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若者自立支援フォーラムin名護を終えて・・・

昨日のフォーラムは
お陰様で内容の濃い時間を共有できました
 
 
オープニングの基調講演者 “廣谷佳己” 氏の果たした役割が効を奏して
最後まで参加者を退屈させないフォーラムになりました
 
若者自立支援という下手をすれば重くなりがちな内容を
わかりやすく軽くしかも自分の体験も踏まえ
自分の言葉で語る
 
氏から突然ポンポン飛び出す7か国語
手話通訳者が戸惑う一面もあり「今のわかった?」
彼のそのようなパフォーマンスは世界各国を自由に闊歩してきた証で
聞く人のこころをわしづかみにして離さない人格者でした
 
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若者自立支援フォーラム実施要項
 
(目的)
 
都市化や少子化 情報化などが進む中で社会全体がこれまでにない課題を生じるとともに
 
子ども・若者・ひいては地域・高齢者をめぐる複雑な問題は複雑化・多様化している
 
その中で思春期 青年期を中心に社会・家庭環境要因によって引きこもりや不登校 就労に
 
困難を抱えている子ども・若者が増加している
 
孤立した子ども・若者の増加は教育・精神保健・医療・福祉・雇用・経済が複雑に
 
絡み合い青少年の育成や就労の面において大きな社会問題となっている
 
そこで 子ども・若者の諸問題に対する理解と自立支援の在り方について学び
 
関連機関との連携ネットワークを図るとともに 悩んでいるご家族やご本人への
 
後押しになることを目的とする
 
 
 
 
1時間30分に渡る基調講演者の廣谷佳己さん(右)は
 
3人の生徒さんたちでの平均年齢は20歳
 
彼らの生い立ちから現在に至るまでの経過を聞いて共感したことは
 
人の数だけ背景があり社会があるという思いと
 
人はみんな違ってあたりまえということを再認識させられました
 
 
 
