徒然ブログ

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米上下院合同会議で退任演説を行うマッカーサー。「老兵は死なず。ただ去りゆくのみ」の言葉で締めくくると拍手はいつまでも鳴り止まなかった=1951年4月19日(AP)


老兵は死なず。ただ消えゆくのみ。神が示すところに従い自己の任務を果たさんと試みた一人の老兵として。さようなら」

 1951年4月19日。米上下院合同会議で、連合国軍最高司令官(SCAP)として日本を占領統治した陸軍元帥のダグラス・マッカーサーは半時間の退任演説をこう締めくくった。

 後に第37代大統領となる共和党上院議員のリチャード・ニクソンは演説を聴き、その感激は自著「指導者とは」にこう記した。

 「マッカーサーは古代神話の英雄のようだった。彼の言葉は力強く議場全体が魔術にしびれ、演説は何度も拍手で中断された。ある上院議員は『共和党員は感激でまぶたを濡らし、民主党員は恐怖でパンツを濡らした』と語った…」

 8日前の11日、マッカーサーは第33代米大統領、ハリー・トルーマンに全ての役職を解任され、帰国した。人生の黄昏を感じさせる演説だが、心中は闘争心でみなぎっていた。

 マッカーサーは52年の大統領選に共和党から出馬し、民主党候補として再選を狙うであろうトルーマンを完膚なきまでに叩き潰す腹づもりだったのだ。演説でも「私の朝鮮政策だけが勝利をもたらす。現政権の政策は長く終わりのない戦争を継続するだけだ」とトルーマンを批判した。

 米国内のマッカーサー人気は絶大だった。愛機「バターン号」がサンフランシスコに到着した際は50万人以上が出迎え、ワシントン、ニューヨーク、シカゴ、ミルウォーキーの各地で行われたパレードには総勢数百万人が集まった。逆に「英雄」を解任したトルーマンに世論は冷ややかで、マッカーサーの第二の人生は順風満帆に見えた。

   × × ×

 米上院軍事・外交合同委員会はマッカーサーを聴聞会に召喚した。テーマは「極東の軍事情勢とマッカーサーの解任」。背景にはトルーマン政権に打撃を与えようという共和党の策謀があった。

 マッカーサーは快諾した。大統領選の指名争いに有利だと考えたからだ。狙い通り、世界中のメディアが聴聞会の動向に注目し、事前から大々的に報じた。

 5月3日の聴聞会初日。証言台に立ったマッカーサーは質問に誠実に応じ、1950年6月に勃発した朝鮮戦争の経緯をよどみなく説明し続けた。

 質問者の共和党上院議員、バーク・ヒッケンルーパーは「赤化中国を海と空から封鎖するという元帥の提案は米国が太平洋で日本を相手に勝利を収めた際の戦略と同じではないか」と質した。

 マッカーサーの戦略の正当性を補強するのが狙いだったが、マッカーサーの回答は予想外だった。

 「日本は4つの小さい島々に8千万人近い人口を抱えていたことを理解しなければならない」

 「日本の労働力は潜在的に量と質の両面で最良だ。彼らは工場を建設し、労働力を得たが、原料を持っていなかった。綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、スズがない、ゴムがない、他にもないものばかりだった。その全てがアジアの海域に存在していた」

 「もし原料供給を断ち切られたら1000万〜1200万人の失業者が日本で発生するだろう。それを彼らは恐れた。従って日本を戦争に駆り立てた動機は、大部分が安全保障上の必要に迫られてのことだった」

 会場がどよめいた。証言通りならば、日本は侵略ではなく、自衛のために戦争したことになる。これは「侵略国家・日本を打ち負かした正義の戦争」という先の大戦の前提を根底から覆すどころか、東京裁判(極東国際軍事裁判)まで正当性を失ってしまう。

