|
今回は大阪城の前は石山本願寺?についてです。
次のような記事があります。
☆☆☆ 一部抜粋
16世紀後半の素焼きの土器や焼け焦げた土などが市文化財協会の発掘調査
浄土真宗本山「石山本願寺」跡の可能性が高いという
石山本願寺は炎上後、豊臣秀吉が大坂城を築いたとされている
土器が見つかった層や、直上の層は土が厚さ約1メートルにわたって積み重なっており、石山本願寺焼失後、大坂城築城に伴ってこの一帯が大規模に造成
☆☆☆
歴史に疎い人の中には大阪城の前はどうなっていたのと思っている人もいるかも知れません。
大阪城は巨大です。
中には
民家等取り潰して、大阪城を築城した???と思った人もいるかも知れません。
実際には
石山本願寺 → 大阪城
このように石山本願寺の後に大阪城は築城されました。
石山本願寺はお寺と言っても、織田信長と長きに渡って戦争していたので、実際にはほとんどお城みたいなものだったと思われます。
結局、織田信長が最終的には力で屈服させた石山本願寺の跡地に築城したのが大阪城です。
○まとめ
石山本願寺 → 大阪城
今回、発見されたのはただの焼け焦げた土器に過ぎませんが、同時に歴史の生き証人???でもあるようです。
|
生国魂神社社伝では、神武東征の時、難波津に上陸した神武天皇が、国土の神である生島神・足島神を現在の大阪城付近に祀ったのに始まると伝える。
『日本書紀』の孝徳天皇の条で「(孝徳天皇は)仏法を尊び、神道を軽んじた」とあり、その例として生國魂社の鎮守の森の木を切ったことが挙げられている。
延喜式神名帳には「難波坐生國咲國魂神社 二座」と記載され、名神大社に列している。
石山本願寺建立の際には、この生国魂神社を隣接地に遷座して建立したとも言われるが、だとするならば石山本願寺は生国魂神社の最初の鎮座地に存在したことになる。
また、近年の研究によれば石山本願寺は豊臣期の大阪城の詰之丸に存在したとの説もあり、生国魂神社の最初の鎮座地は、現在の天守閣周辺ということになる。
戦国時代には、石山本願寺に隣接していたため石山合戦で焼失した。
2012/2/11(土) 午前 9:09 [ 馬未栄会を4月29日に開催予定 ]