コパンのうら

熊本県北部の山鹿市にあるちいさなフランス料理店「ビストロ シェ・ル・コパン」の舞台裏です。

日記

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ララランド。

本日も、FBに掲載して好評(?)だったシェフネタより抜粋します。

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FBにいただいたコメントによると、この作品はわりとクルマの存在感が大きいようで、シェフの映画の見方もあながち見当違いではないのでは、というご意見が複数。なるほど。

とりあえず、わたしも自分の目で確かめてみようと思います。

こちらの作品、世間ではいろいろ賛否両論みたいなので、そのへんも自分の目で判断してみたいなあ、と思いました。


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上の写真、桑の木の裏側、画面中央のピンクネコヤナギが見えますでしょうか。

これは、昨年の今ごろ、ひとさまからいただいたピンクネコヤナギを植えたものです。「ネコヤナギは丈夫だからそのまま土に刺すだけで根づくことがありますよ」とおっしゃられたので、試しにやってみたところ、本当に根づいててビックリ! 軽く引っ張ってみたら、しっかり根っこを張ってました。新しい枝も出てましたよ。ホントに強いんですね。

これに味をしめて、今年もいただいたネコヤナギを地面にぶすぶす刺しておきました。来年が楽しみです。

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シェフネタ特集。

さて、今回は、フェイスブックに投稿したシェフネタから抜粋し、コピペで紹介します(手抜きですみません)。


その1
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後日談:メールで地元ラジオ局に問い合わせをしましたが、結局返事は来ませんでした(涙)。RKKさんに「くだらない」と黙殺されてしまったようです。くすん。


その2
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その3
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島原名物の六兵衛、ご存知ですか? われわれはこれで三度目でしたが(すべてちがうお店)、今回のが一番おいしかったです。お店の名前はその名も六兵衛茶屋でした。


その4
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わかりにくくてすみません……。一部のかたたちにはそうとうウケました。ご存知ないかた、The Velvet Underground(ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)で画像検索してみてくださいませ。

ちなみにシェフはまったく意図せずにしたことです。バナナは吊るして保存するといいんですってね。


その5
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これは昨日の定休日のことです。シェフネタではありませんが、温泉からあがってすぐにシェフに話したらウケたのでFBに投稿しました。


では今回はこれにてどろん。

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初午の季節になると、むかし読んだある話を思い出します。

……という書き出し、前もしたような……と思って調べたところ(検索機能バンザイ)、なんと二回も同じネタを書いてました(←がーん、すっかり忘れてる)。2008年と2010年。いずれも、当時思い出せる限りの内容を書いているようですが、読み比べると……うーん、二年間で内容変わってるし(苦笑)。いったいどっちが真実なんだ。


そう、それは、小学生のころ購読していた「学研の学習」の付録に掲載されていたお話。今は手元になく、入手できるあてもなく、再読したくてもできないのです。

そして今、思い出せる内容はますます減少。上のふたつのブログを読んで「うわっ、そうだっけ? うう、全然思い出せない……」と、愕然とするわたし。もしかして、この10年ほどで脳細胞が急速に減少してしまったんじゃ? ああ、加速する記憶喪失が恐ろしい……。

真実はいったい何? そう考えだすと、この物語がどうしても読みたくてたまらなくなり、ネットで探してみることに。しかし「初午の太鼓(たいこ?)」というタイトル以外、作者名も、いつの付録だったかもわからない……。ところが、しばらく探したのち、なんと2chで発見! 掲載されたのは「1977年の『5年の学習・科学読み物特集』」で、タイトルは「初午のたいこ」、作者名は「中野みち子」さんだそう。


さらに、なんという偶然か、そのまさに「1977年の『5年の学習・科学読み物特集』」が、ちょうどヤフオクに出品されているのを見つけたのです。しかも、落札まであと残り1日!

こ、これは……もしや、運命?

