(更科紀行) 1.旅立ち
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芭蕉は「笈の小文」の旅の後、大津・岐阜・名古屋・鳴海・熱田の人々との新境地開拓を確認する俳諧一座の往来を重ねるうちに、あっという間に8月となってしまいました。この秋の名月は姨捨山と決めていたのですが、岐阜を出発したのは8月11日、はたして約160kmを5日間で更科まで到着できたのでしょうか。 更科の里、姥捨山の月見んこと、しきりにすすむる秋風の心に吹きさわぎて、ともに風雲の情をくるはすもの、またひとり、越人といふ。 木曽路は山深く道さがしく、旅寝の力も心もとなしと、荷兮子(かけいし)が奴僕(ぬぼく)をして送らす。おのおのこころざし尽すといへども、羇旅(きりょ)のこと心得ぬさまにて、共におぼつかなく、ものごとのしどろにあとさきなるも、なかなかにをかしきことのみ多し。 <語句> 更科の里、おばすて山の月:「わが心なぐさめかねつ更科や姨捨山に照る月を見て」(新古今)以来、月の名所としての代表的な歌枕。 荷兮子:名古屋の蕉門。子は親しみをこめる敬称。 越人:尾張の蕉門 羇旅:きりょ。旅、旅行。 <口語訳> 更科の里・姨捨山の名月を見ることを、しきりに勧める秋風が、心の中に吹き騒いで、私の心を狂わせる。私と同様に風雅の心を狂わす者がもう一人いて、名前を越人という。 木曽路は山が深く道が険しいので、旅寝の頼りとなるものが心もとないと、荷兮さんが下男を送ってくれた。そのほか皆さんが心配してくれるのだが、かんじんの旅行のことが不案内なので、すべてが不案内なので、どれもこれも頼りなく、万事整わず、逆さまごとなどしでかすので、ずいぶん可笑しいことばかり多いことである。 <感想>
「野ざらし紀行」、「笈の小文」と読み進めてきましたが、「更科紀行」に至って、芭蕉の紀行文のスタイルが確立し、芭蕉にとっての旅とはこういうものなのだという「旅の本意」が確立したのだと感じました。旅立ちの理由が、名月を月の名所で見たいという風流な思いだけだと述べています。「おくのほそ道」でも「春立る霞の空に、白川の関こえんと、そヾろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取もの手につかず、…」と、全く同じパターンなのです。 木曽の秋芭蕉の足あと我もまた とっこ |
