その朝、アッシュ・リンクスが目を覚ますと、いつものように隣のベッドは空だった。早起きのルームメイトは、もう既に一日を始めているに違いない。
いつもと違うことといえば、数日前から突然ドアの近くにかけられた、自分の名前の書いてあるクリスマス用の靴下が、今朝は、はちきれんばかりにぱんぱんにふくれていたことだった。
(まったく、英二の奴、子供じみたことしやがって・・・)
アッシュは身体を起こしながらそう思ってみたものの、その顔にはかすかな笑みが浮かんでいた。
寝起きの悪い、いつもの朝より幾分身軽に、彼はベッドから出ると、自分のクリスマスソックスのそばに行った。
そして、ソックスを素早くつかむと、再び自分のベッドの上に座った。
ソックスの中は、たくさんのお菓子でいっぱいだった。
アッシュは、わくわくする気持ちを抑えるように、そのうちのチョコレートの包みを開けて、口に入れた。
チョコレートの甘さが、口の中に広がった。
「アメリカのクリスマスって、どうするの?」
何日か前、街に買い物に行ったとき、英二が言った。
「そうだな、ツリーを飾って、家族でプレゼント交換をして、ご馳走を食べるのさ」
「ふうん。楽しそうだな」
「まあな。子供の頃は、楽しみだったな。朝起きると、クリスマスソックスにお菓子がいっぱい入っててさ」
めずらしくアッシュが、子供の頃の話をした。
そう、あの頃には、サンタクロースもやってきた。
ケープコッドの冬は寒くて、雪に包まれていた。あの古い家は、あまり暖房もきかなくて、冬の朝は寒かったな。
でも、クリスマスの朝はうれしくて、俺はパジャマのまま、クリスマスソックスのところへ駆け寄っていったんだ。
ツリーの下には、たくさんのプレゼントがあった。年に一度もらう、新しい服や、マフラーや手袋。フィラデルフィアのおばさんは、いつまでも俺のことを赤ん坊扱いして、幼稚なおもちゃやぬいぐるみを送ってきたっけ。
いつもは不機嫌な親父も、クリスマスの日だけは、さすがに穏やかだったな。
「ふうん。クリスマスケーキも食べるのかい?」
英二の声が、アッシュをニューヨークの街に引き戻した。
「クリスマスケーキ?なんだ、それ?」
アッシュが、怪訝そうな顔をした。
「クリスマスケーキだよ。クリスマスに食べる、サンタクロースとか、家とかが上にのってるケーキだよ」
そんなことも知らないのか、という顔をして、英二が言った。
「そんなの、見たことも聞いたこともないぞ。日本じゃ、そんなケーキを食べるのか?」
笑いながらアッシュが言うと、
「えっ、アメリカじゃ、クリスマスケーキ食べないの?」
英二は驚いた顔をして、そう言った。
英二の説明によると、日本では、クリスマスの日に、メリークリスマスと書いたチョコレートの飾りや、サンタクロースが上にのったケーキを食べるのだという。
そして、英二はいつも妹と、どちらがサンタクロースや家がのっているところを食べるかで、けんかをしたとのことだ。
「なんだ、アメリカじゃ、クリスマスケーキがないんだ・・・」
がっかりしたように、英二が言った。
「そんなにサンタクロースがのったケーキが食べたいんなら、自分でのっければいいじゃないか。俺は、オニイチャンのサンタクロースを取ったりしないし、家もチョコレートの飾りも全部オニイチャンに譲るよ。だって、もう子供じゃないからね」
アッシュが、おかしそうにそう言った。
いつものようにアッシュにからかわれて、いつものように英二はちょっと不満げな顔をした。
ゴルツィネ邸のクリスマスツリーは、きらびやかに輝いていた。
専属のインテリアコーディネーターによるクリスマスデコレーションは、すきのないほど贅沢で、人々から賞賛された。
美しい四重奏が、流れていた。
ディノ・フランシス・ゴルツィネは、華やかなパーティーに上機嫌だった。
だが、十四歳のアッシュは、着慣れないタキシードを無理やり着せられ、不機嫌だった。
広間には、着飾った大勢の人たちがいた。
未成年者は、アッシュと、うわべだけのチャリティーという名目で、近くの孤児院から招待された、ちぐはぐな服を着た、アッシュよりやや年下の少年と同じくらいの少女の三人だけだった。
見事に飾られたクリスマスツリーの前で、アッシュはフランス語で詩を朗読させられた。
アッシュの美しいタキシード姿と、なめらかなフランス語の発音に、ゴルツィネはご満悦だった。