……ということで入札し、見事、落札しました(落札価格は聞かないでください……けっこう高かった)。ああ、到着のなんと待ち遠しかったことか。

そして昨日。

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じゃーん! え? こんな表紙だっけ? ああ、でも、確かに見覚えがあります。それにしても、なんか「昭和」だ。

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そうそう、この表紙!(嬉) すっかり忘れていたけど、見るとやっぱりなつかしい。以下、いくつかのページを抜粋します。そう、この挿絵も好きだったんですよねえ……。

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唯一覚えていたのが、上のページのこの挿絵。あとはすっかり忘れてました。


で、内容。うそ、全然合ってないじゃん!(愕然) 2008年と2010年のブログ、どちらもそうとういいかげんです。なんなんだ、大丈夫なのか、わたしの脳内の記憶装置。われながら恐ろしくなってきました。

ということで、あらためて「本当の」あらすじを(今後の入手はほぼ不可能みたいなので、書いても差し障りは……ない……ですよね?)。すみません、以下、少々長くなります。



渋谷なおみと渋谷孝志は幼なじみ。姓が同じなのは遠い親戚だから。なおみはからだが弱いので、孝志がいつも守ってくれる。でも、なおみは孝志のやさしさがくすぐったくて、つい反抗的な態度を取ってしまう。
そんなある日、ふたりは初午祭り用のたいこを持ってくるよう先生から命じられる。旧家だからだ。だが、なおみの祖母は「初午の日にたいこを見るとたたりがある」と言う。なおみはそれを笑い飛ばし、蔵に入ってたいこを探しはじめた。
蔵にたいこはなかったが、丸くて茶色い表紙の本があった。表紙をめくると……そこには孝志がいた。ジーパンをはいた孝志は、なおみを無視して冷たい表情で行ってしまう。次のページをめくると、そこには学生服を着た孝志がいた。なおみはたんぽぽになっていた。隣には赤いバラと菜の花。孝志はバラに笑いかけ、菜の花にそっと触れた。たんぽぽのなおみには見向きもせず、結局、菜の花といっしょにどこかへ行ってしまう。なおみは「孝志はもうむかしの孝志じゃない。あたしが孝志のやさしさを当たり前と思って、いい気になっていたのが悪かったのだ……」と、ぼろぼろと泣いた。
さらにページをめくると、孝志が猛スピードで走ってくる車に轢かれそうになっていた。なおみは孝志をつきとばし、代わりに自分が車に轢かれた。次のページには、右足を引きずるなおみ。そばには孝志が寄り添っていた。
なおみは、孝志と結婚するページを探して本をめくった。あるページで、なおみはエプロンをしておむつを干していた。だが、そばにいたのは孝志ではなく、別の男性だった。「どうして孝志と結婚していないの?」。前のページに戻ると、そこには……黒枠、黒いリボンをつけた孝志の写真。「どうして孝志が死ぬのよ!?」 なおみは怒って本を床に叩きつけた。すると、本がたいこに変わり、ドンドンドンと鳴りだした。たいこの音はなおみの心臓の音だ。たいこの上に映像が映し出される。それは……老婆になったなおみの姿、そして「俗名なおみ 没年2月6日初午の日」と書かれた位牌。なおみは叫び声を上げ、気を失った。
目をさますと、なおみは熱を出して寝込んでいた。蔵のなかで倒れていたらしい。孝志が見舞いに来た。いつものように笑う孝志。なおみは「孝志ちゃん、死なないでね」と言って涙を流した。孝志は「何言ってんだよ」と言って、タオルでごしごしとなおみの涙をふいてくれた……。



当時、この物語を読んだ翌日、高熱を出して悪夢を見たのは、たぶん本当だったと思います(もはや自分の記憶にまったく自信がないのですが)。

小学五年生……好きな男の子がいて、その子はわたしにやさしくて、でもわたしは素直になれずにいつもつんけんしてて……そんな関係がいつまでも続くような気がしていた。初恋の子とずっといっしょにいられると思い込んでいた。「初午のたいこ」は「ひとの心は移り変わる」ことを示してくれた、初めての物語でした。恐ろしくて、心に焼きついた、大事な物語でした。

あれからちょうど40年。あっという間の40年。そう、当時のわたしは「変わりたくない」「失いたくない」と思っていた。でも、変わるものもあれば、変わらないものもある。失うものもあれば、失わないものもある。40年前の自分に「変わることを、失うことを、そんなに恐れなくていいんだよ」と言ってあげたいです。