パネルディスカッションテーマ
「人を育む 家庭のちから 地域のちから」
 
 
現代の社会病理を克服し児童・青年のこころを育む
 
 
沖縄県立総合精神保健福祉センター
所長  仲本 晴男
 
 
現代は社会性や集団性が育ちにくい社会ではないでしょううか
 
本来の人間の成長は個人の成長という縦軸と 社会の発達という横軸のベクトル上でバランスよく発達して
 
いくものだと思います
 
都会の小学校に入学してくる一年生のなかには うつ病の症状を呈する児童が見られるようになりました
 
幼稚園までに 両親の期待を一身に受けて 背負いきれないくらいの塾通いのなかで くたびれ果てて入学して
 
くるのです
 
ですから 当然毎日が忙しくて 同年の子どもたちと遊んだことも少なく 親子中心の生活が大半を占め
 
ましてや年齢の違う年長児や年少児との接し方は経験できません
 
入学後はさらに名門中学をめざして家族ぐるみでひた走り 仲間を知らずに育ちます
 
社会性の発達という言葉は集団的ルール 社会的ルールという表現に置き換えることもできます
 
発達心理という観点でみると 赤ちゃんは生まれてくると まず母親との間で一対一の関係を身につけます
 
ボウルビィはこれを『愛着』と呼び エリクソンは『基本的信頼』と呼びました
 
その安心感や安全感を土台に父親からの支持を受け きょうだい間の遊びやけんかを体験して人間関係の
 
初歩ルールを学びます
 
そして小学校に上がるまでに ままごと遊びなどのごっこ遊びを通し家族以外の集団ルールを覚えていくのです
 
社会病理としての若者の特徴はなんでしょうか
 
「未熟性」という自主性・社会性が不十分で仕事に消極的な傾向「自己中心」という自分の利益のみ考えて
 
協調性がとれない傾向 「集団不適応」という集団を好まず個人行動の多い傾向
 
「他罰的」という自分の欠点を認めず相手を責める傾向などをあげることができ その基本は個人の
 
自尊感情と社会性が育っていないことがあげられます
 
沖縄県では それらの社会病理を背景として21年間も全国一を続けている飲酒運転・女子中学生の集団飲酒
 
による補導・ひきこもり・未成年出産などの社会問題が生じているのではないでしょうか
 
さらに居酒屋では 若い両親に連れられた5歳前後の子どもたちが 夜11時になっても他の客の間を
 
走り回るなど 幼児さえも安全な成長が保証されていない環境といえましょう
 
これらの背景には集団ルール そして社会性が育まれていない沖縄社会をみることができると思います
 
親世代そして祖父母世代の私たちにできることは何か
 
児童・青年の健康なこころと身体を育み 家庭や地域のなかで何ができるか
 
真剣に考え 行動する時期に来ているのではないでしょうか
 
 
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登校する集団の児童から今日記事のような子どもを見分けることは困難な社会
それくらい貧困というか・・・・真実の背景が見えにくくなっています
 
先日沖縄で大火事が起こりました
派遣社員で県外へ働きに出た父親
離婚して残されたのは子ども一人
寂しい子どもは親戚の子と生活
電気が停められてローソクで過ごす
 
ニュースに写るアパートはタイル張りのバルコニー付き・・・
 
ひとたび暮らす箱の中へ入れば真の姿が見えません
 
また生活保護を受給できない世帯もあります
真面目に一生懸命働く世帯ほど少額の収入で生きていかねばなりません
 
育った環境に適応してうまく成長していけた時代背景
それらはいったいどこへ去ったのでしょう
 
少額の収入(低所得とも違います)で暮らす子どもたちが
欲することは安定した生活だと思います
 
進学のための勉強ができるチャンス
学校生活の円滑性
清潔な住環境
 
比べることはよくないけれど
学級という枠内でおのずと情報は流れ子どもながらに自己を認識
 
他者との比較
 
ニートやひきこもりでフリースクールへ通える子どもはまだ幸いです
 
この世に生を受け成人するまでのたった20年という時間がいかに重要か
今回のフォーラムから私なりに考えさせられた事柄でした
 

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ラジオFMやんばるへ出演しました^^

3月16日午後4時に
ラジオFMやんばるに
地域若者サポステのメンバーが
出演しました
 
以前の記事でもお知らせしましたが
早めの実現でした
 
 
イメージ 1


ラジオのチャンネルはFM77,6
またはネットで放送されるようなので
楽しみですね
 
今回のラジオ出演は
本日開催のフォーラムのお知らせです
 
 
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南国沖縄で始めての若者サポステ主催のフォーラム
大勢の方が参加され
フォーラムの意義を共感してほしいです

 
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3月23日(金)午後6時〜 名護市民会館にて


 若者自立支援フォーラム「今を生き抜く」 
    〜むきあう・つながる・夢・育む〜

 地域のみなさまぜひ!ぜひ!お待ちしています
 
 
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若者自立支援フォーラムin名護市

若者自立支援フォーラムin名護
 
 
日時:2012年3月23日(金)
時間:18:00〜20:30(開場17:30)
入場料は無料です^^
 
金曜の夜ですが地域のみなさんや若者が顔を見せてくれますように・・・
また関心をお持ちのみなさんも時間を作ってぜひご参加くださいますよう
お願いいたします
 
 
 
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フォーラム主催は
若者を就職へ繋げる事業所サポステジャンプです
住所:大東2-2-1
       電話:0980-54-8117 
 
 
 
 
パネルディスカッションのテーマは
❤人を育む❤家庭のちから❤地域のちから❤です
 
 
 
 
パネリストには
 
大城  勇氏                (株式会社First Line代表取締役)
島袋 正喜氏(社会福祉法人ひんぷん会 児童家庭支援センターなごみ)
仲本 晴男氏              (沖縄県精神保健福祉センター所長)
 
 
 
 
コーディネーターは
池田正秀氏              (若者サポステ統括コーディネーター)
 
 
 
 
 
 
 
基調講演は
廣谷 佳巳氏(アカデミアインターナショナルボーディングスクール代表)です
 
「今を生き抜く
〜むきあう・つながる・夢・育む〜」
 
 
 