 もっと言えば、5年8カ月にわたり日本を占領統治し「民主化」と「非軍事化」を成し遂げたというマッカーサーの業績までも否定しかねない。

 この発言は共和党の期待を裏切り、激しい怒りを買った。マッカーサー人気はこの後急速にしぼみ、大統領の夢は潰えた。

   × × ×

 なぜマッカーサーはこのような証言をしたのか。

 日本の「自衛戦争」を認めた理由についてマッカーサーは回顧録でも触れていない。だが、マッカーサーが朝鮮戦争でどのような戦略を描いたかを紐解くと答えが見えてくる。

 マッカーサーは、朝鮮戦争を通じて北朝鮮の背後にいるソ連、中国(中華人民共和国)という共産主義国の脅威を痛感した。

 朝鮮と台湾が共産主義国の手に落ちれば、日本も危うく、極東での米国の陣地は失われ、防衛線は米西海岸まで後退しかねない。それを防ぐには朝鮮半島を死守するしかない。この見解は国務省や国防総省にも根強くあった。

 ところが、トルーマンは、北大西洋条約機構(NATO)加盟国が「中ソが徹底的に対立すれば、欧州はソ連の報復攻撃を受けかねない」と動揺したこともあり、北緯38度線付近で「痛み分け」にする策を練っていた。

 これに対して、マッカーサーは中国を海と空で封じ込め、毛沢東率いる共産党政権を倒さねば、将来の米国の安全を脅かすと主張して譲らなかった。これがトルーマンがマッカーサーを解任した理由だった。

   × × ×

 マッカーサーの主張は、その後の歴史をたどっても説得力がある。ただ、朝鮮半島を死守しつつ、大陸の中ソと対峙するという戦略は、日本政府が独立を守るために日清戦争以来とってきた戦略と変わりない。

 「過去100年に米国が太平洋地域で犯した最大の政治的過ちは共産勢力を中国で増大させたことだ。次の100年で代償を払わなければならないだろう」

 マッカーサーはこうも語った。これは「米国は戦う相手を間違った。真の敵は日本ではなくソ連や中国共産党だった」と言っているのに等しい。

 マッカーサーは日本の占領統治と朝鮮戦争を通じて日本の地政学的な重要性に気づいたに違いない。「自衛戦争」発言は、自らの戦略の優位性を雄弁に語るうちにポロリと本音が出たとみるべきだろう。

   × × ×

 他にもマッカーサーは重要な証言を残した。

 民主党上院議員、ラッセル・ロングが「連合国軍総司令部(GHQ)は史上類を見ないほど成功したと指摘されている」と称えたところ、マッカーサーは真っ向から否定した。

 「そうした評価を私は受け入れない。勝利した国家が敗戦国を占領するという考え方がよい結果を生み出すことはない。いくつか例外があるだけだ」

 「交戦終了後は、懲罰的意味合いや、占領国の特定の人物に対する恨みを持ち込むべきではない」

 それならば日本の占領統治や東京裁判は一体何だったのかとなるが、これ以上の追及はなかった。

 別の上院議員から広島、長崎の原爆被害を問われると「熟知している。数は両地域で異なるが、虐殺はどちらの地域でも残酷極まるものだった」と答えた。原爆投下を指示したトルーマンを批判したかったようだが、原爆を「虐殺」と表現した意義は大きい。

 このように3日間続いた聴聞会でのマッカーサー証言は日本人を喜ばせたが、ある発言で一転して激しい怒りと失望を招いた。

 「科学、芸術、神学、文化においてアングロサクソンが45歳だとすれば、ドイツ人も同程度に成熟していた。日本人はまだわれわれの45歳に対して12歳の少年のようである」

 ただ、この発言の前後で「学びの段階に新しい思考様式を取り入れるのも柔軟だ。日本人は新しい思考に対して非常に弾力性に富み、受容力がある」とも述べている。「日本人の柔軟性」をよい意味で少年に例えたといえなくもない。

 日本人は大戦で勇猛に戦い、米軍を震撼させながら、敗戦後は驚くほど従順でマッカーサーの治世を称賛した。マッカーサーにはその姿が「12歳の少年」に映ったのではないか。

   × × ×

 1952年7月の共和党大会で、かつての部下で欧州戦線の最高司令官を務めたドワイト・アイゼンハワーが指名され、1953年に第34代大統領に就任した。

 マッカーサーは引退し、ニューヨークのホテル・ウォルドーフ・アストリアのスイートルームで愛妻ジーンと余生を過ごした。軍人時代と同じく常に居間を歩き回り、昼寝を欠かさない規則正しい生活を送った。

