机上レポ
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国道138号(神) 昔話 #3 画像
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真鶴有料道路開通記事
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別件で、土木学会附属土木図書館のデジタルアーカイブスを見てる時にふと検索してみたら、 意外と簡単に見つかった 真鶴有料道路開通の記事である 9月3日に開通式が行われた 昭和27年11月着工、31年3月までに4600mを神奈川県が完成 31年4月より日本道路公団に引き継がれる 公団としては、32年9月26日に着工し、竣工したのは34年8月18日となっている 黄区間、湯河原千歳橋から吉浜の外れ辺りまでは、県により既に改良済み 緑区間、吉浜外れから真鶴駅前〜JR真鶴隧道〈当時は国鉄長坂山隧道〉熱海方抗門近くまでを県が工事 紫区間、残り根府川分岐までを公団が工事 湯河原〜真鶴は観光道路以外にも、地元交通の改良という目的があったから 県が先行〜工事の実施を行った訳ね 湯河原〜真鶴間は旧道の拡幅がメインのようだ 断崖絶壁の真鶴〜根府川間は、まったくの新設だし、予算的にも掛かるので、公団が工事を行い、 観光有料道路として開通した・・・ ある意味、理に適ってるなぁ しかし、こうもあっさり謎が解けるとは、、、何年も調べてて判らん事もあるのに
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旧都橋
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とすったもんだのあった都橋の旧橋だが、データだけは見付けた 昭和3年〈1928年〉神奈川縣発行の「吾等の神奈川縣」に記録が見つかった これによると当時、県道厚木−御殿場線の都橋は鋼橋で、 橋長 12間00尺〈21.8メートル〉、幅員 18尺〈5.45メートル〉 架橋されたのは大正15年9月とある 追記.その前にも橋があったのは確実、震災で落橋したか? 鋼橋ってどんな姿だったのだろうか・・・ 橋の種別は、アーチ橋は鋼拱橋〈樋口橋〉、トラス橋は〜式〜橋〈相模橋、宮城野橋、平山橋〉と 記載されてるので、そういう類の橋梁では無く、例えば橋脚があり複数徑間の単純鋼桁とかが考えられる 現橋の昭和29年〈1954年〉までこの橋が架かってたかは不明だが、 鋼橋であれば30年架かってても不思議では無い。水害等で損傷しなければ 写真が残っていそうなので、引き続き調査は行っている 同線、籠場橋は現県道72号線川音川に架かる橋〈もち旧橋〉だが、松田町/落合橋ってドコだ?
と新たな謎が豊富に出て来て困っちゃうな |
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絵葉書 小田原名勝箱根ヲ望ム
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ネットで古絵葉書を探してた私は、コレを見つけてそれこそ「ひっくり返った」 御塔坂の上の山から撮影したと思われる 風祭・入生田方面の風景で、真新しい新道〈現在の国道1号〉が写ってる あんと工事途中! 2012年2月6日補足。 地方新聞の記事見出しより〈日付は新聞記事の載った日〉 着工したのが昭和6年5月28日 内務省直轄工事として、小田原〜湯本間の舗装が完了したのが昭和8年5月24日 昭和5年9月21日の記事では、小田原〜湯本間県道〈もち国道の間違い〉改修は 小田原町風祭地区から着工 〈当時風祭は大窪村。昭和15年に町と合併し、小田原市となる〉 計画どうり進んでいたのなら、写真が撮られたのは昭和6年と見てよいと思う 以上補足 て事は、この写真に写ってる線路は、昭和10年に直通した鉄道線では無く 軌道線が写ってる遠景写真など、殆ど無いのだ 川沿いには田が広がり、人家は山沿いにある。そんな昔の田園風景である 写真全体に広がる田の畦道が、等高線のようだ 後に新道と同じ高さまで嵩上げする土地改良が行われている 道路を横切る水路は今も流れてる。写真の上辺りが現「かまぼこの里」 小田原電気鉄道は、この写真の十数年前には早川沿いの軌道だった訳で、田にその跡らしきモノは無い 左下隅辺りにあるのがその痕跡か 明治軌道が川沿いに写る場所も特定できそうだ こんなに判る写真が出てくるとは思わなかった。まさに今回のレポの為のようだ しかもこの区間は・・・ 長年の謎も解消された |
