長谷川櫂は俳句の入門書を四冊書いています。
①一億人の俳句入門
②一億人の季語入門
③一億人の切れ入門
④句会入門
俳句を始めた当初、およそ2年前、①と②を読んだのですが、今思い起こせばあまり内容が理解出来ませんでした。しかし最近、三冊目の「切れ入門」を読んでから、「季語入門」を読みなおしてみましたらかなり解るようになっています。一時、「俳句の止め方」に関して迷ったこともありましたが、「切れ入門」を読んでみて目からうろこがおちたような気がします。
書かれている内容については省略しますが、私のように直接師から指導を受けないものにとってはありがたい入門書です。専門家ではないのだから、あまり理屈を考えると楽しくなくなってしまうのではという意見もあります。でも書道を学ぶさい最初は必ずお手本が必要ですよね。うまく書けるようになって初めて手本から離れることができるのだと思います。
この本の締めくくりで著者は以下のように記しています。
ここに書いたことは知識として知っていても何の意味もないということです。俳句は実践的な文芸です。人の俳句を読むだけでなく、自分で詠んでこそおもしろい。同じように切れもまた自分で使ってこそ意義がある。
もう一つは実践するということ矛盾するように聞こえるかもしれませんが、私がこれまで話したことをすべて忘れて欲しいということです。というのは知識を知識として得ただけでは何の役に立たないからです。それどころか、かえってその人を縛る。知識が手かせ足かせになって自由な句作りを妨げる。俳句の世界を見わたすと、知識が邪魔をして変なところにこだわったまま一生を費やす人がいます。(中略)
そうならないためには知識は忘れなければならない。(中略)
これはどういうことか。知識を忘れるということは知識が単なる知識のままでなく、その人の血になり肉になったということです。反対に血肉になっていない知識はなかなか忘れられない。覚えている知識とはまだ見についていない知識なのです。
この本を読んでから過去に落選した句を詠みなおしてみましたら説明の句ばかり。どう直してよいのか分かりませんが、まずい句だなと感じました。習ったこと、特に「切れ」を実践していきたいなと思います。
霜柱俳句は切字響きけり 石田波郷
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