 マッカーサーを尊敬するニクソンは、GHQ民政局長だったコートニー・ホイットニーを通じてホテルの自室に招かれ、その後何度も教えを請うた。ただ、欠点も見抜いていた。

 「マッカーサーの最大の過誤は政治的野心を公然と示し、軍事的声望を政治的資産に転じようとしたことだった…」

 1964年4月5日午後2時39分、マッカーサーはワシントン近郊のウォルター・リード陸軍病院で84年の生涯を閉じた。ポトマック川岸は桜が満開だった。

 元首相、吉田茂は産経新聞に「天皇制守った恩人」と題した追悼文を寄せた。昭和天皇も米大統領宛に弔電を打った。葬儀は8日に米議会議事堂で営まれ、吉田も参列した。

 毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい人生だった。マッカーサーの評価は日本でもなお定まらない。ただ、上院聴聞会での証言は軍人マッカーサーの偽らざる思いであり、一種の懺悔(ざんげ)だったのかもしれない。その遺体はバージニア州ノーフォークのマッカーサー記念館にジーンとともに葬られている。

(敬称略)

=おわり

◇ この連載は石橋文登、花房壮、峯匡孝、加納宏幸、森本充、今仲信博、田中一世が担当しました。


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最近、ハードディスクで使用していたパソコンにSSDを導入したところ、Windows7の起動が驚くほど速くなり、ブラウザを始め各種のアプリの立ち上がりが早くなって快適になりました。
 
そこで、全てのパソコンにSSDを導入したくなりましたが、予算的には難かしいのが実情。そこで、フリーで入手できるソフトを使用して高速化を行いました。
 
それはバッファローのサイトから入手可能なRamdiskソフトです。基本的にはバッファロー製のメモリに対応したソフトですが、他社製メモリでも導入は可能です。
 
他社製メモリの場合は、「OS管理外メモリ」は使用できないのですが「OS管理内メモリ」なら使用できます。
 
バファロー製のメモリでも白い箱に入った業務用メモリでは「OS管理外メモリ」を使用できないようです。
 
私の場合、CFD Elixir DDR3-1600のメモリを使用したパソコンと、サムスン DDR3-1333のメモリを使用したパソコンに導入したところ、Windowsの起動が速くなり、インターネットエクスプローラーの動作が速くなりました。
 
このバッファローのラムディスク作成ソフトでは、インターネットエクスプローラーのキュッシュで使用する事が前提なので、ブラウザではインターネットエクスプローラーを使用した方が良いでしょう。
 
グーグルクロームではメリットが無いので残念ですが、このラムディスク作成ソフトを使用するとインターネットエクスプローラーでのサイト閲覧が大幅に早くなりますので、サイト閲覧や検索などのブラウジングが遅いと感じている人は、試してみる価値は十分にあると思います。
 
ダウンロードしてインストール後、かんたん設定では自動的に512MBのメモリを割り当てられます。その後、それより少なく設定したい場合は詳細設定を選択して調整ください。
 
私は256MBに変更して設定しましたが、それでもインターネットエクスプローラーでのサイト閲覧や検索が快適になりました。
 
このラムディスク作成ソフトを使用する場合、パソコンに搭載メモリは3GB以上が望ましいです。
 
●ラムディスクでWindowsの限界を突破する | メモリーMAX増設で ...
http://buffalo.jp/products/catalog/memory/speedup/ramdisk.html
 
●ドライバーダウンロード RAMDISK ユーティリティー | BUFFALO ...
http://buffalo.jp/download/driver/memory/ramdisk.html

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皆さま、御無沙汰いたしております。親の介護で時間が取れず、なかなかブログ更新ができずにいます。今回は私が効果があったと感じられたフリーソフトをご紹介いたします。
 
PCの動作が重くなった場合、インストールしたのに使っていない多くのフリーソフトなどをアンインストールすると軽くなるのは多くの人が知っている事だと思います。
 
不要なソフトをアンインストールしてもダメな場合、もしかするとスパイウェアなどが侵入している場合があります。
 
また、ファイルやソフトを削除しても、一部がレジストリに残っている場合があります。Real PlayerやGoogle Chromeはアンインストールしたとしても、一部が残り起動後にアクセス活動している場合があります。
 
