新型(豚)インフルエンザの通説を斬る(16)科学論文の検証方法
|
今回は科学的論文がどのように検証されるのか?研究者はどのような責任を負うのか?という話をします。
新型(豚)インフルエンザの致死率に関して5月の Science 誌の論文では 0.4%、8月の PLoS ONE の論文では 0.5% とそれまで流行していたインフルエンザよりかなり高い数値が発表され、世界中が(・・というより日本では特に先走った)パニックが拡がりました。私はこれらの論文を直接批判はしませんでしたが、 (1)致死率の計算は難しい (2)論文の内容には研究者の事情が反映される場合がある (3)私の”科学的センス”ではどちらも現実的な数値ではない ・・ということを折に触れて書いています。 現実的ではない恐怖に煽られて傷つけ合うことは害が大きいと感じたからです。
Science 論文
http://www.sciencemag.org/cgi/content/full/324/5934/1557 Pandemic Potential of a Strain of Influenza A (H1N1): Early Findings (2009) Science 19
PLoS One 論文
http://www.plosone.org/article/info%3Adoi%2F10.1371%2Fjournal.pone.0006852#top Early Epidemiological Assessment of the Virulence of Emerging Infectious Diseases: A Case Study of an Influenza Pandemic (2009)
批判が直接的ではなかったので「論文を読んでいるのか?」と疑問を持たれる方もいらっしゃるようですが、”科学的センス”と書いただけにもちろん読んでいます。
娘の耳に何か悪影響があるのでは?と心配になって論文を読み始め、その後は学生とのセミナーのために論理矛盾が無く説明出来るように勉強したので議論に最低限必要な知識は身につけたと思っています。また、科学者を名乗っている自分のブログ記事の社会的影響や責任も自覚しています。
ただ、匿名でブログを持っている立場で実名で論文を書いている人を批判するのはフェアでないと考えていました。
もう一つ、疫学調査や数理モデルの論文は研究者本人が検証するべきであるというのも理由です。
我々実験系の研究と上記研究は検証方法がかなり異なるのです。
実験系の論文は主に他者による追試で検証されます。 同じ材料で同じ条件で実験をして、同じ解析手法を使った時に同じ結果が出るかということです。 実験材料は共通に入手出来るものが多いし、著者しか持っていない材料(特定のタンパク質に対する抗体など)は著者が追試を希望する人に材料を提供する義務があります。 これとは別に、何らかの生命現象について言及する論文なら、実験条件が生体内に近いのか?解析手法が生命現象を捉えるために適切なのか?という点も議論の対象になります。捏造論文の多くはこれらのアプローチによって暴かれます。 本人が「追試をした人が下手」などの言い訳をしてウヤムヤにすることもありますが、追試をされる恐怖?が私達を恣意的な解析から遠ざけているのです。 これに対して疫学調査の論文は”材料(一次データ)の選び方”がまず問題になるので、例えばインフルエンザ患者の判定は間違っていなかったのか?亡くなった人の死因は本当にインフルエンザだったのか?という点が議論の対象になります。 疫学調査に数理モデルを加味した場合は、その計算方法に普遍性があるのか(他のデータにも応用出来るのか)が議論の対象になります。あり得る追試は著者と同じ生データを入手し、解析に使用したデータの選び方を精査するということですが、実験材料と違って著者が生データを渡してくれない場合もありそうです。
数理モデルの検証は、類似した条件の別のデータ集団を入力しても同じような値が導き出されるのか?といったアプローチになります。
私の知人は「現実の数値にマッチングしない数理モデルは最初に使ったデータに偏りがあったか、計算式に穴がある可能性が考えられる」と言いますが、他人の考えた複雑な計算式の穴を探すのは難しそうです。
つまり、追試が難しく、「私の手元のデータではそうでした」という議論になってしまう点が、疫学調査は現実とは異なるデータが出やすく、それを他人が検証するのが難しいという背景にあります。
