太政官指令の「竹島外一島」(7)
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太政官指令のその後
内務省が太政官指令(それは内務省自身の考えでもある)に誤りがあることに気づいた後の、現竹島についての認識はどういうふうになって行ったのだろうか。
内務省は、「竹島」という島は存在せず、「松島」と呼んでいる島が朝鮮の鬱陵島でありかつて「竹島」と呼ばれた島でもあることを知った。そういう知識を得た上で島根県が提出した「磯竹島略図」と「原由の大略」を改めて読み返して見て何と思ったか、想像して見る。
まず、磯竹島略図の竹島がつまり今松島と呼んでいる朝鮮の鬱陵島であったということはすぐに分かる。手前の「松島」については、まだこの辺りの地理について諸説紛々のときに外務省では「西洋人が竹島を松島とし、竹島の先にもう一つ島があると考えたようだ」という正しい推論が出ていたわけだから、磯竹島略図にあるとおり、江戸時代には竹島の手前にある二つに分かれたこの島が「松島」と呼ばれていたわけだな、という理解はできたはずだ。二百年以上も前の江戸時代に何と正確な図面を書き残していたものか、という感慨を持ったかも知れない。
しかし、その当時には鬱陵島を「松島」と呼ぶ習慣が定着しているので、今さら江戸時代の呼称に戻すことはできない。だから、「旧松島」に対して「松島」の名前が復活することは無かった。
ただ、名前をどうするかはともかくとして、明治9年に島根県が質問してきたのは実は鬱陵島とこの「松島」という小島のことだったわけだなということになる。そうすると、太政官指令も内務省指令もこの小島については何も答えていなかったことになる。ではどうするのか。改めて何か指示を出すべきと考えられただろうか?
このころ存在する地図においては、この島はそもそも描かれていないか、描かれていても「岩礁」の意味の名前がついているだけだ。「原由の大略」を呼んでも周囲3km余りの「樹竹稀な」小島だ。明治14年という時代にそういう島はどう扱うべきと考えられたのだろうか。それは分からないが、その後明治37年に至るまでこの島(現在の竹島)に対して政府が何か考えたという資料は出ていないので、おそらく、そんな木も生えない小島というか岩礁というか、そういうものをわざわざ地籍調査などを行って我が領土であると確認する必要もない、そのままにしておけば良かろうという程度に思われ、その後政府が領土問題として注意を払うことは無かったのだろう。その後も朝鮮国政府から鬱陵島については何かと抗議の類が来たが、それも鬱陵島一島に限っての話であって旧「松島」に関しては何も話はないので、問題として取り上げる必要も生じなかった。
結局、現竹島は、明治14年の内務省官吏の頭の中において一時的に意識されたもののその後忘れられ、明治37年(1904年)に中井養三郎が「リャンコ島編入願い」を政府に提出したときに初めて領土問題の対象として認識されることになったと言えるだろう。そして、1905年の日本領土への編入を経て、それまで国際法の外に置かれていた辺境の島竹島は国際法の中に取り込まれて行った。
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