拗れる人々

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メンヘラ、スピ系、デムパ系が、インターネットと親和性が高いことは周知の事実だろう。 昔なら「狐付き」として蔵に閉じこめられてたような方々が、 さまざまな社会的な障壁を易々と越えてしまう魔法の箱。 良くも悪くも同期しやすい波動を共有するにはうってつけだ。
また、やたらと音読みを連鎖させるのが好きなスピ系の方々には 携帯や、パソコンなどの自動変換機能など宝の箱だろう。 元来、組み立てなくては意味のない漢字をカタカナ表記し、別の文字に分解、再構成させることで、
当たり前のことを単純に、気がつかなかった人へ「ハッ」とさせる効果を持つ。
検索能力が高いかと思って目を見張る事もあるが、謀略フィルターがかかっている事が多く大変でもある。
ちょっとうんざりするし、他人との距離感をモニター越しでしか確かめられないから気を使う。
まあ、そこらへんは20年前に流行った自己啓発系の「言葉遊び」のマニュアルが元になっているのだが、
いつの間にかスピ系、チャネ系の方々に「言霊」扱いされはじめた可哀相な日本語のなれの果てだ。
フォントの過剰なサイズ変更、やたら蛍光色の文字色を多用して、
やたら強調文字や「『 』」、「。。。」、「・・・・」を多用して、読み手の精神汚染を拡大させる。
もちろん、カタカナを多用し、言葉尻を音のみで変調してゆくのは忘れない。
読み手の環境を一切考慮しない、強制音楽流しとか、仕事中にこっそり見る身にもなって欲しい。
ブロードバンド明瞭期には「ぷりんてぃん」さんや、「イシカミ」さんとか香ばしくも愛おしい人たちがいたが、
最近ではもっぱら「陰謀論」やら、「集スト」やら、「天使」やらなんやらで、下手に手をかけると大変だ。
人生で私が大切と考えていることのひとつに「しゃれっ気」と「毒っ気」がある。
「お洒落」のことでなく「ウィット」とか「ユーモア」とかの事で、
「悪意」とか「毒舌」のことでなく「本音」って事。
彼女らにはそれがない。
まじめや、勤勉を常としてきたのか、あきらかに人生にのりしろが少ない。
だからすぐ剥がれるし、もう一度くっつけるにも本文にはみ出てしまい大掛かりな作業になる。
いつしか剥がれるのが怖くなって、剥がれそうな人を見つけて安心する作業を延々くり返す。
日常なら誰かが咎めてくれそうなものだが、共有できるものを検索、もしくは発信し続けて深みにはまる。
報われないいままでの価値観を捨てて、ひと時の開放感と全能感に酔いしれる。
しかし、熱狂がさめやるころには、寄る辺がないことに不安を覚え別の価値観を追い求める。
「神様は忙しいので長い話は聞いてくれない」
それでも自分は弱いから!傷ついているから!と譲らない。
そこにあるのは「わたしがわたしが」という感情だけ。
その実、ずうずうしくはあってもぜんぜん弱くはないし、
傷ついてるから他の人を傷つけてもしょうがないよねって、前もって言い訳しているだけだ。
しらねっつーの。
壊れやすいものなら壊してしまえ。
自分が特別なことであることなんて何の役にもたたない。
と、まぁ、文字を書くことを多少していたことから、
情緒的な文章を多用する学者とかに危惧してみたわけだ。
そんなん許されるのは日記までだよ。
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