例えばムンプス難聴(おたふく風邪による片耳失聴)の発生率も 1957 年:2万人に1人←"Everberg G. Deafness following mumps. Acta Otolaryngol.(1957) 48:397–403. 2005 年:数百人〜数千人に1人←"Epidemiological study of mumps deafness in Japan" Kawamura et al., Auris Nasus Larynx 32 (2005) 125-128 http://idsc.nih.go.jp/iasr/24/279/dj2794.html 2009 年:千人に1人←"An Office-Based Prospective Study of Deafness in Mumps" Hashimoto et al., The Pediatric Infectious Disease Journal 28 (2009) 3,173 ・・と大きくばらついています。しかし実験系論文も疫学調査の論文も追試や再解析をしなくても、論文本文を読むだけでもある程度の正確性の推測は出来ます。
例えばムンプス難聴の場合、1957 年の論文は論外として(高齢の医師だとこの論文しか知らない人も多いですが)、2005 年の論文は大規模病院への聞き取り調査から日本全体で発生しているムンプス難聴の総数を予測しているので同じ患者が複数の病院に通院した例を重複して数えている可能性もあるし、個人病院の患者や治療を諦めて受診しない例を見逃している可能性もあります。
これに比べるとおたふく風邪と診断された個人の経過を大規模に追跡している 2009 年の論文の方が確実なデータであると思われます。
私がインフルエンザの致死率の論文を読んだ時にも、データ集団と解析手法から両者とも完成度の低い部分があり、論文で示唆された致死率は一桁くらいは外す可能性はあると考えていました。
ムンプス難聴の発生率に関して娘のために多数の論文を読み込み、論文や調査に関わった研究者と議論もした経験が○○率を算出するリスクに対する厳しい分析につながっているかも知れません。
一桁というのは、実際の致死率が論文より一桁多い場合もあり得るのですが、当時の雰囲気から論文の方が高い方にずれているのでは?と感じていました。
去年は新型(豚)インフルエンザの致死率に関する論文がたくさん出ていて、どの研究者も「自分は純粋な気持ちで解析した」と主張するだろうし、実際大多数がそうだと私も信じています。 しかし論文が出る度にどんどん致死率が下がっていく・・という現象は、患者数や死者数を調査していた現場の人々や、そのデータを解析して論文にする研究者達に社会の雰囲気が無意識の影響を与えていたことを示唆しています。
PLoS One 論文で気になっていた点は、著者の西浦先生の求めに応じて以下の記事内でコメントしています。
PLoS ONE 論文に関する議論の記録
http://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/62985280.html http://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/62985298.html http://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/62985328.html
バランスを取るために Science 論文でひっかかっていた点も書いておきます。
メキシコでの調査を元にした豚インフルエンザらしからぬ高い致死率(豚インフルエンザは過去にも小規模感染を繰り返していますが、劇的な致死率を示した例がありません)は、混乱期にその他の疾患で亡くなった患者数をインフルエンザの死者数に加えていたのが原因ではないかと考えていました。 予想通り、メキシコ政府から死者数の修正がありましたよね。 これは予防接種後の高齢者の死亡率に日常的な高齢者の死亡率(自然にお迎えが来る率)を入れて予防接種リスクを主張した論文と同じようなミスと同じだと思います。ただ、自分が書く論文も含め、論文はその時点での限られたデータで”およそ”確実である主張をまとめ、著者の責任において発表するものなので、ほとんどの論文は間違いが含まれている可能性があります。 100%の確実性を保証するためのデータを取り尽くそうと思ったら研究者の寿命の方が先に終わるし、たぶん何年やっても完成しないのが科学ですからね。 他の研究者が論文を読むことで科学は発展しますから、ある程度のレベルに達した時点で論文にまとめていくことが、私達の仕事です。