 
アカデミア インターナショナル ボーディング スクール
↑HPはこちらです
 

アカデミアへのお問い合わせ
Mail
TEL:098-898-5001
FAX:098-898-5081

〒901-2224
沖縄県宜野湾市真志喜2-1-1
徳ビル7F
東京・USA

  
ひろたに よしみ

廣谷 佳己
北海道出身
アカデミアインターナショナルボーディングスクール 代表
元(社)日本青少年育成協会 チーフアドバイザー
シアトル大学東アジア校 客員教授
沖縄日米教育文化交流推進委員会 幹事
世界78カ国を周り、7カ国語に堪能
 
 
 
子供は日々成長しています。
また、していかなければなりません。
一時的に休んでも止めてしまってはいけません。
18歳を過ぎると社会が“要るか、要らないか”答えを出してくるからです。
また子供たちはその部分にとても敏感です。
 
私達は勉強に力を入れることはしません。
それは子供は安心すれば大きな力を自然に出してくるからです。
私たちが一番意識に置いている事は、社会での居場所と社会参加、社会の一員として生きる事を気付かせるという事です。
しかしながら、子供達に社会と関わるノウハウを教えるのは、親を始めとした責任ある大人たちであるべきです。
 
 
 
 
元不登校だった子供が何故外国で立派に成功するのでしょう?それは自立のトレーニングを集中的に受け、危機管理を学んでいるからです。
 
もちろん人間関係の構築の仕方も徹底的に学んでいます。
みんな沖縄に来た時は人と関わるのが“苦手”だったお子さんばかりです。
また生徒が編入を決意した時、外地で選択肢が無くなり、自分で向き合い、自分で何から何まで解決していかなくてはならないと言う立場に置かれる事だと思います。
 
生徒も覚悟を持って臨む事が良い結果に繋がるのだと思います。
自立すると行動に自己責任が発生し、初めて他人と関わる基本ができ、対等な関係が結べるのです。
 
日本でも、外国でも、学校でも、家庭でも関係の結び方は同じでそのトレーニングを沖縄で受けます。
 
生徒は不登校を経験し、挫折感、自己否定、斜めを見つめていますが、人間関係を結ぶにはそこからスタートしなければ難しい事を始めて知ります。
 
不登校をネガティブに捕らえているのがポジティブに変化するのです。
 
プラスからプラスに変化はしません。
マイナスがあって初めてプラスに変化する事に多くの生徒達が気付き、前に進みます。
 
 
沖縄県名護市で地域の若者と関わる事業が開始されたのは
2009年10月1日です
今回始めてのフォーラムですが
皆のちからを合わせて
大成功となるように
がんばります
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Who Made Your Pants?^^

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2012年は国際協同組合年(IYC)です
世界のさまざまな協同組合の
ホームページが立ち上がりました
 
今日はその中から豊かなストーリーの
ご紹介です^^
 
 
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Who  Made  Your  Pants ?
 
イギリスで仕事を得にくい女性たちが
立ち上げた地元の組織です
 
工場で余った布地を大変身させた商品は
夢見る素敵な下着です
 
もちろんデザインから制作・販売までします
 
色彩もカラフルで
ブルーピンクでゴージャス感たっぷり
 
企業で余った布を活用するというエコ事業と
女性の就労創出など
社会的な貢献をおこなっています
 
 
 
 
 
この下着はどこのだれが作ってるの?
 
設立者のベッキーさんは
長年「下着」と「人権」に同じくらい情熱を注いでいます
 
あるとき
「私は下着を愛してるけれど これらはどこから来たの?誰が作っているの?」
 
これがきっかけで瞬時に名前が誕生し
事業のアイディアがわきました
 
彼女の暮らすサウスハンプトンでは移民が増えていて
その女性たちと
「Who  Made  Your Pants?」を一緒に制作することで
孤立から解放し自由な時間を楽しめるのでは?
と考え活動したのです
 
そして
ベッキーさんは正規の仕事をやめ
この事業を開始
 
現在はスーダン・ソマリア・アフガニスタンからの
移民の女性たちが働いています
 
 
〜倫理的で楽しくポジティブに〜
 
ビジネスは私たちを貧困から引っ張り上げてくれるわ
私たちスタッフの中には自分の銀行口座を持てるようになった人
自動車の運転を習えるようになった人もいます
でも
倫理的な事業をしているからといってそれが味気ないものである必要はないと思うの^^
もっと楽しくやらなきゃ!
みんなが買いたがってポジティブになれる製品を作れるなんて
完璧でしょ?
 
