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万葉集

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万葉散歩ーーー香春へ行こう(まだつづき)

鏡山集落の東隣に、石鍋口の集落がある。 石鍋というのは、昔この地で産出した滑石のことで、それが地名の語源となった。 大坂山(飯岳山、573m) から発する呉(くれ)川が流れている。 その川沿いに、歌碑がある。 6♪石上(いそのかみ)布留(ふる)の早稲田の 穂には出でず 心のうちに 恋ふるこの頃                        抜気大首(ぬきけのおほびと)(万葉集・巻9・1768) 石上の布留の早稲田の穂が、他に先駆けて穂を出すように、軽々しく表に出さずに、心の中で恋焦がれているこの頃だ。 「石上の布留の早稲田の」 は、ホニイズを起こす序。 「石上布留」は、現在の奈良県天理市の石上神社の辺りと考えられ、作者の故郷らしい。 石鍋口集落から南、国道 201号線を挟んで呉の集落があり、呉すべて表示すべて表示

その他の最新記事

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額田王は、『万葉集』では、「額田王」とし、『日本書紀』では、「額田姫王」と表記している。 明日香川原宮の時代に10代で登場し、30代の後岡本宮の時代に、斉明女帝側近の歌びととしての活躍があり、40代を迎えた大津宮の時代が、最盛期だった。 そして、空白の明日香清御原宮の時代の後、60代の額田が、『万葉集』で活動の最後を飾っている。 大和国平群 ...すべて表示すべて表示

白村江の戦いの翌年、 663(天智3)年 2月、唐の高宗の命により、新羅文武王と百済の扶余隆は、 熊津(ゆうしん)において白馬を屠って会盟を行い両国の和平を誓った。劉仁願がこれに立ち会った。 665年10月。高句麗で泉蓋蘇文(せんがいそぶん)が死去した。 蓋蘇文の権力の継承をめぐり、そのむすこたちらが争いを始めた。 その隙につけ入って唐・新 ...すべて表示すべて表示

遣唐使ーーー7、停止

2008/6/4(水) 午後 2:36

894年(寛平 6)、遣唐使の派遣が停止されて以降、遣唐使の計画は立てられないまま、 907年に、唐は滅んだ。 続く五代十国や宋以降の王朝とは、正式な国交は成立せず、15世紀まで民間交流の時代に入ってゆく。 平安時代後期になっても、中国の文物に対する憧れや需要は、貴族や寺院を中心に強かった。 平安貴族の生活に、いかに「唐物」(からもの ...すべて表示すべて表示



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