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京都大好きの生粋の京都人がマウンテンバイクで巡る百寺巡礼

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徳川家の隠し砦(金戒光明寺楼門ー洛東)

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第571回目は岡崎は黒谷の金戒光明寺を紹介します。
ここも今回の非公開文化財のひとつで境内はいつでも入れますが
普段見ることの出来ないところを見てきました。
楼門と阿弥陀堂、庭園です。
拝観料は800円と600円で都合1300円です。
楼門は割りと新しく1854年にできました。
二層の楼門です。
急な階段を上ると、この日はすごい風が吹いていました。
残念ながら写真撮影は禁止です。
楼門から外はいいんでしょうと、聞くと、それも、だめですと。
近所の人が、上から家の中を撮られているようで、困るから
写真撮影は、絶対にだめ、とのことです。
ここは、小高い丘で遠くまで見渡せて、すごくいいのですが、残念です。
楼門の中は、宝冠釈迦如来像を真ん中に
左右に、普賢菩薩と文殊菩薩が
そして、その周りは16羅漢像が
そして、天井には幡龍図が描かれています。
一瞬、禅寺かと思います。
そして、次は阿弥陀堂、ここも普段は拝観できません。
ここも天井画は龍です。
このりゅうが素晴らしいです。
そして、御本尊の阿弥陀様
これは恵心僧都の作です。
そして、最後は庭園の拝観です。
この黒谷は幕末に京都守護職会津藩松平容保が本陣としたところです。
そして、新撰組発祥の地でもあります。
ここの虎の間で松平容保と近藤勇、芹沢鴨が喝見して
そして新撰組が誕生したのです。
では、何故、法然が最初に庵を結んだ浄土宗の寺院が
京都守護職の本陣に選ばれたのでしょうか。
応仁の乱で焼けた、この寺を浄土宗の信者である家康が
秀吉の遺産を使って、秀頼に再建させます。
そして江戸時代の初期には
徳川家の隠し砦として大改修します。
普段は寺ですが、いざと言う時の城郭です。
ですので、黒谷に来られた方は、わかるとおもいますが
この寺は城郭造りになっています。
西の入り口は狭く、東は断崖になっています。
そして、次に広大な敷地
松平容保も会津から1000名以上の兵士を連れてきています。
この黒谷には大小52もの宿坊があり
それを、会津藩に提供しています。
つぎに、ここは小高い丘にあり、遠くまで見渡せるのです。
それこそ、あの楼門に松平容保も何度も登ったことでしょう。
ここからは、西軍がやってくるであろう、西南の天王山まで見渡せたそうです。
また、天気のいい日は大阪城まで見えたそうです。
次に立地条件
京都の東の入り口である粟田口まで、馬なら5分で行けます。
そして、御所にも近いので京都の守護地には理想的な条件だったのです。
今はお散歩の人や黒谷幼稚園の子が遊ぶ
とても、長閑で平和な場所ですが
ばくまつの一時期、とても緊張した場所だったのです。
http://cocolo.jisseki.net/

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