あーあ、ずいぶん遠いところに来てしまった。

タイムマシンに乗った気分。インターネットのおかげで40年前の自分に会えるなんて、当時は夢にも思わなかったです。科学の進歩、バンザイ。





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片足鳥居。

毎年、ランタンフェスティバルの時期に長崎を訪れていますが、今年も出かけてきました。そして、わたしが個人的に長崎でいちばん心惹かれる場所がここ。

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山王神社の二の鳥居。被爆して半分が倒壊した鳥居です。今回は二度目の訪問。前回は2015年2月に訪れていて、そのときのことは「長崎ランタンフェスティバルその2」(2015年2月25日付)に記録しました。

前回はシェフを別の場所で待たせていたので時間がなく、この「二の鳥居」しか見られませんでしたが、今回はきちんと神社本殿を参拝しました(シェフといっしょに)。

すると、境内で見知らぬおぢさんから声をかけられました。

おぢさん「ここは初めて?」
わたし「いえ、二回目です」
おぢさん「ランタンフェスティバル?」
シェフ・わたし「はい」
おぢさん「福山?」
シェフ・わたし「??? いえ……ちがいますけど……」

福山? 雅治? え? 長崎でライブでもやってるの? 

そんなわれわれの疑問をよそに、おぢさんは境内の二本のクスノキについて説明してくださいます。どうやらボランティアでガイドをしてらっしゃるかたみたいです。そういえばさっき、別の参拝客たちがおぢさんの話に聞き入っているのを見かけました。

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爆心地より南東800メートル、地上500メートルで被爆した山王神社。当時、専門家は「この先何十年も草木一本生えないだろう」と述べていたそうです。

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ところが、あれから70年余。クスノキは元気に生きつづけ、緑の葉をたくさんつけてくれています。

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原爆投下からわずか二カ月で新芽を吹いたとき、地元のかたたちは「この木、生きてるぞ!」と大喜びしたのだそうです。聴診器を当てて心電図を見たら、きちんと波動が見られたと言います。それからずっと、この木が生きつづけるために、地元のかたたちは多大な努力をされてきました。

よく見ると、あちこちを樹脂で補強してもらっています。皮一枚でもちこたえている個所もあるそうです。

山王神社には、かつて一から四まで鳥居がありました。上の写真の狛犬さんのところに三の鳥居、階段の上のクスノキの奥に四の鳥居がありましたが、どちらも跡形もなく吹き飛ばされてしまいました。向かって右の狛犬さんの裏手には、今も倒壊した鳥居の石のパーツがそっと置かれています。

われわれが伺ったとき、ちょうど四の鳥居の台座を発掘する工事を行なっていました。かなり深く掘ったのに出てこないそうで、おぢさんは「たぶん粉々にくだけてしまったんだろうね」とおっしゃってました。

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前回のブログにも書きましたが、一の鳥居は無傷で残っていたのです。写真奥に半分になった二の鳥居が見えます。今は商店街になっている通り沿いの、クリーニング店があるあたりに一の鳥居があったのですが、昭和30年代に車がぶつかったことをきっかけに「危ないから」と取り壊してしまったのです。おぢさんはご立腹でした。

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写真奥に二本の煙突が見えます。爆心地にほど近い長崎医科大学の煙突で、一本が曲がっています。おぢさんは当時3歳でしたが、この煙突のことはなぜかハッキリと覚えているそうです。

山王神社では、鳥居も、石灯籠も、柵も、すべて左側……つまり原爆が投下された北西側だけが粉々になっていました。

おぢさんは、「たった1、2メートルちがうだけでこんなに被害がちがうんだよ。1メートルをバカにしちゃいけないよね」とおっしゃいました。

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二の鳥居の柱に刻まれた寄付者(?)のかたがたのお名前も、北西側だけがきれいに消えていました。

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鳥肌ものだったのが、二の鳥居の横木の角度!(上を「笠木(かさぎ)」、下を「貫(ぬき)」と呼ぶそうですね) わかります? 笠木と貫の角度がわずかにずれているのが。貫の角度が正しくて、笠木は爆風で12.1度ずれてしまったのだそうです。もしこれが15度ずれていたら……確実に倒壊していたそうです。