この「Glary Utilities」を私も使用していますが、不要なレジストリ項目・一時ファイル・クッキーなどの検索・削除や、スパイウェア・アドウェアの駆除といったPCメンテナンス作業を一括で行える“1クリックメンテナンス”機能が便利です。
 
私の重くなりすぎた2007年のVistaは、電源ボタンを押してから起動音が鳴るまで5分以上かかり、ブラウザーが立ち上がるまで更に2分以上もかかっていました。
 
そこで、「Glary Utilities」をDLしてインストールし、1クリックメンテナンスで行った後は、動作が改善され起動時間が1分20秒ほど早くなりました。

●複数のパフォーマンス改善ツールをまとめた統合PCメンテナンスソフト
Glary Utilities - 窓の杜ライブラリ
www.forest.impress.co.jp/library/software/glaryutils/
 

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「中国の歴史はウソだらけである」と知っておいていただきたいのは、中華人民共和国が成立する以前には、ひとえに「中国」といっても実は全て別々の違った地域の話だということです。
 
清の時代は連邦制を採用しており、現在の中華人民共和国のような強行的な支配を行わず、各地域の独自性や宗教も許可していました。
 
しかし、多くの日本人は今の中華人民共和国の領土は元々は中国という1つの国で、日本が中国のなかにある満州という地域を侵略したと思っています。
 
では、中国人自身が実際に何をしていたかといえば、満州という土地は清の実効支配がされていない地域だったので、現地の人たちは其の中で権力闘争をしていました。しかし、今の中国は平気でウソをついて話をずらしてしまうのです。
 
満州は元々は中国ではありません。今は中国の一部ですが「現在は中国の領土なのだから歴史の初めから満州は中国である!」と断じて言い張るのが中国人なので、そういう筋道でしか歴史を書かないのです。
 
これは時代錯誤以外の何ものでもありません。中国が自ら歴史的な因果関係を明らかにすることはしないのです。「現在の正当性」を証明するために、都合の良い所を抜いて書きコジツケて主張している。
 
すると、全て日本が悪いという事になってしまいます。中国の言い分は「歴史」認識ではなく「政治」なのです。「彼らの言う歴史認識=政治的プロパガンダ」と言った方が正しいかもしれません。これは韓国も似ています。
 
歴史の因果関係を述べるというより、「まず自分たちが絶対的に正しい」と正当性ばかりを主張しています。「なぜ、事件が起きて間違った方向に進んでしまったのか」という事を説明するときも、まず「自分たちの今が正しい」という視点に立って「ここが変だ、あそこが変だ」という書き方をしています。
 
日本のように古代から遡って順番に出来事を調べるということは精神は持ち合わせていません。私たち日本人が歴史を考える場合、淡々と真実を追求する事が好きで、それが学問であると思っていいます。
 
私たちは「この事件は何が原因で、こういう結果が生じた」と考えるのですが、中国人は例え日本が因果関係を説明したところで、「それは今の日本にとって都合が良いからだろう!」と考える民族です。
 
そうなると、どこまで行っても完全な認識の食い違いの平行線を辿ります。結局は完全な水掛け論に発展。両社とも何とでも解釈できるし、「自分たちに都合が良い歴史だけを摘まみ出すので、両者とも正しい歴史のように見えてきます。
 
例え、それが相手を貶める事を意図していなくても、結果的には相手を貶める事になるのです。この事を言い換えれば、日本が正確かつ正直に歴史の重要な部分を挙げて理由を説明したところで、中国にとっては「それは日本にとって都合の良いところを摘まみ出したに違いない!」と思うわけです。
 
なぜなら、そもそも彼らは自分たちが「そのように今までしてきた」ので、相手を信じていないのです。ですから近現代史の歴史認識の相違を埋めるのは大変に厄介です。
 
彼らは歴史的出来事を順番に書いた詳細な年表ではなく、自分たちに都合の良い箇所を抜き出して主張していますので、因果関係や真相については特に重要ではありません。
 
相手を狡猾に揺さぶる手段としての政治利用なのです。日本人は歴史を実際に起きた出来事として認識し大事にする傾向があります。
 
例えば、祖先が何代も同じ土地で暮らしてきたという実感を持っています。ですから2011年3月11日に起きた大津波でも、明治時代にも津波が起きていた事、更に遡り「平安時代にも大津波が来ていたのに、もっと注意していれば良かった」考えて反省します。
 
