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人と音楽

私はピアノと共に育ち、人間の言葉とピアノの言葉を同時に覚えた。冒頭から彼らしい台詞だ。
たしかに彼は幼少時から非凡な才能を発揮し神童と褒め称えられた。だが両親の離婚で不遇な子供時代を過ごし生きてきた。

経済的にもかなりの赤貧ぶりで、とても今の彼から想像する神がかった世界はなく、あまりにも現実的な貧乏との戦いだった。

しかし母親はどんなに貧乏でもキースにピアノのレッスンをやめさせたことはなかった。彼の生まれ育った場所ペンシルバニア州アレイタウンは音楽的にも恵まれた場所ではなかった。しかしこれほどの天才でもチャンスはなかなかやってこない。音楽で飯を食うことがいかに大変か身につまされる。

個人的には「ケルン・コンサート」の裏話が面白い。前日の晩、彼はまったく眠ってなかったという。そしてローザンヌからケルンまでの長い道のりを車で走ったため、ホテルに着いたときは疲れきっていた。

会場にいくとスタンウェイのピアノは使いものにならず、ベーゼンドルファーなら市内に使えるのが2台あるというのだが、運搬チームは悪いほうのピアノを運び込んでおり、それはたいぶ前から調律されておらず、ハープシコードのきわめてまずいコピーか、ピアノの中に留め金でも入っているような音がした。

彼はホテルでも仮眠をとれず24時間寝ていない状態でそのピアノを演奏した。彼はステージに出て行ったとき本当に眠りかけていたという。

すべてが最悪だが、だからこそ彼は空っぽの状態で演奏をはじめられた。そして彼はあの歴史的名演奏をやってのけた。

だが良いピアノなら備えているはずの音の可能性も奪われていた彼は安っぽい音しかでない高音域を捨てて長い時間、中低音域で演奏した。だがこの中音域の「語りかけ」は最もいい響きで鳴っていた。

これがあの奇跡の裏舞台かと思うとなかなか興味深い。話は前後するが、彼がトリオでツアーを行ったとき、あまりのギャラの安さに盟友チャーリー・ヘイデンやジャック・デジョネットは参加しなかった。

彼らはチャールス・ロイドのバンドで一緒にやっていた。仕方なく彼はメンバーをその場所で雇いながらツアーをこなしたという。

だがその時マイルス・デイビスはバンドのメンバーを全員連れて毎晩聴きにきたという。勿論この時点でキースは無名だ。そしてマイルスは遂に彼を口説き落とす。ただキースが参加した演奏は「ライブ・イーブル」や「アット・フィルモア」ぐらいであまり音源は残っていない。当時物凄い演奏がいくつもあったというので惜しい。

キース・ジャレットに運が向いてきたのはECMレーベルから作品を発表できるようになってからだ。そしてインプロビゼーション・ソロピアノコンサートを行うようになり出すレコードすべて世界中から絶賛されて賞をを独占しても、それほど経済的にはめぐまれた状態でもない。この辺はウェザーリポートで評価を得ながらもバンドの財政状態に苦しむジョー・ザビヌルと同じようなものだ。

本の面白みとしては時系列に彼のアルバムの制作過程やその時の生活ぶりがよくわかる。特に「スピリッツ」というアルバムが彼にとってここまで重要な作品だったとは驚きだ。

スタンダーズの経緯やツアーの状況といいことばかりではないが、音楽的なことについては満足した仕事をしてこられたようだ。いまだに彼の音楽は賛否両論があるが個人的には最もインスパイアされる音楽家だ。

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