……とまあ、こんなふうに、おぢさん、小一時間もかけてあれこれ教えてくださいました。ええ、記念写真を撮るときのベストアングルまで!(笑)。ずっとニコニコと、楽しく明るくお話してくださったので、われわれも楽しく(いいのか?)ごいっしょさせていただきました。おぢさん、山王神社の郡司さんの学校の先輩で、福山雅治さんのお父さんの同級生なのだそう。福山さんご自身とのご交流もあるそうで、そんなお話もこっそり伺いました(秘蔵写真(?)もたくさん見せてもらいましたよ)。

われわれは知らなかったのですが、福山さん、この神社について唄った「クスノキ」という曲があるんですって? 2014年発表の『HUMAN』というアルバムに収録されているとか。以来、この神社をお詣りするファンが後を絶たないそうですね。

ああ、だからおぢさん、出会ったときに「福山?」とおっしゃってたのか、とようやく合点が。

いえ、わたしの場合、福山さんではなく、前回のブログに書いたようにフィリップ・フォレスト氏の『さりながら』がきっかけだったんですけどね……。そっかー、ひそかに「ここはわたしの大事な場所」と思っていたのに(←ずうずうしい)、すでにメジャーな観光スポットになってたんですね、少しだけガッカリ(笑)。

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ちなみに「二の鳥居」、公式には「一本柱鳥居」という名称になっていますが、地元のかたたちはむかしから「片足鳥居」「一本足鳥居」と呼んでいるのだそう。「差別につながるので好ましくない」と勝手に名称を変更されてしまったと、おぢさんはご不満そう(でも英語表記に従来の呼び名の痕跡がありますね)。で、福山さんがこの鳥居を歌のなかで何と呼ぶか、地元では注目が集まっていたのですが……。結果はこちらをごらんください。


福山さんが地元のかたたちに愛されている理由が、今回よくわかりました。

さいごに、

おぢさん「じゃあ、ランタンフェスティバル、楽しんで!」
シェフ・わたし「本当にいろいろとありがとうございました!」
おぢさん「……鳥居の横木の角度は?」
シェフ「あ! 12.5度!」
おぢさん「ちがう!」
わたし「12.1度!」
おぢさん「正解! じゃあね!」

さいごにテストされちゃいました(笑)。

ああ、せめてお名前をお尋ねしておけばよかった……わたしのバカバカ。









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タメ語。

ここ数年で、わたしの話しことばは敬語がデフォルトになりました。

口頭でひとと話をするという行為のお相手が、お店のお客さまというケースが圧倒的に多いからです。つまり、タメ口をきく機会がレア。例外はシェフですが、シェフが相手の話しことばは「タメ語」というより「超タメ語」(別名「命令」「説教」とも言う)なので、ちょっとちがう。たまに「はたして今のわたしは正しいタメ語を話せるのだろうか?」と不安に感じることもあるのです。ええ、マジで。

そんなわたしに、ようやく何年ぶりかの機会到来。埼玉県の小学校に通っていたわたし、当時の同級生2人と熊本市内で飲む、というシュールな(?)シチュエーションが訪れたのです。ああ、そういえば、ひとさまといっしょに「飲む」のも何年ぶりだろう……?(遠い目) シェフは下戸だし、ほかにいっしょに飲む相手もいないし。

そんなわけで、「タメ語」問題以前に、ひとといっしょに飲むときの「マナー」もすでにわからないぞ、と事前にこっそりネットで検索するわたし。ふむふむ、居酒屋でサラダを取り分ける「女子力発揮」オンナは、男受けはよいが同性には嫌われてしまう、と(まあ、やるつもりもないけど)。そして、焼き鳥盛り合わせの串をあらかじめ全部はずしてしまう行為は、お店のひとをガッカリさせる、と。うんうん、串からはずすとお肉が冷めちゃうし、口に入れる順番を考慮して焼いているのが台なしになるからね。わかるわー、うちのシェフもポークグリエや若鶏のソテーは、左からナイフでカットする(右利きの場合ふつうはそうなる)ことを想定して焼き加減を考えてるからね。だからさいしょにお肉を小さくカットされてしまうとガッカリするのです、うちのシェフ。さらに、大皿から取り皿に料理を取り分けるときは「直箸」ではなく「取り箸」を使うのがよい、ただし箸をひっくり返すのはNG、と。なるほど、なるほど。

