経営と災害と福祉
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占いや古い漫画レビューを書いていれば危険な目に合わないのに、時々危険な記事を書いてしまい、変なコメントもらって暴れるのは私が悪いのですが、時々危険な記事を書くためにブログをやっているのです。
わたりとりさんの「芋掘り遠足ノ壱」を読んで、はてな界隈でのトリアージ議論の大元となった、「ケーキ」という記事を読み直してみました。これはよく読むと 「経営」学の講義を、「災害」時という特殊状況下で生じるトリアージという概念を用いて、「福祉」を学ぶ学生に対しておこなった ということなんですね。 この記事、前にも読んだのですが、他のトリアージ論考のリンクから行ったので、リンク元の意見というフィルターを通して読んでおり、そこまで突っこんで考えませんでした。 改めて読んでみて、経営資源の分配をトリアージで説明しようとするのも無理はありますが、それを福祉を学ぶ学生に教えるなら、教える方も工夫しないといかんのかなと思いました。 福祉という概念は、より重篤な対象者に対して、より手厚い支援がされることを理想としたものです。 トリアージは、説明を1回聞いただけだと、軽傷者を重傷者より優先して治療することのように受け取れます。福祉とは方向性が正反対です。それで、福祉の学生は違和感を受けたのかと推測しました。 全ての学生がそうだということではなくて、容易に頭を切り替えられる学生も少なくはないでしょう。子供じゃないんだから、それが社会というものなんだから、自力で納得しろよというのも妥当な線です。 トリアージが悪いということでも福祉が悪いということでもありませんが、それで荒れたのですね、この話題。医療と福祉はひとまとめに語られることも多いですが、一緒にしたらまずいこともありますね、はい。 直接関係ありませんが、今日担当医の無罪判決の出た「大野病院産科帝王切開死亡事故」なども、どちらも間違いではない複数の概念のぶつかり合いという点で、なかなか考えさせられるものがあります。ホットな話題過ぎて書けませんが。 追記:投稿後のお勧め記事で、看護学生さんの書いたトリアージという記事が出てきたので、リンクします。ここのチャートを見ると、トリアージは重傷者を見捨てることではない、とわかります。 |

>時々危険な記事を書くためにブログをやっているのです。
んだんだ。ですが、この話題にchargeupさんがノッてくださるとは思わなかった(笑)
「福祉を学ぶ学生に対して」の視点は私にはなかったな。
記事「ケーキ」の主題は、学生さんの反応への筆者の強い違和感ですから、その部分は記事を読むうえで見落としてはならない要素ですね、言われてみれば。
2008/8/20(水) 午後 11:04 [ wataritori_novel ]
私も自分がこの話題にノルとは思いませんでした。
トリアージという言葉自体に危険な要素があるし、多くの人が使い慣れていない分、共同体感覚の時と同じ事態を招きかねないワードだからです。私も騒ぐ割に懲りないですね。
わたりとりさんの記事にコメントとして書こうとしたのですが、書きづらかったので記事にしました。
2008/8/21(木) 午後 7:19
この記事にずっとコメントしたかったんですが、どうしてもまとまらなかったのでした。
災害医療のトリアージには合理性とより多くの命を助けるという意味で異存はないですが、平常時の話と災害医療のトリアージを同列に話すのはどうなんだろう、と思ったりはします。平常時に合理性だけを求める社会に耐えられるような人間がどれほどいるんだろう、と。
それはそれとして、トリアージ問題に「可哀そう」と言ったというのは何となく自分の中でショッキングでした。
でも救出現場でのトリアージ(こっちもこの言葉でいんでしょうか)については何となく合理性の部分ではわかるんですが、感情面でついていききれない。
そして、「大野病院産科帝王切開死亡事故」にはいろいろな気持ちが合い混ぜになって結局口をつぐむのですが、この根本的な問題の方では何か書ければいいなあと思うのでした。
ああ、内容のないコメントです(T▽T)
2008/9/7(日) 午後 5:30
これは、トリアージする側、される側、傍観者のうちどこに自分を置くかで、当然意見は分かれると思います。
この後の「差別してはいけない」という記事でも、管理者、マイノリティ、マジョリティのどの立場に自分を置くかで、自分同士ですら相容れないことが出て来ることを考え、次の記事を企図しています。(実現するか不明)
それでも、マイノリティがマイノリティの立場から意見を述べることには意味はあると思っています。
2008/9/7(日) 午後 6:20