 
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「誰があなたのパンティを作ったのでしょ?」のタグ付き下着
 
自分も楽しくなり周りも元気に素敵になれる状況をチャンスととらえ
考え 行動へ移す
 
チャンスは意外にすぐ近くにあるのかもしれません
こういう仕事おこし・・・素敵なことですね
 

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子ども未来・愛ネットワークの大塚愛さんの主張^^

地震観測史上最大のM9
東日本大震災から一年が経ちました
この3.11の出来事を忘れてはいけないし
未来ある子どもたちに伝えなければと思います
 
生きるということ 生きるために人間ができること 津波や地震のことについても
今一度ご家庭で地域で語り繋ぎましょう
 
 
去年の11月に開催された
おかやま県民文化祭で原発被災者の大塚愛さんの主張が会場内に強い関心を呼びました
ぜひみなさんへもご紹介したいと思います
 
 
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私は岡山市内で育った者ですが、 99年より福島県で暮らしておりました。
そして、今年の3月11日に起こった福島の原発災害により、一家4人で岡山に避難してきました。
 
福島には農業研修がきっかけで行きました。
半年間の研修後、福島県の川内村というところに住むことになりました。
 
そこは、まわりを山々に囲まれた広い谷間で、
イワナやヤマメが泳ぐようなきれいな川が流れているところでした。
 
そこに、自分で小さな小屋を建て、田畑を作り始めました。
翌年の春には、村の大工さんに弟子入りすることになり、それから4年間は大工修行をしながら、
そのかたわらに田畑や薪をつくる暮らしをしていました。
そこは電気などのライフラインのないところでしたので、
明かりはランプ、水は沢水、煮炊きやお風呂は薪で、という暮らしでした。
 
 
2004年には建築士の夫と知り合い、大工の年季明けと結婚を機に、夫婦で新居を建てました。
新居には、ソーラー発電も取り入れ、2年目には井戸堀もしました。
二人の子どもも生まれ、上の息子が6歳、下の娘が2歳です。
 
私はそこの美しい自然に魅かれ、その場所が大好きで住んでいました。
山の暮らしは不便ではありましたが、その分自然の恵みやありがたさをたくさん感じられる生活でした。
6歳になる息子は薪割やキノコ採りもうまくなり、家族4人で自然とともに楽しく暮らしていました。
 
 
それが3月11日以前の、もう二度と帰れない思い出になってしまい、早くも半年がたちました。
たくさんの大切なものを失った悲しみは、言葉になりません。
 
川内村に住み始めてすぐに、自宅から20キロ以内に原発があることを知りました。
25年前にチェルノブイリで起こった事故についての本を読み、
そこでたくさんの人が故郷を追われ、たくさんの子どもが病気で亡くなっていったことを知りました。
 
また、原発は事故を起こさぬ通常運転のときでも、そこで働く人たちが知らず知らず放射能に被爆して、
病気になったり、亡くなったりすることを知りました。
 
私が住んでいた川内村でも、原発で働く人が多く、とても元気だった方が急に白血病になって亡くなってしまうことも少なくありませんでした。
 
原発の問題点については、残念ながら国もマスコミも表に出そうとしないため、
まだまだ問題点が隠されています。
それを知れば知るほど、原発はやめてほしい、原発なしで暮らしたい、という想いを私は強めていました。
 
そして、一番起こってほしくないと思っていた事故が現実になってしまった今、その想いはもう理屈がいらぬほど、強くなりました。
 
 
 
