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散策の後半です。
◇休憩しながら横に建つ「数奇屋丸二階大広間」を見ると中が見学できるようになっていた。しばらく見ていたが誰も入らない。では、私でもと思い見学することに。石垣に面した長い廊下の壁には、鉄砲が突き出せる小窓が並んでいた。
◇丁度廊下の左右の橋に「石落とし」があった。ご覧の通り柵はしてあるが、覗いてみてみると…。腰が引けてます。
◇そうそう、数奇屋丸の2階に上がって見えたのが、今年の12月に復元が完成するという「本丸御殿」が見えた。
◇窓から外を見ると「飯田丸五階櫓」が見える。人が小さく見えるので、その大きさがお分かりだろう。
◇いさ天守閣へ!やっと数奇屋丸を後にして、そうそう、このアングルは懐かしい。但しこちら側は裏になるんですよね。あれ?何時のまにかスロープが出来ていた。しかしだ。これがコンクリートで出来ていることを知っているので、上まであがろうか悩むところだった。
◇丁度、ホテルの部屋から見える側である。天守閣への入り口があり、こちら側が正面です。聞けば拝観料が無料になっていた。だったら上まで登りことに。『大小天守閣をはじめ、櫓(やぐら)49、櫓門18、城門29を数え、城郭の広さは約98ha(東京ドーム21個分)、周囲約5.3kmにも及ぶ豪壮雄大な構えで、清正流石垣と呼ばれる優美な石垣と、自然の地形を巧みに利用した高度な築城技術で知られています。加藤家2代、細川家11代の居城として続いた後、明治になり廃城となりました。』(熊本城資料より)
◇モヤに霞んでおりますが、下に見えるのが「宇土櫓」です。ここから見ると、これも一つの天守閣に間違えますよね。方角は奥に見える峰が霊場の金峰山。『霊巖洞に籠もり、兵法家としての生涯の集大成「五輪書」の完成に向けて残された時の全てをかけた。「地・水・火・風・空」の五巻からなる「五輪書」では、武士は戦闘をする者であることを前提に心得や技を著している。』(宮本武蔵資料より)
◇天守閣を降りて、「宇土櫓」の傍へ。屋根には鯱(しゃちほこ)が…どうも、昭和2年に解体修理した際に取り付けられたようだ。この堅牢な構えは掘り側から見るのが一番。この「宇土櫓」も戦火を免れ国の重文に指定されている。重文の中でもここだけは中を拝観することが出来る。
◇「宇土櫓」につながる石垣と塀(へい)だが、当時のままの修理されないままの石垣を見ることが出来る。
◇「頬当御門」前の石垣を抜けて…普通はここから入るんですがね。(笑)あ見えているのは「宇土櫓」です。
◇「頬当御門」を出て、すぐに振り返るとご覧あれ、高い石垣に「宇土櫓」です。この向こう側に「加藤神社」があります。
◇天守閣をバックに「宇土櫓」この構図は多くの人が撮影するポイント。加藤神社の鳥居前からのショットです。
◇加藤神社前の道路を渡ったところが西出丸エリア。「西大手門」へとつづくのだが、ここは復元エリアといっていいだろう。戌亥方角にあるその名の通りの「戌亥(いぬい)櫓」しかし、ここまで来る人は少ないようだ。
◇そこから坂を下っていくと備前掘が現れてくる。ここから見えるのが、「飯田丸櫓」水面に移る櫓と奥に天守閣が…。
◇ここが市役所から一番近い「はぜ方門」への石垣と塀である。路面電車等と使ってくるとここから城内に入る人が多いところ。拝観のスタート地点でもある。
さて、これから先に東の平御櫓(ひらおんやぐら)から西の馬具櫓(ばぐやぐら)まで約242mの塀が続いていますが…写真を撮ったのですが、また、夜の熊本城も散歩して夜景を撮影したのですが、また、やってしまった。そう、写真を全部消してしまたのです。ま、悔やんでも仕方ないので、今月また熊本に出張しますので、再度夜景をチャレンジします。
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