BLANCHECoCoLoマスターのとっておきの京都

京都大好きの生粋の京都人がマウンテンバイクで巡る百寺巡礼

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第425回目は 堀川紫明にある臨済宗の興聖寺を紹介します。
ここは、拝観謝絶していますので、中は見れません。
ここは、別名、織部寺といわれ、古田織部の菩提寺です。
そこで、今回は古田織部について書いていこうと思います。
秀吉政権の桃山時代と言うのは茶の湯の文化が
政冶や経済よりも上位に位置した不思議な時代です。
この時代、どんなに広大な所領を誇ろうとも
満足に、茶を点てられないと、二流の人物としか評価されませんでした。
ですので、ある意味桃山時代というのは、千利休の時代ともいえます。
日本の文化界に君臨する利休の権勢は秀吉に匹敵するものでありました。
千利休には利休の七哲といわれる、高弟がいました。
いずれも、戦国大名です。
荒木村重、高山右近、織田有楽斎、蒲生氏郷、細川忠興、前田利長
そして古田織部です。
千利休が秀吉に追放され、切腹させられる時
他の門弟、大名達は、みな、秀吉に遠慮して、距離を置きましたが
細川忠興と織部だけは利休を見送った、こうこつかんであります。
その、織部があろうことか、秀吉から
利休の後の、茶道頭に任命されます。
利休を最も敬愛したものが利休の死の最大の受益者となったというのも
なんとも皮肉なものです。
そのときの、やり取りは、このようなものです。
本日より、そのほうを、天下様の茶の宗匠にとりたてる。
織部は、突然のこと、呆然としておりました。
そのほうの、最初の仕事は、利休坊主の茶を思い切って変えることだ、と
わしは、最初、薮内剣仲(薮内流茶道の創始者)に命じたが
奴は、その任にあらずと、遠慮し、そちを推薦しおった。
お前は、利休坊主に、自分の後を継ぐのは織部だと言わせたほどの
上手だそうだな、と
とにかく、すぐ、はじめよ、と
すると、織部は、
殿下は、居士の茶のどこが、気に召さなかったのですか、と
すると、秀吉は、坊主めは、茶を飲ませるたび、わしを殺しよった、と
はぁ?
ワケは、自分で考えよ、と言って、秀吉は去っていきました。
まず、織部が手がけたのは茶室の設計でした。
秀吉風に言えば殺す場所の改革からはじめたわけです。
利休好みの茶室の小庭は深山幽谷を模し侘びの境地を具現化したものが
多かったのですが
織部には、あまりにも、侘び過ぎると感じられました。
茶室も、利休は一畳半にまで縮小した、極小座敷を広くしました。
座敷を狭くすれば、それだけ、茶の純度、濃度が増すとする
利休の考え方に、織部は、同意できませんでした。
座敷を、広くした、織部は、さらに窓をもうけました。
お茶を点てる亭主を影絵のように浮かび上がらせる趣向です。
八窓庵には八つも窓があります。
暗くて、床の間の墨蹟が拝見できないようでは、困る。
程よく暗く、程よく狭く、仄かな明るさをもった座敷
それが、かれの狙いです。
こうして、自らが設計した茶室にかれは客を招きます。
もちろん、最初の客は秀吉です。
このとき、ある、仕掛けがしてありました。
柄杓の柄の先を落とし、それが畳に触れるのを合図に
一度に、窓という窓の簾が巻き上がりました。
次の瞬間、仄暗い座敷に光が満ち溢れました。
この、劇的な効果に演出に
客は声を失いました。
このように、利休の茶は哲学でありましたが
織部の茶は演劇でありました。
そして、織部の改革はおおかたの喝采をあびましたが
非難する人も当然いました。
また、織部は朝鮮の役のおり
高麗より持ち帰られた、高麗茶碗に魅せられ
それ以後の半生を
この高麗茶碗を越えるものをつくることに、あてます。
そして、慶長4年、ついにそれが、完成しました。
この年は日本陶芸史上記念すべき年だそうです。
織部の沓型茶碗は瀬戸黒に始まり、草絵を描いた織部黒
志乃織部、さらに緑青のかかった青織部へと発展します。
現在の織部がこれです。
そして、織部は秀吉の死後も
徳川二代将軍徳川秀忠の茶道指南役となります。
このとき、織部は1万石の小大名ですが
もの凄い力をもっていました。
ある時駿府で家康が諸大名を集めて食事会をしていた時
織部が遅れてやってきました。
すると、諸大名はただちに、席を立ち
座ろうとするものは、おりませんでした。
それほど、織部は、全盛時代の利休を凌ぐほどの
力をもっていたし、諸大名の尊敬を集めていました。
将軍家としては、気分のいいものではありません。
そこで、大阪夏の陣の直前に
織部の家臣が、大阪方と通じ
家康、秀忠の暗殺をたくらんだとして、捕らえられ
織部一族も、ことごとく、切腹いたします。
そして、家康は織部の家財を没収し
秀忠と分け合います。
しかし、徳川の体制が固まったこの時期
なにゆえ、織部が反逆を企てたのかは、謎です。
織部一族はこの寺に眠り
男系が絶えたため、娘ムコの一族が後を継ぎ
現在に至っているとのことです。

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が、頑張れー☆超頑張れー☆

全力で物陰から応援しています。

また、コメント書き込みにきま〜す♪♪ 削除

2008/6/9(月) 午前 1:05 [ ★ことみ★ ] 返信する

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