大人
の恋愛か・・・。なので、今も大人の愛を描いたなんてコピーの映画を観ても、ピンと来ない。何しろど
う考えても、今の大人の恋愛なる映画は子供の絡み合いに毛の生えた程度の機微でしかない。しかも、つ
まらない台詞の連発、舞台もあまりに雰囲気がなく日常的。
やろうと思えば現実に出来てしまう程度のものです。しかし、「凱旋門」は出来ない。絶対にです。
それは、自分がシャルル・ボワイエでなく、相手がバーグマンではない、という当たり前なことではな
く、映画の中の男女が見せる姿と言ってもいい。また、こんな場所は現実にはどこにもなく、また、こん
な複雑な事情を抱いて愛し合う男女もいない。またこんな悲恋もありえない。しかし、その中にも経験の
ある大人の男と女であれば、わかる恋愛の悲しさも描かれている所が憎いのです。
僕は学生の時に、後輩にどうしたら好きな子とうまくやれるのか(口説くでもその気にさせるでも)と聞
かれて、僭越ながら言ったのは、好きな女性に気持ちを傾けてもらえるような雰囲気を作りたければ、ま
ず自分が天下の二枚目だと思わなければ、無理だと。
この映画にはシャルル・ボワイエがこうやっていい女はモノにするんだといっているようなところが多分
に見受けられるのです。でも、その後で彼は、あの独特なニヒルな微笑でこうも言ってる気がします。
しかし、こんなことが出来るのは私だけだ、と。
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今はリアルな方が受けがいいから日常的なものが多いのでしょうね。
恋は永遠の勘違いですからね。相手をだませる程、勘違いできた
人の勝ちですね。
我にかえらない・・・映画と恋愛に必要なアイテムかなっと思ってます。(笑)
2008/5/4(日) 午前 10:17
きのうNHKの衛生第2で「椿三十郎」をやっていたので観ました。名作は何度見ても楽しめるということを実感しました。毎日1作ずつでも厳選された名作を観ながら日々を過ごせたら,なんかとても心豊かに過ごせそうな気がしました。
2008/5/4(日) 午前 10:27
Love is a start of suffering
2008/5/4(日) 午後 3:28
pikoさん。今の人たちはそうなんでしょうね。それにどこかで失われないと、恋は恋にならないでしょうね。たとえ結ばれてもそれは恋愛ではないですからね。
2008/5/4(日) 午後 8:27 [ bat**yu2*01 ]
nonajunさん。いい作品ですよね。椿三十郎も書こうかと思ったんですが、NHKが宣伝していたので、まあいいか、と(笑)。百聞は一見に如かずですからね。
2008/5/4(日) 午後 8:28 [ bat**yu2*01 ]
USAさんそうかもしれませんが、恋の苦しみはなかなか味わい外のあるものです。それも無い人生の方がはるかに苦痛なのではないでしょうか。
2008/5/4(日) 午後 8:30 [ bat**yu2*01 ]
痛快娯楽時代劇!という言葉がぴったりのいい映画ですよね。何度見ても面白いし,「ふーん」って感心してしまうところがいっぱいあります。
今回の発見は,椿三十郎は偽名だということ。今さらですけど…。『海辺のカフカ』でさくらが自分の名前を名乗るとき,微妙な間があって,そのことを偽名であることの根拠だと書いたことがあるんですが,椿三十郎の場合もまったく同じような台詞まわしになっていることに気づきました。
2008/5/6(火) 午前 8:49
nonajunさん。椿三十郎の面白さは三船敏郎の表情にあるんじゃないかと常々思っていました。強いだけではなくとても魅力的な笑顔や渋面。それが観たくて僕もテレビでやると見るんですが、こういう俳優はなかなかいないですねぇ。それから「カフカ」ですが、そういうシーンがあるならやはり村上はなかなかのものですね。
2008/5/7(水) 午前 5:12 [ bat**yu2*01 ]