若山炭鉱・共同浴場跡
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若山炭鉱は下関市と宇部市の中間地点の山陽小野田市の海沿いにあった。 正式には若山産業梶鉱業所という名前で、1953(昭和28)年から1969(昭和44)年まで操業していたそうだ。 炭鉱跡のある岬は操業時に出たボタで整えられ、現在はゴルフ場として使用されているので、 ここのゴルフ場を利用すれば何かしらの遺構が見つけられるかもしれない。 だが、今回はそんな用意もしていなかったしゴルフ場の営業も終わっていたので、当初からの目的、 ここで働いていた鉱夫やその家族が使用していたとされる共同浴場の跡を探す。 しかし、共同浴場は残っていたとしても、それを利用していた人々が住む炭鉱住宅は撤去されたのか、 長年の風雨によって崩壊したのか、その周囲には殆ど見当たらない。 最盛期には、かなり判り辛いと思うが下の写真手前の草叢にも多くの炭鉱住宅が建っていたらしい。 海沿いにその共同浴場の残骸があるそうなのだが・・・なかなか見つからない。 時は既に夕刻、陽もだいぶ傾いてきている。それでも場所だけは・・・と海沿いを探し回ったが、 それらしきものには一切お目にかかれず、もう諦めようかと思った頃、 そのゴルフ場の脇から海沿いへ下っていく細い道を見つけた。 そこを降りて行くと、六洲望見楼という旅館が建っていた。 「こんなところで商売なりたつのかな?」という心配をよそに、結構お客さんは入っている様子。 そこは波打ち際にほど近く、防波堤で囲われていおり、その向こうは砂浜で小さな入り江になっている。 後でよく見ると、それは砂ではなく、おびただしい貝殻でできた“貝殻浜”だったのだが。 その入り江の先に探していたコンクリートの構造物はあった。 このような海沿いなので、上屋は台風で流されてしまったのか、それとも自然崩壊して流されてしまったのか・・・ いずれにしても上屋の残骸は殆ど無く、基礎や浴槽のコンクリート部分を残すのみ。 手前の浴槽は、基礎が崩壊してしまったのか、或いは沈下してしまったのか、大きく傾いている。 奥のものは多くの柱で支えられ、こちらはまだ水平を保っていた。 当時の炭鉱住宅に風呂は無く、共同浴場が設けられていたそうだが、 それにしても、こんな海沿いによく造ったものだ。 今日もそうだったように、風呂に入りながらこの見事な夕焼けを眺めさせたかったのだろうか? それにしても、この様に浴槽を高く上げた理由は何なのたろう? 崩壊している方も、かつては隣の浴槽のように柱で高い位置に造られていたのだろうか? 考えられるのは、波打ち際故、潮の干満や高波を避けるためなのだろうが、 そうすると床はどのような構造だったのだろう?木か鉄骨で組んでいたのだろうか? まさか梯子か階段で登って浴槽に・・・なんて、遊園地のプールみたいな施設ではないような気がするが・・・ |

1枚目2枚目6枚目の風景 雰囲気充分捉えてますね(^_^) それに高床式浴場の構造は 私もあつさんが考えてる通り(波打ち際故、潮の干満や高波を避けるため)なのではないでしょうか? 今日の ただの日記と共に 小野田や宇部と聞くと 炭鉱と言うよりむしろ セメントとしての賑わいを想像してしまうのですが あつさんの>それがかつての繁栄を思い起こさせるように、なんとも寂しげだった!!と言うコメントが 今の社会全体の風刺をしてるようで それが何故か寂しく響く言葉に感じます!!
