三陸海岸
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こんにちは。
今日はとても気持ちの良い、爽やかな天気です。
明日の午前中に仕事が無ければキャンプにでも行きたいところです…(涙)
さて、5月5日の続きです。
盛岡からは、三陸海岸に向かいました。
あれから1年と2ケ月経ち、現在の被災地はどのようになっているのか、自分の目でたしかめておきたかったのです。
この旅の目的は、この三陸海岸を訪問することでもありました。
最初に訪問したのは、宮古市の田老地区。旧田老町です。
ここは、震災後のニュースで幾度となく大堤防を津波が軽々と越えていく様子をご覧になられた方も多いことでしょう。
私もその一人でした。
こちらは、田老町商工会館。
後方に、巨大堤防がありますね。
この付近では、この商工会館しか建物は残されていませんでした。
この商工会館の横から堤防に登った場所からの風景です。
この付近は、住宅が密集していた市街地だったと思われますが、建物は震災後に建てられたプレハブのみで、あとは土台だけでした。
それでも、そのような中で、田老の方々は確実に復興に向かっていることが、この文字からも伺えます。
建物が建っていないのは、復興計画や新しい都市計画などがまだ調整中で、建築制限がかけられているからだと思われます。
津波で流された車も、まだそのまま放置されていました。
田老地区を後にして、途中の海岸を見ると、驚いたことに、養殖いかだがたくさん設置されていました。
海で生きるとは、こういうことなんだと、思い知らされます。
次に向かったのは、大槌町。
この建物は、大槌町役場です。
時計の針は、一部欠けていましたが、津波の到達時刻を表す、3時25分頃を差していました。
町長を始め、職員の約3分の1が津波でさらわれ、その多くの方が亡くなられたり、行方不明になられたそうです。
役場前には多くの献花やジュースなどが供えられていました。
震災前の役場はこちらです。
今、役場は震災による津波と火災で使えなくなってしまっている小学校の校庭に仮設庁舎を建て、業務を行なっていました。
ここで働く職員の皆さんのご苦労も大変なものでしょう。
旧役場から海岸方向を向くと、こんな感じです。
ここは町の一番の中心街だったはず。
向こう側に堤防が見えますが、震災前はこんなに見通すことはできなかったのでしょう。
役場から南側を見ると、あちらこちらから水が吹き出していてい、異様な光景です。
復興に向かっていると思いたいですが、まだ瓦礫が一箇所にまとめられたというところまでやっと到達したという感じでした。
今後、下水道、上水道、ガスなど、地下のインフラを整備する必要がありますが、都市計画自体がまだ示されていないはずですから、なかなか手も付けられないのでしょうね・・・
こちらは、役場前の県道の様子です。
ここは、一番の繁華街だった場所。
これも震災前の写真をお借りしましたので
逆方向ですが、カネマンという看板があるのが分かりますか?
全く信じられない変わり様です…
こちらは、大槌駅付近から
この近くに線路跡がありましたが、瓦礫や土砂にほどんど埋まっていました。
旧駅舎は一体どこに?…
震災前の大槌町の繁華街の様子です。
現在、この繁華街だった場所に、建物はほとんど残っていません。わずかに鉄筋コンクリートの建物が残ったのみです。
今、以前の面影を残すのは、歩道のインターロッキングだけです。
震災前の画像は、いずれも以下のサイトからお借りしました。
日本全国、市街地や商店街の様子をご趣味として撮影されていて、すごい方です!
このような写真を載せて、気分を害する方もいらっしゃるかも知れませんね。
でも、この状況を少しでも皆さんに知っていただきたいと思ったのです。
まだ、復興、復旧には程遠いという現実を。
それでも、被災地の方々は少しずつではありますが、復興、復旧に向けて、動き出していることは確かです。
つづく
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