万葉集
万葉散歩ーーー香春へ行こう(まだつづき)
鏡山集落の東隣に、石鍋口の集落がある。
石鍋というのは、昔この地で産出した滑石のことで、それが地名の語源となった。
大坂山(飯岳山、573m) から発する呉(くれ)川が流れている。
その川沿いに、歌碑がある。
6♪石上(いそのかみ)布留(ふる)の早稲田の 穂には出でず 心のうちに 恋ふるこの頃
抜気大首(ぬきけのおほびと)(万葉集・巻9・1768)
石上の布留の早稲田の穂が、他に先駆けて穂を出すように、軽々しく表に出さずに、心の中で恋焦がれているこの頃だ。
「石上の布留の早稲田の」 は、ホニイズを起こす序。
「石上布留」は、現在の奈良県天理市の石上神社の辺りと考えられ、作者の故郷らしい。
石鍋口集落から南、国道 201号線を挟んで呉の集落があり、呉
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