ですから、真摯に取り組んだ結果であれば論文の内容に間違いがあっても責められないと私は考えています。
ただ、真摯のレベルと方向は研究者によって異ります。 私の場合は「真摯に取り組んだのか?」という自問も繰り返すし、論文が出版されてからも「あれで良かったのか?他人が追試したら全く違う結果になるのでは?」と心配でしょうがないです。 批判されると泣きたくなりますが、それでも答えなければならない・・と自分を叱咤します。 共同研究者に渡された捏造データ(cDNA 配列)を気付かずに論文に使った時は、他人から指摘される前に自分で気付いて DDBJ に取り下げ請求をしました。 その手続きが終わった時に「大学教員を辞めて、死んでお詫びする」とまで思い詰めました。 しかし捏造データを渡した国立大学の准教授はさんざんシラを切った挙げ句に「論文が通ったのに何が不満なのか!」と逆ギレしました。少し話が脱線しましたが、科学論文の検証はどれも難しいのですが、科学である以上、いずれ真実は明らかになります。
それでも”生身の人間が壮大な自然の謎に挑む”という科学論文の宿命を考えるに、社会は研究者が刻む一歩一歩に極端な賞賛や批判をせず、内容の一部を誇張してセンセーショナルに取り上げるべきでもありません。
また、科学者本人も自分の研究に対する批判に答える責任があります。
特に疫学調査の場合は、追試が難しいという事情だけに、まず本人が検証する方が次につながるような有意義な議論が出来ると考えています。 過去の自分を斬るのは誰でも辛いんですが、疫学論文は現実とのズレを少しずつ修正していく学問だと社会に捉えてもらう方が良いと私は考えています。 |
数理モデルは、西浦さんの報道への発表は、原稿のチェックが甘かったという事になりますが、ある意味気の毒かも。科学的分析と群集心理は別でありますから。
初期の対応は、政府にも責任があります。日本には入れない見たいな事を言い続けたましたからね。
PCR検査のための症例定義も、出さないようなものでしたし。 神戸と大阪北部のみが、感染元地域されてしまいましたし。
逆に今は、まったく気にしなくってます。ワクチン接種も、WHOの陰謀説まででてきて、厚生省は輸入ワクチンで、たたかれていますし(あの時点で、決めたことは評価されてもいいのですが、接種時期が遅すぎました)。
2010/2/3(水) 午後 5:21 [ おみぞ ]
実名主義というのは、強者の論理でしかないと思いますけどね。そして、実名にしたからといって、良い議論が成立するとは限りませんし。
たとえば、トンデモな主張をする博士がいて、まともな主張をする一介の市民がいるとします。この両者が議論する場合、実名の場合、その肩書きが、内容に対する重み付けを生みます。つまり、主張がトンデモでも、博士号を持つ人間のほうが、妥当なことを行っているように普通は考えるものです。
一方、匿名性が確保されたネット議論においては、その書き込みの内実によって、信認を得ることも可能です。書いているのは誰だかわからないけど、信頼できるリソースを使いつつ適切に書かれた記事は、読者を増やすものです。
議論が荒れるのは、いずれもあるでしょうしね。パソコン通信時代からネットやっている人間としては、互いがよく知った同志でも、言の葉から大荒れになっているのをいくつも見ていますし。中身がいかほどのものか、が大事であって、匿名性は特にそれを引き下げるとは思いませんね。
2010/2/4(木) 午前 1:35 [ gp ]
西浦先生は PLoS One 論文以降も取材を受けていたと記憶しているので、それぞれの時点でもう少し説明を尽くして戴きたかったと思います。
あの論文でパニックになった人々に何度か論文の示唆するところを話したことがあるのですが「ニュースでは本人はそんな事言っていない」などと反論されてしまいました。
本来は毎日新聞他の不適切な紹介をしたマスコミが総括するのが筋かも知れませんが、毎日新聞には彼の論文の取り上げ方がセンセーショナル過ぎると実名でメールを出しても返事が無かったので、難しそうです。
他にも科学的に間違っている記事が複数あって、その度に指摘していますが返事はありません。毎日新聞社としては私はクレーマー扱いかも知れません。
一般人は英語の、それも数式満載の論文は読み込めないので、ニュースにかなり振り回されます。
「ニュースは本人の発言の一部しか取り上げないものだよ」と言っても、言っていない部分が何なのか分からないので、もっと恐ろしいことを言っているのでは?と考える人もいる訳です。
論文に関してはご本人が総括するとおっしゃって下さったので、期待しています。
