ブログ休みます

今年も8日になりました
パソコン室も寒く、体調も絶好でもないのブログ 休みます、
体調良くなったら、ボケ防止で自分の為ですがブログはアップしたい、
各プロガーさんのは、見て楽のしませてもらってます、
宜しく、 

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だまこ談義
年末に行った (後生掛温泉) は秋田県鹿角市にあります、秋田はキリタンポ鍋が有名ですがキリタンポ発祥地が(鹿角市)の様だ!
素材、作り方はキリタンポと同じだが形違いで(だんご状)のものが (だまこ)で日本海側の(五城目町、八郎潟町)あたりが発祥地で継承されてきたのではと思う?
 
年末の(後生掛温泉)の自炊で会のシェフが(だまこ鍋)を作ってくれた、キリタンポの代用的なだまこを、一工夫して、おこげ風に焼いたり、油で巣揚げしたものを、鍋にしたが、キリタンポの様に煮崩れもせず歯応え、食味も濃厚になり斬新でこぶる美味しくインパクトがあった、そんな訳でアップに及んだ、
作り方は御飯を5分潰しにして、練気味に丸めたものを薄引の油で素揚げした簡単なので正月早々に作ってみました、
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鍋汁はお雑煮の残りがあったので、これを使いました、
翌日、残り御飯、残り汁で、簡単に出来ちゃう所が嬉しいです、
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後生掛温泉物語・・・

それ誤解です
今月12日、網膜剥離で目の手術をして、現在も目薬をして養生中で、治ってるとは思うが常に目の状態を確認するのに、片目を交互に閉じて開くして遠くを見るをくり返ししてる、
今回、温泉の休養室で、(これを無意識やっていた) ふと前方をもると、後期高齢のオヤジさんと目がパチーンとあった、
目は口ほどにものを言うとは、良くいったものである、
やめてよ、この年で、そんな趣味はありません気持ち悪い言っていた、そんな訳で私はとても恥ずかしい居ずらい思いをしました、
年末の土壇場でこんな、ドジな笑いのブログアップ出来て嬉しく思います
今年もお世話になりました」、良いお年を、
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後生掛温泉はツール、
後生掛温泉は素晴らしいところではあるが、温泉はツールで、(コミニュティー)を楽しみに来て方も多い、
私も年末の常連で何人かここで知り合った、顔ぶれもいます、
そんな何人かのなかに、神戸からの山屋で2年ほど一緒に山スキーに出かけた仲間と今回再会した、
30歳、そこそこ女性ですが、今回足が不自由で引きづってたので聞くと、左足首くろぶし付近を複雑骨折して両サイドには15cmほどの手術跡があった、
私も同じところ骨折した事あるが、ビスを入れて、骨を固定して繋いでのである、完治までは1年かかります、
私の場合は、谷川の岸壁での滑落でしたが、彼女は、簡単な沢登りで1m位の岩を乗っこすのに岩の隙間に片足を入れたまま転倒して抜けず足首を捻ったアクシデントだったとか、ヘリを要請して下山したらしいが、
 
ここで通信手段で重要なキーワードが一つあった
猫も杓子もスマホー時代で、それ以外の携帯はガラケーなどと呼ばれバカにされてる、語源は進化に取り残された(ガラパゴス島の生態)のことで、頭が進化に付いて行けないことを(おちょこってる)差別用語(笑い)です
ところが、この携帯は電波に強く繋がったそうです ¨ガラケー¨ 様々である、
(画像は2012年末に一諸に行ったときのものです)
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後生掛オンドル温泉

27〜29日秋田八幡平標高1000mの高地にある(後生掛温泉)をベースにして、アウトドァーしてきました。
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後生掛自然深究路
福島市の山岳会(登高会)のスノートレチング組に入れてもらい、雪上を散策します
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大湯沼
大きな温泉沼で一休み
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豪雪地帯
避難小屋の一階部分は既に埋まってます
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オンドル温泉部屋 
館内は、地熱オンドルで半袖Tシャツに半ズボン、が定番でまるでハワイです、
画像はアウトドァー関係向けの大部屋の風景です、
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山スキー組(6人)は豪雪をラッセルして5時間後頂上を踏みました、
私はゲレンデスキーに温泉してました。
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後生掛温泉

27〜29日の計画で後生掛温泉にきてます。
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仙台へ

22(月)
昨々日は目の手術後の検査で、仙台に行って来ました、
私などは、普段は車社会でどこに行くのにも車ですが、今回は、電車や地下鉄を利用して行って来たので、
私からすれば、都会的で新鮮な電車社会の人間模様を感じてきました、
駅ビルのデパ地下的食品惣菜などには食べた事もないない、今後も食べる事ないハイカラな食べ物があったりで、楽しいですね、、田舎のオッサン、丸出しでした、
 
一角のある、焼き立てのパンの匂いに惑わされ、(もちもちきなこパン)、(おじや焼きパン)
素朴なネーミングに惹かれ、おやつがわりに購入して、併設の喫茶フロァーもあったので、
コーヒーを飲みながら、食べましたが田舎のオッサン一人で、場の雰囲気に溶け込まず、浮いたて感はありました、
 