3月11日、午後2時46分。震度6強の強い揺れが起こりました。
 
ちょうど自宅で子どもたちとおやつを食べている時間でした。
長く大きな揺れで、そのうち戸棚からガラスが落ちて割れる音もしました。
上の息子は怖くて、 抱き着いて泣きました。
 
初めの揺れが終わってからも、また大きな余震が続きましたが、
幸いわが家はうまく揺れを逃がす構造になっていたようで、被害が少なく、ガラスコップが2個、額が2枚割れただけでした。
 
地震の直後には、急に雪が舞い始めました。
事務所で仕事をしていた夫が、心配して家に帰ってきました。
普段なら30分あれば着くところですが、道中岩が落ちていたり、木が倒れたりしていて、道を開きながら帰ったため1時間以上かかっていました。
 
夕方になっても大きな余震は続きましたが、とりあえず落ち着いて生活を再開させました。
これも幸い、わが家はもともとライフラインが自前でしたので、
電気も自家発電のソーラーの電気がありましたし、水も井戸から出て、調理なども薪をくべればできる、
というふうでしたから、なんら問題なく食事やお風呂の準備を始めることができました。
 
その時点では、地震はすごかったけどなんとかやり過ごせてよかった・・と思っていました。
 
 
しかし、その頃海には大きな津波が到達し、原子力発電所内にもその波は届き、大事な設備を丸呑みし、発電機を使えないものにして、大変な事態が始まっていました。
 
初めの頃は情報がわずかで、原発は非常停止したから問題ない、とIAEAが発表していました。
しかし夕方になり、どうやら冷却水が止まったらしいことがわかり、夫は心配して避難を考え始めました。
 
というのも、かつて東京電力に勤めていた友人が、数か月前に「もし大きな津波が来たら、冷却装置は止まって、メルトダウンするだろう」と言ったことを聞いていたからです。
私はメルトダウンという事態の大きさに、まさか、と思っていましたが、そのまさか、が実際に起こってしまったのです。
 
 
その夜には「3キロ圏内避難指示」が出て、実際の避難が始まりました。
その時点で私たちはとりあえず2〜3日家から離れて西に移動することを決め、数日分の着替えや食料を用意して車に布団を積み込み、自宅を後にしました。
 
次の日には会津若松まで移動して、ニュースを見守っていましたが、一向に収束しない事態に対して、夫はさらに遠くへ移動しようと言いました。
 
結果的にそれは正しい判断だったのですが、その時の私はまるで自分の心と体から糸がつながっていて、それ以上わが家から、川内村から離れたくない、という想いにかられて、どうしたらいいかわからなくなってしまいました。
 
しかし初めの爆発を知った時、「あぁ、私のあの大好きな空間にも、放射能が来てしまったんだ・・」と認めた瞬間があり、それはとても悲しくてつらく、今もその悲しみは変わりませんが、ようやく避難することを決め、実家のある岡山に向かいました。
 
 
 
 
13日の午前中には、岡山の実家に無事着きました。
西日本に来ると、お天気が良くて何もなかったかのようなのどかな世界があって、ほっとすると同時に、別世界に来てしまったような、妙な感じがありました。
 
その後16日には、私たちの住んでいた川内村は全村避難をして、春を迎えた自然ゆたかな里山は、空っぽになってしまいました。
住んでいた場所や、親しい人たちから突然断ち切られた悲しみは深く、またその被害が放射能によるものであるということは、簡単に元に戻れるものではありませんから、取り返しのつかない事態の深刻さに、悲しみは尽きません。
 
しかし、たくさんの涙をながしつつも思ったことは、3月11日以前の日々は今は戻れない愛おしい日々だけど、しかし、もし自分が死んだ後の世界から今を振り返れば、同じように大切で愛おしい今を生きているのではないか、ということでした。
 
 
「今、自分にできることからやってみよう」と思い、少しずつ動き始めました。
 
 
5月には、福島県内での汚染状況がわかってきて、チェルノブイリで避難指示が出たのと同じ高い放射能があるところで、今もなお子どもたちが生活していることがわかりました。
 