日本は歴史が長い国なので、自分が経験していない事でも本当に起きた事だと認識します。そいう意味で「他人を信用しやすい」のです。
 
良い意味で「自国の歴史を信用している」のです。1945年の敗戦後は日本の多くの都市や町が焼け野原になりましたが、これほどまでに復興しました。この日本が空襲で焦土と化した事は十代の若者でも知っている事実です。それが日本人なのです。
 
しかし、中国や韓国は今でも歴史を自己都合で改ざんし続け、間違った歴史を国民に押し付けています。自分たちに都合の良い解釈に書き換え、それを「正しい歴史」だと主張しています。
 
例えば、韓国や中国の歴史ドラマでも絢爛豪華な衣装を庶民が着ていたりします。これは「韓国人と中国人が自分たちの歴史を重要視しないで、真摯な気持ちで歴史に向き合っていない」からです。
 
つまり、過去は自分たちが生まれる前に起きたファンタジーのようなものだと考え、遥か昔の話と今の話と何の繋がりも無いものと捉え、時代の流れと事実を尊重せずに軽視し本気で向き合っていないのです。
 
彼らは基本的に他人を信用しませんし、誰かの発言に対しても本当の事とは思いません。とにかく、他人から言われた事は「頭からウソだろう」と考える習慣が身についています。
 
すぐにパニックになり激怒したりするのも、文明度が極めて低いということです。「信頼できるのは自分だけ=自己中心思考」なので、自分で処理しきれない情報量が入るとヒステリックとパニックがエスカレートして暴動や泣き叫ぶしかなくなります。
 
現在のような状態になって初めて、中国や韓国や北朝鮮の東アジア地域の国々と日本と世界観の違いが明確化してきました。黄色人種だから同じ思考ではないのであって、特にユーラシア大陸の人々は大なり小なり似た傾向があると思います。
 
こうした相違を知る事は日本人にとつて良い傾向です。大陸人は見えないものを非常に恐怖します。彼らにとって、自分たちに利益にならない過去の出来事は価値が無く「今の利益が全て」なのです。
 
そう考えると、中国人(シナ地域の住人)は、都合の良い部分だけを信じているのではなく、全ての過去を信じていないといえます。彼らは歴史を「相手に使えるか?使えないか?」という認識で将棋の手駒ていどにしか思っていないのでしょう。
 
自分たちの利益に使える歴史が彼らのいう歴史なのです。この事を裏返せば、彼らが先祖代々に体験してきた「歴史」が極めて悲惨だったという事です。
 
北や西や南から異民族や他民族の侵攻に晒され、政変や侵攻の度に大陸の広範囲で戦乱が起き、大規模な殺戮や粛清が行われてきました。文化大革命も毛沢東が行った大規模な粛清の側面があります。また朝鮮戦争も同一民族で殺しあう生き地獄でした。
 
そうした過酷な時代を経てきた彼らは、日本人と比較すると精神的に病んでいるようにも思います。日本でも極めて自己中心的な人は、幼少期や若年期の生活が酷かったりする傾向があります。中国や韓国で東日本大震災のような事が起きたら、全土で暴動が発生してしまうでしょう。
 
実は中国人の多くは日本が悪いことをしたとは思っていないようです。そういうと驚く人がいると思いますが、日中国交正常化した前後に日本へ来た中国人たちは、会う日本人んの大半に謝られたので、それから日本人は悪いことをしたと思うようになっていったのです。
 
つまり、日本の過剰なまでの反省が中国を増長させたという事です。韓国の慰安婦問題も事の発端は1991年の朝日新聞の記事からです。日本側が中韓が喜んで増長するようなネタを作ってしまったのです。
 
日本の教科書等で書かれている「日中国交正常化」は間違っています。本当は「中華人民共和国との国交樹立」です。現在の中華人民共和国は「中華民国」とも違いますし、もちろん「清」とも全く異なっていますので、正常化ではなく初めて国交を樹立したのです。
 