2010/2/4(木) 午後 0:45 [ bloom@花咲く小径 ]
gp さんおひさしぶりです。
>トンデモな主張をする博士がいて、まともな主張をする一介の市民がいるとします。この両者が議論する場合、実名の場合、その肩書きが、内容に対する重み付けを生みます。
私もこういった議論の例を何度か見ていて、実名攻撃による言論弾圧だと感じたこともあります。
ただ、こちらが匿名じゃなければ「あの程度の論文しか書いてない人に批判されたくないわ」など相手にも攻撃対象を差し出せるので心理的に楽な部分もあるんですよね。
また、「こういう方向性の論文を書いているから、この問題点に気付くのだな」などと議論の背景も分かってもらえるかも知れません。
ただ、私のブログは匿名でも自分が生物系の研究者であることを名乗っているので、科学的な記事は私の職業上の信用にも関わると覚悟して書いています。
ですから私自身が書いた記事も批判を受けるべきだし、インフルエンザ騒動がある程度収束したら、自分の行動が騒動にどのような影響を及ぼしたのか私自身も総括する必要があるだろうと考えています。
2010/2/4(木) 午後 0:54 [ bloom@花咲く小径 ]
温暖化の予測シミュレーションを例に取るまでも無く、数理モデルによる予測系の科学は、悪用すれば世間に大きな損失を与える事も出来ます。
それだけに、研究者は恣意的な仮定を注意深く回避し、研究発表後もその結果にある程度責任を持つべきだと思います。
西浦氏は氏の名前が挙がっているブログを、丹念に訪問し、誤解を解く努力をされていますが、予測系の科学は、予測した事態が発生するかどうかで、研究の評価は自ずと決定します。
温暖化やインフルエンザの致死率など、社会にインパクトを与える予測研究は、研究結果を鵜呑みにせず、自分なりに検証する事が大事ですが、一般の方は報道された数字に疑いを持つ事はありません。
2010/2/5(金) 午後 0:08 [ Bf ]
Bf さんのおっしゃる通り、数理モデルは様々な分野で批判の対象になっていますが、物理系などでは実験を先導するような役割を果たしていると思います。
ただ、気象学や生物学などの複雑系の場合、現実とのズレが大きくなる可能性が高く、その点を十分に認識したディスカッションが論文中では必要とされるでしょう。
それから、私は自分の論文を批判するブログを訪問するより自分のブログで論文の批判を受け入れる方が良いと考えています。それが匿名の意見であったとしても、理にかなったものであれば十分参考になるからです。
西浦先生からは yahoo メール宛てにご連絡を戴いたので、私もこちらの身元を明かした上でそのようにお伝えしてあります。
2010/2/5(金) 午後 0:36 [ bloom@花咲く小径 ]
アメリカCDCの統計では2009年4月〜2010年1月の感染者数が約5700万人、死者が1万2千人(予測の中央値)なので、致死率は 0.02 % 程度と見積もられます(感染者数と死者数に幅があるので、致死率も幅がある点は注意して見て下さい)。
http://www.ibtimes.com/articles/20100212/swine-flu-killed-17-000-ins-report.htm
>about 57 million people infected.
>Between 8,330 and 17,160 people died during this time from H1N1, with a middle range of about 12,000
>But between 880 and 1,800 children died
>between 183,000 and 378,000 people were hospitalized
2010/2/13(土) 午前 10:17 [ bloom@花咲く小径 ]
季節性インフルエンザの致死率 0.1% は通説っぽい部分があるので(日本の場合、超過死亡数という”これくらいの人がインフルエンザが遠因で死んでいるかも”という概念が入っている数字です)単純には比較出来ません。
でもどのような時期に、どのような調査方法をすると、高め(低め)の数値が出やすいといった分析は今後の参考になると思います。
私が紹介した Lancet の学級閉鎖に関する総説は、過去の学級閉鎖に関する論文を全て精査して統計として価値あるものを選んで比較・評価するという試みだったのですが、致死率に関してもこのような総説が出ることを願っています。
2010/2/13(土) 午前 10:22 [ bloom@花咲く小径 ]