村山由佳『放蕩記』

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村山由佳の小説は、
文庫、 ハードカバーともに ほとんど持っている。 またエッセイも図書館で借りるなどして、 プライベートな部分もある程度理解している。 ダブルファンタジー以降 作家としての方向性を変えた彼女だが、 文壇での評価を知れば知るほどに、 納得いかない気持ちにさせられる。 『放蕩記』も 本当は購入したいと思っておらず、 私が「村山由佳」を好きと思った方からのプレゼントだったので、 とりあえず読んだ。 私と村山由佳の感性は、 ダブルファンタジー以前までは 似た感性の人だと感じたり、 憧れの作家であったりしたが、 この『放蕩記』を読み、 さらに宣伝媒体となったテレビ番組でのコメントを知ってさらに、 自分とはまったく異なる人だということを痛感した。 まず始めに、 今月末の母の13回忌によせて、 私は手記を仕上げたばかりである。 同じように 母との愛僧を書いた身として、 その方向性はまったく逆であったことに驚いた。 またさらに、 テレビ番組のコメントで 「母を追い越して自分が母になったつもりに」云々のくだりについて。 これを書いたら身も蓋もないが、 「子供を産み育てたこともないくせに、 認知症になった母親を見下して 何が親を追い越したつもりになってるんだ」 と、 もはや嫌悪に近い感情すら抱いた。 私の家庭は、 この小説より凄まじい母と 負けず劣らず凄まじい父親と、 それに同居の祖父母、 学校でのイジメ、 家庭内イジメ、 最悪の家庭環境だった。 おかげで、 一生治らないと宣告された精神病を抱える身である。 小説内で万引きのシーンが出て来るが、 小遣いが足りなかったからという理由で万引きし、 それを肯定した文章には呆れた。 『ホームレス中学生』の田村少年は、 どんなに腹が減っていても、 コンビニのパンと睨めっこして葛藤しながら、 最終的には手に取らなかった。 私は中学では新聞配達、 高校ではコンビニでバイトをして、 自分の欲しいものを買ったし、 兄と年子だという理由で 進学さえさせて貰えなかった。 お嬢様学校から大学まで進学させて貰いながら、 ここまで母親を憎めるものか。 私だって 何度も心の中では母を殺したい、 父を、兄妹を 家族全員を殺したいと考えたかわからない。 けれど、 私は子供たちの存在によって 赦すことが出来た。 どんな子供だって、 たった一人で大きくなった訳ではない。 新生児であれば、 誰かがミルクを与え、 おむつを換えてくれたからこそ 今の自分があることは間違いないのだ。 自分にとって100%でなくても、 母は母なりに 父は父なりに、 その周囲にいる人間すべてが、 少しずつ愛を与えてくれたことは 絶対に揺るがない真実である。 我が家の父は、 数え切れない程の浮気を重ねており、 私は小学生の頃からそれを知っていた。 母に内緒で浮気相手の家に連れて行かれたこともあれば、 我が家から見知らぬ女性が出て来る現場に遭遇したこともある。 もちろん母には言わなかった。 母は母で、 いつまでも浮気癖が直らない父とは毎日のように喧嘩しており、 嫁姑のあれこれも重なり、 愚痴を聞くのも私、 八つ当たりをされるのも私、 この小説の主人公よりも はるかに混乱した家庭であった。 ある程度の年齢になれば、 性にまつわる話もされたし、 自分のデートや性の体験まで 逐一報告していた。 その支配具合は、 あなたの比ではない。 結婚後も支配が続き、 離婚すらさせて貰えなかった。 だから私が離婚出来たのは、 母の死後1年以上経ってからである。 髪を茶色に染めるななどの細かいことまで、 母が生きている間ずっと 私は母に支配され続けてきたし、 今もなお 父や兄妹からの支配から逃れられずにいると思う。 だが、 それの何が悪い?? 私は、 家族がピンチの時は 自分がどんなに矢面に立たされようが、 感謝どころか 批難ばかりされようが、 抗うことが出来ないまま引き受けてしまう。 そしてそれらを、 悲劇のヒロインぶって話したりはしない。 自らの自由を奪われ、 どんな苦難を背負うことになろうとも、 それを含めて自分の人生だと考えているからだ。 感謝されるためにやった訳じゃないと言い聞かせながら、 私は家族のために 精一杯のことをする。 愛されたか 愛されてなかったかと問われたら、 自分の望んだ愛には全然満たなかったけれど、 それでも愛があったから自分が存在している感謝を忘れてはいけないと思っている。 赦すことの難しさは誰より理解しているが、 それが出来ない以上、 親を見下してはならないと思う。 親は間違いなく 自分より先に老いていく。 それを見下すのではなく、 尊敬と感謝の気持ちで見届けることが、 子としての役割ではないだろうか。 私は祖父の介護をし、 最期まで看取ったが、 祖父に対して一度たりとも 見下すような態度や感情を持ったことはない。 我が儘になり、 駄々っ子になり、 手のかかることの方が多かったけれど、 祖父への感謝と 祖父の尊厳だけは 絶対に守らなければと思い、 「お世話させて頂いている」 と思いながら頑張った。 家族の誰にも いまだに感謝の言葉を与えられたことはないが、 それでも、 自分さえわかっていればいいことだと考えるようにしている。 そして 自分があの世に行った時、 母には 「叱るのではなく まずは褒めて欲しい」 と考えながら生きている。 支配されていたとしても、 それが自分を作ったものであるならば、 感謝しこそすれ、 憎むなんて、 自分を否定しているようなものだ。 どんなに抗おうとしても逃れられないのなら、 受け入れて感謝する方が、 どれだけ心清らかでいられるだろうか。 村山由佳さん、 あなたは まだまだ幼い。 私より年上で 小説家としての実績も高いけれども、 私にとってあなたは、 尊敬や憧れの対象ではなくなった。 ただ我が儘に奔放に生きて、 それをさも素晴らしいことのように小説として発表する 恥知らずな女性だと思う。 私みたいに 地べたを這いながら生きている人間は、 少なくとも あなたより恥を知っているし、 晒け出していいことと そうでないことの分別も持っている。 物を書く立場の人間ならなおのこと、 読み手の心に敏感でなければならないし、 震災後に書いた作品がこんな小説で、 被災地の人間を慰められるだなんて思い上がりには、 呆れ返るばかりだ。 私は 人生の大半を過ごした福島のことを 片時も忘れることなく過ごし、 家族や親類、 友人知人が皆 福島にいるという状況の中で、 自分に出来ることは何かを ずっと問い続けてきた。 震災のたった1年前に見知らぬ土地に転居して、 それ故に被災しなかったことすら 申し訳なく思い、 心を痛めてきた。 あなたみたいな 何もかも恵まれてなお 愚痴ばかり口にしている人間に、 被災地のことを語る資格はない!! 母親にすら感謝出来ないような人間に、 被災して苦しみの中にある人間の気持ちなどわかるものか!! この『放蕩記』を読んで、 『ダブルファンタジー』 『アダルトエデュケーション』 そしてプライベートなことについても、 尊敬に値する部分を失ってしまった。 母子家庭で 子供二人のW受験に胃をキリキリさせている女の気持ちなど、 あなたには一生理解出来ないだろうし、 家族を赦したり愛したり、 自分の人生を犠牲にしてでも人に尽くすという感情も、 あなたには理解し得ないだろう。 これ以上 作家の尊厳を落とすような作品を書かないで欲しい。 文学が どんどんうす汚れていくのを、 これ以上見たくないというのが本音である。 |