書いとかないと忘れちゃうから「読書記録」

ウジャウジャ書いてる読書記録など。私は「日本チャチャチャ」の応援団長。 バレーじゃなくって、 日本と日本文化。

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 著者は、 『リング』 『らせん』 『ループ』 といったベストセラー小説を著した方だけれど、子どもに接する機会が多かったので、教育の分野でも意見を表明するようになったそうである。
 タイトルの問いを、自分自身に問うたことのある人ってそんなに多くないことだろうけれど、教育する立場にある人々なら、明確に答えられてしかるべきである。

【知識人が育たない日本】
 日本にはたくさんの大卒者がいるのに知識人が少ないのは、多くの人が大学に入ってから勉強しなくなるからでしょう。学べるチャンスを手にして、勉強する能力も余力もある人たちが勉強をストップさせてしまうのだから、知識人が育っていくはずがない。
 また、そういう人は自分の子供に受験勉強はさせても、勉強する意味までは教えようとしません。「学校の勉強なんて社会に出ても何の役にも立たない」 と、自分の子どもに対して必ず言うようになるでしょう。
 日本はもう少し本物の教養人、知識人を増やし、その知恵を結集することを考える必要があると思います。でないと、いろいろな問題への解決策が出てこない。(p.38-39)
 例えば渡部昇一先生のような教養人とか知識人といわれる人々の本を読むと、学べることが非常に多い。それはひとえに、持っている知識の範囲が広範で、それらの知識が自ずと体系化されているからである。20代30代に集中的に勉強できる環境になければ、そのような知識人になれないはずである。
 著者も18歳のころ小説家になると決意し、その目的のために文学部に進学したそうだから、卒業後も継続的に勉強を続けていたのだろう。著者のベストセラー作品を読んでみても、様々な分野の知識・教養が、小説の下地になっているのはよく分かるのである。
 勉強する習慣をもたない人に、いろいろな問題への解決策を出してくれ、と言っても無理である。そのような人たちは、殆ど何も思いつかない。
 勉強することの大切さを真剣に語っているのは、継続的に学び続けてきた人々だけである。

【なぜ勉強しなければいけないの?】
 もし子供に 「なぜ勉強しなければいけないの?」 と訊かれたら、親は 「社会をよりよくするためだ」 と自信をもって答えなければなりません。われわれは共同体に属して暮らしています。共同体のメンバー一人一人の学力が高まれば、ある選択をする際に、できるだけ共同体の幸福度が高まるような判断ができるのです。(p.40)
 共同体は常に変化している。20世紀前半の10年間と、21世紀初頭の10年間の変化量が同じなどと間の抜けたことを言う人はいないだろう。近代社会は急速に変化している。父親世代の勉強方法では対処できないほど急速に時代は変化しているのだから、不易な部分はあるにせよ流行する部分は自ら勉強して学びとらなければならない。
 日本の地方は、現在押し並べて衰退しているというけれど、地方公務員など、経済的安定という個人目的達成に安住し切っていて、共同体のために勉強する意思などのっけからないのだから、それで地方が発展するわけがないだろう。地域発展のために勉強する意志のない寄生虫そのものである地方行政公務員の飼育機関など、すべて解体してしまえばいいのではないか。わずか50年ほど前の日本の地方行政は、地域の有力者たちが手弁当(無給)で行っていたのである。原点に戻って、選挙も辞めて、無給で働く意思ある勉強好きな若者達に、地方の行政を任せればいいのである。地方行政に寄生しているオヤジどもの頭の中など、悪しき政治慣行のヤニがこびりついているだけで、少数を除いて頭の中は殆どカラッポなのだから、ひきこもっている若者たちがとって変わっても何ら支障はないのではないか。
 「親に養われて生活できているひきこもりたちよ、地方行政の場に出てこい。行政を通じて社会参加しつつ勉強せよ。給料は払わないけど、働く場所と市職員としての地位は与える」 と宣言できるような市長がいたら、地域共同体は変わるかもしれない。

【勉強の本質】
 将来、有効となる能力とは、「理解力」 「想像力」 「表現力」 の3つです。数学や外国語、歴史、理科など、さまざまなジャンル、要するに別角度からのアプローチを経て、この3つの力を養うのが勉強の本質なのです。
 人生におけるほとんどの仕事は、この能力によってなされます。あるいは、子どもが成長して、大きな困難にぶつかったとしても、この能力が養われていれば、上手に克服することができます。
 さらに、この能力は、小金を稼ぐためのみに役立てるべきではありません。社会に貢献し、人類が進歩するための貴重な一助となるためにこそ、能力を高めなければならない、とそこまで言ってやると、子どもの目は断然と輝き始めます。(p.5)
 世界中の答えのない問いに対して、最適解を見い出すべく努力を継続する知的体力をつけるための主要な3つの能力が、著者の言う 「理解力(読解力)」 「想像力」 「表現力」 なのだろう。
 具体的に示された3つの能力のうち、特に 「表現力」 に関して、多くのページを割いて記述している。