「複雑な家の子でしてね。でも、IQ200という恵まれた才能があるので、私が後見人となったのです」
ゴルツィネが、自慢げに話していた。
「それは素晴らしいことですな、ムッシュー・ゴルツィネ」
人々は、そう言った。
ほとんどの客たちは、ゴルツィネの関心が少年のIQの高さだけでなく、そのたぐいまれな美貌であることに気づいていたのだが、それに気づかないふりをしていた。それが、大人の作法だった。
孤児院の子供たちに、ゴルツィネからプレゼントが渡され、孤児院の院長から日頃のゴルツィネの寄付に対する、お礼のスピーチがあった。
うわべだけの派手なパーティーに、アッシュはうんざりしていた。
だから、ようやくディナーのとき、大人の招待客とは違う別室のダイニングルームで、孤児院の子供たちと3人で食べることになって、ほっとした。
「わあ、すごいご馳走だね。ぼく、こんなおいしいもの、食べたことないよ。いいな、君はここに住んでいるなら、
毎日こんないいもの食べてるの?」
アンディという、赤毛の孤児院の少年が無邪気に言った。
「そうでもないよ、今夜は特別さ。パーティーだからね」
美食家のゴルツィネは、普段から贅沢なものを食べていたが、アッシュが孤児院の食事のことを思い浮かべて、控えめにそう言った。いずれにせよ、今日のディナーが特別なものであるのは嘘じゃない。
「ねえ、あなた、IQが200もあるって本当?私、この学期の成績は、オールAだったの。将来は大学に行きたいんだけど、ゴルツィネさんは奨学金を出してくれるかしら?」
ステラという名の、賢そうな孤児院の少女は、上昇志向が強く、野心家のようだった。
「どうかな。君は、男じゃなくて、女の子だからな・・・」
彼女のまっすぐな情熱が、その時のアッシュにはうとましかった。
「まあ、それどういう意味?女だから、男より劣っているってこと?ゴルツィネさんって、男女差別をする人なの?」
ステラが、そう言い返した。
「違うよ。そういうことじゃない。彼は、女の子が好きじゃないんだ。男の子が好きなんだよ、性的な意味でね。でも、がっかりする必要はないよ。世の中の男は、女の子が好きな人が圧倒的に多いはずだからね」
ステラの目が、驚きで大きく開かれた。
アッシュは、自分の言った言葉に少し後悔したが、既に遅かった。
だから、そのまま、気まずい雰囲気で食事を終えた。
その夜、アッシュは自分の部屋に戻ると、パジャマに着替え、すぐにベッドに横たわった。シルクのシーツが、いやに冷たく感じられた。
(今夜は、あいつが部屋に来なければいい。たくさん酒を飲んで、そのまま寝てしまえばいいんだ)
どの部屋も最新の暖房設備で適温に保たれているはずなのに、この家は、どうしてこんなに冷たくて、心が凍えてしまうのだろう。
(グリフ、グリフ、グリフ・・・お母さん、お母さん、お母さん・・・)
アッシュは、大切な人の名を心の中で叫んだ。
そして、声をころして、ただ泣いた。
十八歳のアッシュ・リンクスは、ベッドの上で、チョコレートを食べていた。
この年になって、久しぶりにサンタクロースが来たことに、驚きながら。
(しかも、今年のサンタクロースは、日本から来た、黒髪のサンタクロースだ)
アッシュは、口元を緩めながら、のろのろと立ち上がった。
(そして、俺は今日、英二と一緒に、サンタクロースがのった日本風のクリスマスケーキを食べるんだ)
クリスマスにわくわくしながら、パジャマのまま駆け回っている、六歳のアスランが前を横切ったような気がした。
世界を憎んで、斜めに構えている、タキシードを着た十四歳のアッシュの姿も、ぼんやりと見えた。
そして、アッシュは、寝室のドアを開けた。
キッチンから、なにやら香ばしい、いい匂いがした。
日本から来た黒髪のサンタが、キッチンで忙しそうに動き回っていた。
「アッシュ、起きたの?ローストチキン、これで大丈夫かな?下のスーパーで買ったのだから、おいしいかどうかわからないけど、もうできたかな?」
英二が、後ろ向きのまま、そう言った。
ああ、今日は、久しぶりに、家族と過ごすクリスマスなんだ、とアッシュは思った。
それにしても、この場所は、なんて温かなんだろう。
奇跡っていうのは、時に、本当に起こるものなんだな、とアッシュはそっと小さく微笑んだ。
(了)
(あとがき)
えー、クリスマスに大急ぎで書きました。
とりあえず、アッシュが英二と幸せなクリスマスを過ごせるようでよかったです。