この国交正常化の書き方は中華人民共和国が遥か昔から継続して存在しているかのように錯覚させます。欧米のグローバルスタンダードでも同様ですが、他人から奪い取って大金を得る事が人生の目標となってしまう発想は、現代の中国や韓国を滅茶苦茶にしています。
 
そもそも日本は大陸国と違って成り立ちが大きく異なります。アメリカや中国が人工的に作られた国家だとすれば、海という天然の城壁に囲まれた島国である日本は「自然発生的国家」ですので、長い年月を経て継承し蓄積されてきた文化の質が異なります。
 
よって、狭い土地の中で互いに共存し、「他人を踏みつけてまで自分が得すれば良い」と考える人は少ないのです。ですので、同じアジア人であっても、日本人の発想は大きく異なるのです。
 
これは戦国時代の戦いの方法にも見て取れます。大陸の戦争は一般庶民も巻き込んで行われ、犠牲者は軍人だけでなく関係ない市民が殺戮されがちです。しかし、日本は武士同士が戦い、庶民の犠牲者は非常に少なかったのです。これは明らかに「義」があります。

したがって、大陸地域の諸国家、特に中国と韓国と北朝鮮に対しては、どんなに会議や協議が行われても「彼らが正しい」と主張する自己都合で歪曲された歴史認識という埋まらない大きな溝がある。
 
彼らは「歴史の真実」は重要では無く「自分たちが有利になるための手駒」の1つとして使ってきますので何度も蒸し返してくるのです。よって、先に折れた方の負けですから、いつまでも平行線のまま年月が過ぎ去るのです。 

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アベノミクスの影響で、今年の4月頃から急に多くの物が値上がりしました。電気代とガス代も何度も上昇し、5月以降は家電やコンピューターも値上がりしました。
 
まさに物価上昇の1年でした。日銀は「量的緩和および質的緩和」の政策に舵を取り、庶民が味わう値上げラッシュ現象を横目に更なる緩和政策を行おうとしている。
 
昨年の12月の衆院選での政権交代を契機として、安倍首相が唱えている「アベノミクス」が、庶民の生活が良くなるような夢を国民に振りまきながら、現実は良くなっていると感じる人々は意外と少ないのが実情であろう。
 
バブル崩壊以降の約20年、日本は長期のデフレ社会でした。今の中学生や高校生などは生まれた時からデフレ社会の中で育ってきたといえるでしょう。
 
デフレ下では「価格を下げないと物が売れない→利益が薄いので企業が儲からない→社員の給与が上がらないか下がる→更に低価格の商品を求めるようになる、」といった負の連鎖であるデフレスパイラル現象になっていた。
 
安倍首相はデフレからの脱却を掲げ、2%の物価上昇目標を設定する事で、次第に企業が儲かるようにする政策へと転換したとされている。
 
そして日銀も多数の議席を獲得した与党に押される形で日銀総裁の人事も変わり、急激な
量的緩和が行われた。アベノミクスは3本の矢の政策を打ち出していた。
 
1つ目は市場に資金を流す「金融緩和」であり、2つ目は民主党政権で減少した公共事業を大幅に増やし、政府から民間の企業に資金を流す「積極的な財政出動」
 
3つ目は法人税の引き下げによって企業の利益率を増やし、業界を縛っていた規制を緩和して企業間で自由な競争を行わせる「成長戦略」である。

こうしてみると実に頼もしい政策に思えるが、現実問題として「まず最初に物価が上昇して企業の利益が増えてから、其の後に社員の給与に反映される」という構図である。
 
安倍政権は大企業へ賃上げを要求したが、こうした賃上げ要求は今まで組合が行う仕事でした。大手コンビ二や大手自動車メーカーは賃上げを約束し、賞与などに反映されるという。
 
しかし、其の賃上げは主に正社員が優遇され、非正規雇用者には反映されないようである。経済評論家の中には、「こうした3本の矢が波及すれば3年後には下請け企業や非正規雇用者の給与にも反映され増額されるようになる」と言う。
 
だが、単に好景気になるという報道ばかり賑わっていたが、実際に庶民の生活に反映されなければ、いくら特定の産業が潤ったとしても意味がない。デフレ時代も節約を余儀なくされたが、給与が上がるまでは今後も更なる節約を求められそうである。

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