あー、でも、「マナー」以前に、会話の「呼吸」に自信がないわ……。実はわたし、放っておくと相手の話をディープに突っ込んでしつこく聞きたがる悪いクセがあるのですが(とくにお酒が入ると)、これってやりすぎると嫌われるわよねえ……。ひとの話を真剣に聞きながら、その合間に自分の話もするって、今考えるとものすごい高度なテクニックな気がするけど、わたしにできるかしら? あ、いや、「真剣に」なる必要はないか。飲みの場でまじめで重たい雰囲気を作ってもしかたがないから、もっとリラックスして「軽妙に」いかないと。でも「あいつはヘラヘラしててひとの話もロクに聞かない」と思われたら困るし……。自分のことばかり話すと嫌われるらしく、まあ、それは性格的に大丈夫だと思うけれど(基本、他人は自分なんかの話には興味がないだろう、といつも思っているので)、あんまり自分の話をしないのも「あいつはどうも秘密主義だ」とうさんくさく思われそうだし。あ、それから、あんまり「うん、わかる、わかる」を連発すると「ふん、わかりもしないくせに」と相手をイラッとさせるとも聞くよなあ……気をつけないと。

てか、たかが「飲み」に対して、肩の力入りすぎだろ、わたし。

さて、結果です。いやあ、心配無用でした。タメ語は自然にすらすら出てきましたし(ほっ)、会話もまったく途切れることなく丸5時間!(←今数えてびっくりしてるところ) 強いて言えば「マナー」の点で、途中でうっかり箸をひっくり返して取り分けてしまったのが失敗でしょうか(お酒が入ってわけがわからなくなったのが敗因)。同席者のおふたりにこの場を借りて非礼をおわびします。

それにしても、不思議なものですねー。「小学校時代の友だち」というだけで、なぜ「タメ語」にスイッチが自然に切り替わるのか。だって、当時いつもつるんでいた相手というならわかりますが、三人とも(ひとりは男子で、わたしを含むふたりは女子)「ええと、何年のときに同じクラスだったんだっけ?」というレベル(話をすり合わせたところ、どうやら6年生で全員同じクラスだったようで、三人ともその事実に驚くというていたらく)。顔はだいたい覚えてるし、話をした記憶もあって、だから親しみの感情はもちろんあるけれど、お互いの性格を把握してるわけではないし、すごく仲よかったわけでもない。なのに、共通の友人や恩師を持ち、同じ公園で遊び、同じ運動会を体験し、同じ「事件」を知っていて、同じ文房具屋さんや本屋さんに行っていたというだけで、3、40年ぶりに会っても「素」をさらけ出し、5時間もノンストップで話し込み、失礼な軽口さえ叩き合えるとは(驚)。よくよく考えたら、おぼろげな記憶を共有しているだけの、ほぼ初対面の相手じゃないですか(だって、お互い経年劣化(?)で外見がかなり変わってしまったわけだし)。

シェフ以外のひとに向かって、思わず「バカじゃないの?」と言ってしまった自分に、一瞬ハッとし、ひそかに感動してしまいました(もし相手がムッとしてたら申し訳ないですが)。

そして今日、お店の前の公園で遊んでいたり、お隣の駄菓子屋さんに連れだってやってきたりする小学生たちを眺めながら、「あの子たちもあと3、40年したら、きっと同じ感動を味わうようになるぞ」と、ひとりほくそ笑んでいるのです。長く生きるって意外とおもしろい。

あ、その感動を味わうには、転校するなり、別の土地に就職するなり、外国へ行くなりして、一定期間同級生たちとの連絡を一切途絶えさせるという条件がつくかもしれませんが(←いずれもわたしのケースに相当)。


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残念ながら「飲み」の写真はないので(うっかり写真を撮るのを忘れてた)、無関係の写真を。

David Bowie 1947年1月8日ー2016年1月10日
Mick Karn  1958年7月24日ー2011年1月4日
Lous Antoine de Saint Just 1767年8月25日ー1794年7月28日
Fran?oise Frenkel 1889年7月14日ー1975年1月18日

昨年、わたしが入れこんだひとたち。1月に亡くなったひとが三人もいることにあらためて驚きました。いずれももう命日はすぎましたが。




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