福岡第一飛行場跡(1/2)
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先週訪れてみた“福岡第一飛行場跡”。
漸く記事ができたので、少々遅くなりましたがUPさせていただきます・・・
現在は福岡市の内陸に位置する“福岡国際空港”。
国内線は勿論のこと国際線も乗り入れており国際空港として機能しているが、 ここは、終戦直前の1945(昭和20)年5月に、旧陸軍の“席田(むしろだ)飛行場”として完成。 終戦後は米軍に接収されて“板付(いたづけ)基地”となり、 1972(昭和47)年に米軍からその大半を返還されたもの。
この飛行場とは別に、福岡市の東、
海沿いの粕屋(かすや)郡和白(わじろ)村(現在の福岡市東区)、雁の巣(がんのす)に “福岡第一飛行場”という空港があった。 1936(昭和11)年に開港、当時としては羽田に次ぐ日本で2番目の国際空港だったらしい。 下の地図上に描いた水色の部分の様に、“X”字状に1,700mと1,300mの滑走路があった他、 すぐ南側の和白湾には水上飛行艇も発着していた。 ここからは主に京城(現在のソウル)、大連、上海、台北など、 日本が植民地としていたアジア諸国へ定期便が飛んでいたそうだ。 この飛行場が出来る以前にも、付近に“名島(なじま)水上飛行場”があったが、 ここは水上飛行艇専用の飛行場で滑走路は無く、 “福岡第一飛行場”が出来たことで、“名島水上飛行場”は“福岡第二飛行場”とされたようだ。 因みに水上飛行艇(旅客機)とは、滑走路の代わりに、 波の無い湾や湖などの水面を利用して離発着する飛行機。 写真は、この飛行場に飛来してきたものとは違うが、このような飛行機が使われていたのだろう。
現在、この“福岡第一飛行場”跡地の殆どは、“雁の巣レクリエーションセンター”として、
主に野球場やサッカー場が配され、 福岡ソフトバンク・ホークスやアビスパ福岡の練習場としても使用されている。 その為、滑走路など飛行場の遺構は殆ど無くなっているが、 その一隅には飛行機の格納庫があった名残が遺されている。 それが下の写真の土間コンクリート。 上の地図にある“アイランドシティ”と呼ばれる人工島が出来、 そこを結ぶ橋が出来る以前は朽ちかけた格納庫が遺されていたそうだが、現在上屋は全く無い。 上の写真の、コンクリートで囲われた小部屋(?)のような部分が唯一、地面から突出した遺構のようだ。 このレールは・・・格納庫から飛行機を出し入れするための大型の引き戸のものだろうか?
次は“雁の巣レクリエーションセンター”の敷地から出て、海(和白湾)方向へ。
その途中には、ここに飛行場があったことを示す石碑が2つある。 一方は、表に「海の中道 由緒も○き 雁の巣花」(○は判読できなかった)という句が彫られ、 裏には・・・
白砂青松ノ丘博多湾ニ面シタル雁ノ古里ヲ選ヒ 水陸兼用ノ國際飛行場ヲ建設ス、
・・・という文字が刻まれていた。昭和十年一月起工シ翌十一年五月竣工ス場内面積十八萬余坪 昭和十一年六月 福岡飛行場建設事務所 今では信じられないほど跡形も無くなっているが、やはりここに飛行場があったのだ。 もう一方の石碑には「球磨号遭難者慰霊碑」とある。 後で調べてみると、この“球磨号”とは当時存在した“大日本航空”という会社の、 ロッキード(当時はロックビートという社名だったらしい)社製双発プロペラ機。 これが1939(昭和14)年5月17日、 ここ福岡第一飛行場から朝鮮・京城(現在の韓国・ソウル)を経由して北京に向かう予定だった。 ところが離陸直後に左エンジンのトラブルにより飛行場近くの松林に墜落。 この事故で乗員3名・乗客8名のうち、乗員2名・乗客4名の6名が死亡し、他5名が重軽傷を負ったそうだ。 その事故を悼む慰霊碑のようで、その手前にはお地蔵様も建立されていた。 これら石碑がある部分が飛行場の入口だったのだろうか? 道路が二手に分かれており、米軍キャンプの入口などにありがちなゲートのようにも見える。 その道路の間には小さな建物の跡と思しきコンクリートの土間。 戦前に民間空港として使用されていた頃はどうだったか分からないが、 戦中の軍管理下にあった時、或いは戦後米軍に接収されてからは、 ここに飛行場へ入るための検問所があったのかもしれない。
福岡第一飛行場跡(2/2)へ続く。
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