母のキモチ、娘のキモチ
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まだ日本にいます。
久々の広島は私が住んでいた20年前とはかなり違っていて、道に迷ってばかり。
でも昔と同じくご飯は美味しく人は優しく気候も温暖。
病院で、おばちゃんたちが入院患者の小さな子やお母さんに
「いい子にしとるねぇー」
なんて気軽に声をかけて笑い合っているのを見ていると
私は良い町で育ったんだなぁ
なんて有り難く思ったりします。
私は生まれは大阪なんだけど子供過ぎてほとんど覚えてないので、老後は広島に帰るのもいいなぁ。
故郷があるって、うれしいことです。
さて。
おかげさまで母の心臓
移植後の拒絶反応もなく、今日から一般病棟の4人部屋に戻れました。
同じ部屋のおばちゃん心臓病仲間と「生還ー♩」なんてキャッキャッと喜び合っているのを見て、ほっと一息。
実は、手術前は「(手術しなかったら)もう先は長くない」と言われていました。
胸骨を切って、心臓を一時、止めて人工心肺にして、人工弁を移植する手術。
「心臓を止めるなんてひー」と思ったけど、今の医療技術では「珍しくない手術」で、失敗も数パーセント。
母の場合は他が健康体だしまだ60代なので、まず大丈夫という話なので私は心配していませんでした。
執刀してくださる先生もその道のプロで、600手術以上して死亡ゼロという、ほとんど白い巨塔の財前先生みたいなお医者さんがチームを組んでくださったし。
ところが!
母
今回の心臓の問題は普通の健康診断で見つかりました
(健康診断って大事ですねぇ。見つけてくれた先生、ありがとう!)
心電図に異常があったんですね。
で、すぐに広島市有数の大病院の心臓外科に回され、くだんの財前先生(仮名)に
「すぐ入院してください。来週、手術です」
と言われたんですが、母、
確かに大きな仕事が1月にあるとは知っていたけれど、「体のほうが大事でしょう!
でも、母は言うことを聞かず。財前先生にも
「手術までに何があっても私は知りませんよ!」
と叱られてしまいました。それでも母は動かない。
財前先生の都合もあって、結局、実際に手術をしたのは3ヶ月後でした。
実際に手術で胸をあけてみたら心臓は肥大が始まっており、弁も硬くなっててぼろぼろ。
(人間の生心臓の弁なんて初めて見たわさ。母はその弁を医学に役立ててほしいと大学に寄付したんで手元にはないんですが)
よく何もなく3ヶ月過ごせたものだ (しかも東京出張まで行ってた)
後に話が出来るようになってから、財前先生の巡回のとき、母が言いました。
「先生、わがまま申しまして、ご心配をおかけしました。
でも、私、納得できなかったんです。
自覚症状もないのに、私がどうして?と。
だから納得してから手術をしたかったんです」
財前先生の「手術をしないと死ぬよ」宣言の翌日、母は1日、図書館にこもって心臓に関する本を熟読したそうです。
そしてセカンドオピニオンも求め、ようやく手術に向き合う決心が出来たとか。
。。。。仕事のためじゃなかったのか。
どうやら吹っ切れたようで、手術のために入院した後は、かなり前向き。
手術後のリハビリでも看護士さんが「ちょっとまってまって」というほど、どんどんやろうとしていて、看護士さんたちから「お母さんはやる気があって、自分から頑張ってだから、私たちもやりやすいんですよ」と言われました。
自分が納得しないとテコでも動かない。
でも納得すると、スパッと受け入れる 母らしいけど、、、
なんて強いんだ。強くて圧倒されっぱなし
でもねー。思いました。
みんな同じと思うけれど、今まで私は地元では「○○さんちのお嬢ちゃん」とか「○○さんとこの娘さん」と呼ばれてきて、これからもそれがずっと続くような気がしていたけれど、そんなことはないんだろうなぁと。
というのがね。
心臓の人工弁って選べるんです。
プラスチックでできた機械弁か、動物の成分でできた生体弁か。
プラスチックの弁は丈夫で長持ちだけど、拒絶反応が出る可能性が高くなり、日々、薬を飲み続けないといけないし、体にも負担がある。激しい運動も難しいかも。
生体弁は拒絶反応は少なめで薬も長期間は必要なく、体への負担も少なくてわりに普通の生活が送れる。けれど、15−20年しか耐用年数がない。
皆さんだったら、親にどっちを使ってほしいですか?
私はプラスチックのほう。
母は69歳になるので、生体弁の寿命が来る15年後は85歳ぐらい。
その時にまた弁の手術をするのは大変だろうと。
ところが母、「生体弁にします!」(きっぱり)
私が「85歳でまた手術するの、体力的に大変でしょ。
毎日、薬飲むのは大変かもしれないけれどプラスチックのにしようよ」
というと、母、「もう手術なんかしないわよ」(あっさり)
私「はぁ?」
母 「85歳まで生きれば十分! 90歳は人間の平均寿命を越えてるんだからね。
私はそれまで好きな仕事をして思う存分生活するほうがいいの。
だったら生体弁でしょ」
私「.....(絶句。口ぱくぱく)
母「いろいろ経験者の話を聞いたり、私も調べたの。
で、生体弁ってもう決めてたのよ。
85すぎたら、あとはだましだまし生きるし。
先生!生体弁でよろしくお願いしますっ
父
もっと反対しようと思ったけど、、、私できませんでした。
母の体、人生。
決定権は母にある。
いくら私が娘でも本人が嫌だといえば無理強いは出来ない。
母の硬い決心の前に、結局、私は何も反論できず(いつものことだけど)。
夜、お風呂で1人で考えました。
もっと反対すべきだったかと(どうせ聞いてくれなくても)。
そして、親が自分の人生をあと15年あまりと見ていることについて。
うん。ショックですね。
15年なんてあっという間だと思います。
いつまでも「○○さんちの娘さん」(←中年になってもそう呼ばれていることもある意味、怖いが)
ではいられないんだと、本当に、真剣に、分かりました。
正直に言います。
何かあれば広島に帰ればいいって思ってました。
そうしたら星一徹そっくりの父と、猛烈に前向きな母が、受け入れてくれるだろうと。
中年にもなって、甘えたことを!って思われるかもしれないけど、内心、どこかでそう思ってました。
でも、この先は、もう違う日が来るんだな。
父帰る、ではなくて、私、帰る。
大人の帰省は、大学生のころの単に楽しいだけの帰省では終わらないのね。
母ほどは無理にしても、私ももっと強くならなくては、、、と思ったのでした。
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