 
放射能の影響というのは、幼い子どもほど受けやすいものです。
国はその子どもたちに、通常の20倍に引き上げた基準を当てはめて、避難させずにいることを知り、とても心配になりました。
 
子どもたちを放射能から守りたい、という呼びかけに、岡山近辺に住む方が集まってくださり、
「子ども未来・愛ネットワーク」という会が発足しました。
 
活動としては、福島や関東圏からの自主避難される母子の方のサポート、避難者交流会の開催、福島県に野菜を送るプロジェクト、岡山にいる私たちが放射能や原発・エネルギーのことを学ぶ学習会、脱原発に向けたイベントやパレードの開催などしています。
 
 
放射能は確実に人体に害を及ぼすものですが、目に見えないだけに、人それぞれその危険に気がつく速度が違います。
今後も避難を決め、動く人は出てくると思いますので、息長く、避難受け入れをサポートしていきたいと思っています。家電製品や暖房器具などの生活物資や、一時的に貸していただける空家・アパートも募集しています。どうぞご協力ください。
 
 
大地震から月日が経ちましたが、今もなお福島は災害の渦中です。
 
自然災害であれば、大変な状況でもそこから前に進んでいくことができます。
 
しかし原発の災害は、一見目には見えないけれど、何十年と続く放射能の害を抱えながら、復興というものを考えなければいけません。
 
風評被害という言葉をよく聞きますが、どこまでが本当の風評被害かわかりません。
放射能が少しでも含まれる食べ物は子どもにとっては実害になります。
 
日本の食べ物の基準値は、500ベクレルになっています。
チェルノブイリの原発事故でたくさんの子どもたちが病気になったウクライナでは、この値を40ベクレルにしています。
 
復興していくためには地元の野菜や果物が売れた方がいいですが、子どもの健康を考えるなら、基準値をもっと厳しくしなければならない。
 
若い世代と一緒に復興していきたいけれど、彼らの健康を考えると、県外に避難させた方がいい。
 
そういう福島県での「復興」は本当に大変な課題だと思います。
福島からは遠い西日本ですが、その分放射能汚染も少なく健康な自然が残っています。
これからも、岡山にいる私たちが福島のためにできることを考え、行動していきたいと思います。
 
また、もうひとつ大切に思っていることをお伝えしたいのですが、もう二度とこのような悲しい事故を起こさぬよう、原子力発電所は止めていってほしいと私は願っています。
 
岡山に近いところでは、120キロのところに島根原発があり、180キロのところには愛媛の伊方原発があります。そこで原発が動いている限り、今回のような事故が起こる可能性は0になりません。
 
来春には、日本にある原発のほとんどが定期検査に入り止まります。
その後、耐震のテストなどするのですが、大きな自然災害に100パーセント備えることは到底無理だ思います。そして、まさかの事故が起こったとき、原発は他の発電所と比べ物にならないほどの被害がでることは、福島の災害が教えてくれています。
 
エネルギーのことは、それを使う私たち一人一人が考え、学んでいかなければ、と思いますが、私自身はたとえ原発をすべて止めても、電気は工夫すれば足りると思っています。
 
原発をすべて止めた場合に足りない電気の量は、現在休ませている火力発電所を1割多く動かせば足りるというデータもあります。
その場合、二酸化炭素の排出が増えるという見方もありますが、私は放射能を排出するよりもずっとマシだと思いますし、とりあえず火力でバックアップしている間に、自然エネルギーを増やしていったり、ピーク時の電力を減らす工夫をしていけばいいと思います。
 
今回の福島の原発災害のように痛い目にあわなければ、変われないのは悲しいことですが、もし痛い目にあっても変われないとしたら、それは本当に愚かです。
 
安全神話に隠されていた原発の姿を直視し、今こそ、いのちを尊び、子どもがいつまでも安心して土の上で遊べる未来を選んでいきたいと、心から願っています。
 
ありがとうございました。
 
 
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開設日: 2007/5/27(日)


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