【もともと母性的な日本社会】
 戦後の日本人は戦前までの社会を 「男性中心」 と否定し、男女平等を推し進めてきました。その結果、もともと母性度の強かった社会が、ますます母性的に傾いてしまったのです。(p.142)
 封建的男性中心社会の形態が残存していると思われがちだけれど、諸外国の様相と比較してみれば、戦前であってすら、日本社会がいかに女性を大切にしていたかは分かるはずである。
 よく知られた基幹的な例をあげるならば、「男尊女卑とは表向きで、日本では女性が家計を握っている」 という真実を告げられたら、レディーファーストの国々の男性は 「ありえない」 といった風情で首を横に振るのである。
 誤解してほしくないのですが、ぼくは自分が生まれ育った国や、その国民性を悪く言うつもりはありません。日本人は柔軟性に富み、礼儀正しく繊細な感受性をもっている。けれども、臆病で自立心に乏しく、はっきり言えば、勇気がない。
 社会の母性・父性を測定する機械がもしあるとすれば、日本社会はメーターの針が母性に振り切れています。このため社会の性格がかなり決定され、時代が移行しても共同体の中に変化が起こりにくくなっています。母性過多であるため、民族として繁栄していくための選択肢がおそろしく狭いのです。(p.124)
 男性と女性で、得意な分野が異なるのは言うまでもない。物理学や哲学というのは極度に論理的な学問なので、研究者は男性が殆どである。現在の世界を主導している西洋文明は、ギリシャ発のロゴスに基づいた知を基礎としているため、論理的意志的表現者の言論が大きな推進力をもっている。つまり世界の基調は現在でも父性原理なのである。
 現在の日本のメディア界で活躍している勝間和代さんの知性は非常に論理的である。女性の社会参加が進んでいるとはいえ、なお男性の中に混じって頭角を現そうとするならば、父性原理的な能力を備えざるをえないというパラドックスに、未だ支配されている時代なのである。
 であれば、そもそも母性原理の日本で、父性が軽視され、母性過多となってしまえば、よりいっそう日本人は世界の中で主張することが下手くそになってしまう。これでは、日本は世界に対して、日本の良さを活かして貢献するどころか、認知すらされなくなってしまう、ということを著者は怖れているのだろう。

【自分を表現すること】
 1980年代は、日本人が自ら明確に自己主張しなくとも、日本経済の強さゆえに世界は日本を注目していた。しかし、現在の日本は、もはや経済大国とはいえない。世界経済に占める日本の相対的位置は明らかに下降線をたどってゆく。このような状況下にあって、日本人が、世界に向けて自己を明確に語れないということは、既に自らを亡きに等しい状況においているようなものなのである。
 かつて、日本は “ものづくり” によって日本と日本文化を表現してきた。最近は “ゲームやアニメ“ でそれらを表現している。しかし、世界は ”言葉による表現“ が添えられていないと、真に日本と日本文化を認識しないのである。
 言葉によって表現することの大切さは、知識人のみならず海外で活躍している人々が押し並べて繰り返し語っていることである。
 論理的な表現力は、日本語を話す民族にとって非常に不得手なものであることを、私自身よく認識している。しかし、だからといって “日本人は、日本人なんだから、それでいい” と言い切ってしまったら、日本は世界の孤児になるしかないのである。
 言語学者の鈴木孝夫さんは 『日本人はなぜ日本を愛せないのか』(新潮選書) という著作の中で、あるジレンマについて語っています。
 ・・・・日本人は寛容で融通無碍、協調的であり、世界に誇れるすばらしいものをたくさんもっている、しかし自己主張が弱いためにそれを外に向かって表現するのが苦手。
 いい面がたくさんあるのに、外国に向かってアピールできないのはなんとももったいないというのです。同感です。(p.165)
 そう、本当に、もったいない。
 もったいない、とは思うものの、実はそこには単に勉強して 「表現力」 を磨けば可能になるという以上の問題が伏在しているのである。
   《参照》   『黄金の帝国』 三原資忍 (サン企画)
           【日本民族の特殊性】
 深い泉のような日本文化を学び、それを理解し、なおかつ世界に対してその説明責任を果たそうとするのは、並大抵の精神力でできることではないと思う。しかし、日本人として生まれてきた者たちは、等しくそんな難題にチャレンジできる資格をもっている。
 そのことを喜ぶべき・・・なのだろうか・・・・。
 勉強好きで有能な若者たちが集って、いつか必ずやそれを成し遂げてくれるであろうことを期待している。
                          <了>

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