駅ビルのお土産店通りに行った、仙台は、笹蒲鉾、牛たん、が名物で有名店の直売店が沢山あって賑ってた、
仙台牛タン焼き定食は、水で揉んで柔らかくしてから熟成したものを焼いたものである、肉屋さんで売ってる、(ベロ) とは違う、その一工夫が柔らかくて美味しの秘密です、
アホ面してたら、試食が差し出された、燻製的なものだった、ゲテモノ好きの私でも、野生のイノシシも若いのは、美味しいが、歳をお召しになると、獣臭くなって食べれません、そんな風味の記憶が蘇えた、あの試食を食べて旨いと思って買う人いるだろうかと思ったりもしました、
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昨日、知り合いと、2ヶ月ぶりに破壊的震災地の(石巻市)に行ってきました、
何時もながら、湾岸の高速三陸道は方々で大規模な道路工事がなされ、一般道もダンプ車が頻繁に往来していた、
帰りは夕方の6時頃だったので三陸道では、復興工事の関係帰りの車で大渋滞だった、
 
私の住む近くの沿岸、亘理町、山本町でも(有事)を思わせる異様な風景が展開してる
青森、岩手、宮城、福島、茨城、の沿岸は皆同じです、
オリンピック景気など言われる言葉ありますが、そんなのに比たら、規模的には金魚と糞の違い以上かもしれません、
アベノミクス効果、などと言われ、企業の景気は上向きであることは確かなようだ、
実はアベノミクスが結果を出してる背景は、被災地には無礼な言い方ですが、
東京にいれば、実感として震災など忘れ去られてので、誰一人言わないが、悲しいかな、震災復興経済効果が後押してるのは間違いないでしょう。

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眼の手術で幾つか感じた事がある
眼の手術、イメージ」的には簡単に考えてました、手術をすれば、翌日から、パッチリと見えると思ってた、
しかしそれは大きな間違いでした、
私の場合もそうだが多くは、単純に説明すると、手術って言っても、切る感じでなく、まぶたの下裏側の辺に0.5mm位の穴をあけて、めん玉の裏にある、濁った硝子体のゼリー状の液体を吸い取り,網膜剥離したところを、レザーを当てて繋ぎ、濁ってたゼリー状のところには純水を注入します、
局部麻酔もするが麻酔が切れても痛みはなく、手術とは名ばかりの簡単なものだった、
 
ところが々・・・、これには確率的にも高い大きなリスクが伴う、
剥離が大きければ、ガスを注入して、≒10日間、常にうつ伏せの姿勢で回復を待ちます、
純水を注入しても、濁りが、だんだんと薄くなれば良いが、逆に濃くなれば再手術になります、
又網膜が元気でなければ、視力はガクンと落ちて回復は見込みない言う、そんな大きなリスクのあるのが眼の手術であることを学習しました、
 
幸いなことに、私の場合、実年齢より頭が単純!(笑い)と身体年齢が若く、網膜も元気で、視力も落ちず、
逆に老眼が治り眼鏡なしで新聞もバッチり読めるようになりました、
又白内障の手術も一緒にしたので、感じとしては、ダメになってススけた蛍光灯を交換したときの様に、パッ〜と視界が明るくなりました、本人もびっくりしてます。
何事もそうだが、イザというときは、実年齢より身心年齢が分かれ道です、他人の意見などに惑わされる事無く、疲れないペースで好きな事を楽しくやった事が正解でした。
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目の不具合

眼の手術をしました、
推定するに、大型デスクトップパソコンが壊れた頃、大した技術も無いのに、いじくり廻すのが趣味で修復に思い詰めて、眼が疲れ切ったのでしょう、眼に不具合が起きた、
街の眼科に行ったが、それほど簡単なものでなく、
東北では超有名な大学病院を紹介されて、手術してきました、
手術後の経過は順調で今日退院してきました、
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凄い人に会いパワー貰いました、
眼の手術も、病気三昧でみっともないので、黙ってるかと思ったが、病院で、病魔と戦ってる人たち触れ
そんなことは安ぽい考えでしたのアップすることにしました
入院した時は、12階の棟でした、私が手術した翌日、福岡出身、50歳位で両目が全く見なくなって半年手術待ち待期の方が入院してきた、奥さんも子供も福岡にいるらしいが、根ほり葉ほり、聞くほど野暮ではないので事情は判らないが、 ★闇夜に耐え切れず頭がおかしくなり一時は死ぬかと思った事あったと言ってました、
その方の手術は成功してr明かりが射した時は、熱い握手を交わしました、
片目でも見える様になった時の喜びようは、今まで生きてきた中で、これ以上のことは無かったと言ってました、
 
12階の眼病棟が満杯で経過が順調な人は他の階に移されました、私もその一人で病棟は、がんの抗癌剤治療棟でした、抗がん剤も、5種類あるそうで、その種類を、長いスパンで、入退院して試行錯誤するそうです、副作用も半端ではなく、そんな状況でも、同じ仲間が集まり、歓談して明るいのである、
昨夜は、震災のときの話をしてくれました、マンモス病院でも、しもじい思いをしたらしいがそんなことより家族の安否が判らないのが一番辛かったと言ってました。
 
 

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