2007/4/5(木) 午前 0:26
今もまだ見てるのですが もの悲しくそうして 落着く風景と静かな記事の内容に 傑作置いていきますね (^_^)(^_^)
2007/4/5(木) 午前 0:29
すごいところに共同浴場が・・・(@@;)美しい夕焼けの海からは想像しがたい浴槽ですね。。。浴槽の写真だけ見ると、ローマ遺跡の残骸のようです〜(^^;
2007/4/5(木) 午前 1:23
梶の炭鉱跡はこのようになっているのですか。若山炭鉱は土地は広くて私の実家のあるところも若山炭鉱の土地があります。この梶から本山岬までの海岸沿いは昔は桜山炭鉱、新雀田炭鉱、大浜炭鉱、本山炭鉱とこのように並んでいました。梶炭鉱はけっこう遅くまで開いていたと思います。上の4つの炭鉱は今では全く姿はありません。小野田セメントも影が薄く今では他と合併して「太平洋セメント」と思います。今でもある徳利釜が在りし日のセメントです。
2007/4/5(木) 午前 5:34
炭鉱で働く人達の為の共同浴場ですか。過酷な労働条件の下に働いていた人々の楽しみの一つだったでしょうね。美しい夕日と対照的に打ち捨てられた様な浴槽跡に感動です!私もポチッ☆
2007/4/5(木) 午前 8:47
良いですね〜あんな風呂入ってみたいです!でも少し高い波が来たら被りますね^^;
2007/4/5(木) 午後 8:26
ダイナさん、私も宇部・小野田と言うと、先ずセメントを想起してしまいますが、元は石炭だったのですね。思えば筑豊も、石炭無き後はセメントですし、大手セメント会社も石炭からセメントに転換したケースが多いですよね。石炭があるところには石灰も多いのでしょうか・・・?その共通点を調べてみるのも面白そうですネ。“傑作”ありがとうございます!(^_^)
2007/4/6(金) 午前 0:15
ひまわりさん、私もローマのカラカラ浴場を思い出しました。当時はこの夕日を眺めながら湯船に浸かり、一日の疲れを癒したのでしょうか・・・今となってはその当時の賑わいを想像だにできませんネ。
2007/4/6(金) 午前 0:18
Miyokoさん、梶という地名をご存知とはサスガですね!若山炭鉱の敷地は、ほんとに広い地域にわたって存在したのですね。それほど沢山の名前があるとは知らず、Miyokoさんのコメは大変勉強になりました。この4つに加え、確かにここ梶も炭鉱自体は見当たりませんでした。“徳利釜”という名も勉強になります。コメ、本当にありがとうございました!!
2007/4/6(金) 午前 0:24
nuagesさん、うんうん・・・私もそう思いました。是非、この浴場が現役で使われていた当時の写真が見たかったです。なので、今後も当時の写真や文献を探してみようと思っています。ポチ、ありがとうございました!
2007/4/6(金) 午前 0:28
フーバーさん、この夕陽をみながら風呂に入れたら最高でしょうね!ただし、その前には一日の過酷な労働がありますが・・・位置的には、この背後の崖の上でも良かったと思うのですが、どうしてここまで低い位置、しかも地盤の悪い海岸線にしてしまったのか謎です。
2007/4/6(金) 午前 0:32
普通の炭鉱は坑道に入口が今でも残っていますが、梶炭鉱の場合は見当たらなかったのではありませんか。この炭鉱の坑道の入口はたぶん、海の中だと思います。説明が可笑しいですが、子供の頃、私が住んでいるところから、下関に向かった眺めた時に、梶の炭鉱には海に向かって桟橋が出ていて、夜になると、この桟橋に灯りがともります。この桟橋の端に坑道の入口があるといわれていました。
2007/4/6(金) 午前 4:48
Miyokoさん、坑口はたしかに見当たりませんでした。でもそれは筑豊の炭鉱にもよくあることで、埋め戻された上で撤去されたのか、或いはゴルフ場内にあるものかと思っていましたが、なんと!ここには桟橋の先の沖合いに坑口があったのですか!?今回も大変勉強になる内容、ありがとうございます。ならば、もしかしたら桟橋の付け根の基礎が、探せば残っていたかもしれませんね。またここへ行く機会があったら探してみます!
2007/4/6(金) 午前 11:26
空中風呂?軍艦島の事務所奥のお風呂も二階にありました。眺めよさそうですね。仕事の疲れもスカッとしそうな…
2007/4/7(土) 午後 1:23
夕日が綺麗ですね〜・・・・当時は沢山の人々で賑わっていたのでしょうね〜・・・夕日の写真がとても綺麗なのでポチっとな!(^−^)
2007/4/7(土) 午後 3:36
こういちさん、そうでしたね、軍艦島の共同浴場を紹介されていましたもんね。ここは海風も気持ち良さそうですが、やはり炭鉱の労働はハードだったんでしょうね…
2007/4/7(土) 午後 9:19
JOYさん、ポチありがとうございます!今は住居跡も工場の跡も雑草や藪で覆われてしまっているようですが、当時は今とは全く違う世界が広がっていたのでしょうね。(哀)
2007/4/7(土) 午後 9:21
こんな所に共同浴場があったんですね!一部だけでも残っている事に驚きです!6枚目の夕焼け雰囲気があっていいですね〜!傑作です!
2007/4/8(日) 午後 6:45 [ masashi0809s ]
masashiさん、いつ頃作られたかはわかりませんが、こうして半ば崩壊しつつも残っていたのには感激しました!“傑作”ありがとうございます。
2007/4/8(日) 午後 11:35