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宴会(banchetto)

イタリア人は宴会好きである。シエナのパリオ祭に参加した時、心底そう思った。
1983年の8月、友人のドン・ティート神父が主任司祭をしているキリンのコントラーダ(地区)が優勝したことがあった。
1ヶ月ぐらい経って、コントラーダの住人が1600人集まって、飲めや歌えの祝賀会が開かれた。会場になる広場には、動物園から借りてきた本物のキリンが檻の中にいた。
宴会は夜の8時から始まり、夜中まで続いた。何を食べたかは、定かでないが、とにかくワインを痛飲したことは憶えている。
広場での宴会といえば、15世紀からヴェネツィアのサン・マルコ広場において、カトリックの祝祭日にあわせて、開催されていた公開宴会が有名である。ヴェネツィアの統領は共和国の各地の産物を提供することで、その治世の成果を誇示したのである。この宴会の招待客は共和国の役人だった。市民の衆人環視のゆで食べるご馳走はどんな味がしただろうか。
宴会は古代社会から存在していた。古代ギリシアではSymposionという形式の宴会があり、エトルリア文明の社会にも、ギリシアと同じような宴会が行われていた。
最初は小さなテーブルの周りに座っていたが、その後寝そべって食事をするようになった。ローマのエトルリア博物館には、お棺の上に横臥する新婚夫婦の彫刻がある。おそらく宴席をともにした夫婦の姿を永遠に残そうとしたのであろう。
古代ローマの時代になると、トリクリニウムと呼ばれる食卓の三方に三つずつベッドを並べる横臥食卓が使われるようになった。食事の内容はますます贅沢なものになり、前菜から始まり、肉と魚のメイン料理、ワインに適した料理、最後にデザートと、現代のコースメニューの原型が、このころ確立した。
この古代ローマの宴会料理がルネサンス時代に復活するのである。フェッラーラの宮廷において宴会をコーディネイトしたメッシスブーコや教皇庁で調理長として腕をふるったスカッピなどについては、それぞれの項において述べることにする。
人々が集い、食事をすることは、どんな人間にとっても大きな悦楽である。多くのイタリア人は昼食と夕食を家族と共にしている。毎日二回も家庭宴会を開いているようなものだと思う。

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