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はい。よく見ます。毎週のようにw でも、20年前に比べれば少なくなっています。 こういう教育やスポーツの現場での肉体的懲罰は、「神戸の校門圧死事件」をひとつの契機として、徐々に減少しつつあります。 日本は過渡期なんだと思います。 これからまだまだ減っていくはずです。 ワタクシも極力、いらだちや怒りは内側に向けるようにしておりますw 自分の練習の組み立ての甘さ、指導言語のボキャブラリーの少なさとして・・・。 あと思うのは、 基本的に「権利」や「自由」は、「責任」とセットの概念ですから、若年層に関して欧米では前者が尊重されていて、かつ「責任」がはっきりしていると思います。 日本は前者がまだまだないがしろにされている分、彼らは「責任」を変な意味で逃れているというか、許されている面もあります。 個人的には、彼らの「権利」「自由」を尊重しつつ、「責任」というものを自覚させていくような取り組みを「部活」や「教育」の現場でやり続けたいです。よく「勝ったら生徒の手柄、負けたら指導者の責任」とか言います。耳障りはいい言葉ですが、何か歪んだものを感じます。
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2010/1/17(日) 午後 8:07 [ マウリシオ ]
>マウリシオさん 体罰は減ったといえども、まだ激しいのが残っているので何とも言えませんね。暴力で言うことを聴かせるというのは、論理的に相手に理解させるという能力の欠如で、自らの無能さを喧伝しているようなものです。勝っても、負けてもチームを構成する全ての人達の手柄でも責任でもあると素直に思えたらいいですね。
2010/1/17(日) 午後 9:17
む゛〜〜〜…??? こぉいうのを(ましてや試合で)見たらカチンっ#ときて 「もぉオマエ失格っ(#゚Д゚)」っていいたくなるトコですが、 チーム(=選手たち)が失格にされちゃうのも違うよなぁ↓と。 なんかこぉ指導者免許停止するとか取り消すとか青キップ切るとか それか反省文書かすとか、なんとか本人にペナ与えたいっすねぇ#
2010/1/17(日) 午後 11:52 [ まりふぁな ]
教育現場の意識改善がなされていることは事実だと思います。ただ、体罰=暴力を必要な指導だと主張する声は指導者・保護者ともにいまだ根強く、事件化されているのは氷山の一角。大半は泣き寝入りしているというのも現実です。 また、減少した大きな要因として体罰の「事件化」もあげられると思います。つまり、「保護者やマスコミがうるさいから体罰は禁止」というパターン。本質的な議論を避け、事なかれ主義での対応を選択しているケースが往々にしてみられます。 その結果、近年は生徒から教師への暴力が表面化するケースが増えました(以前は様々なしがらみのなかで“処理”されていたものが事件化するようになってきたと感じています)。体罰=暴力を是認すれば暴力の連鎖が起きるのは当然の成り行きで、教師も被害者となりうるわけですが、その観点での議論が抜け落ちているように思います。
2010/1/18(月) 午前 0:17 [ rio ]
もう少し続き。 教師が生徒の素行の悪さを注意するときに胸倉をつかみ、そのせいで生徒が不登校になったという「事件」がありました。一方、柔道初心者生徒に長時間の乱取りを強要し、最後は教師の手で投げ、締め落とし、そのまま放置して死亡させた「事件」が起きています。あるいは、教師と生徒が“合意”の上でペナルティとして全裸でグランドを走ったことが「事件」となった例もありました。 私は3つのケースともに体罰であって教師が「責任」をとらされてしかるべきだと思っていますが、日本では、たとえば「たかが胸倉をつかんだ程度で?」というレベルの議論になってしまう問題意識のズレが見られます。 たとえばアメリカなら3つのケースはいずれも「教師の暴力」で、解雇・逮捕される可能性があるものです。一方、素行の悪い生徒が教師に暴力で対抗する危険性を想定し、学校に警備員が配置されています。 ↑これが良い悪いということではなく、暴力を防ぐためにどうすべきかの観点から議論された上でこのようなスタイルを選択しているという点が重要だと思います。
2010/1/18(月) 午前 0:28 [ rio ]
最近、全く叩かないより適度に叩いた方が良い子に育つ、というような欧米での研究結果が出ましたよね。 私自身、高校時代はコート上で師に叩かれて育てられましたが、暴力体罰と感じるというより、単に厳しい指導だと感じました。その向こうに師の愛を感じましたし、自身の胸に師のメッセージがより強く響きました。そして頑張らねばと奮い立ちました。 力を加減し相手と時を選び、そして教え子への思いやりが前提にあれば、やはり適度に手を上げる指導は有効であるように思います。 特に日本の場合、欧米とは下地の文化も異なり、子供の大人に対する依存心も強いので、安易に欧米では大問題として日本でも大問題とするのは少々疑問に思います。 日本の子は社会の環境が良すぎるのか、ある程度厳しく接しないと自立を促せず人間成長につながらないことが多いです。そのための良い手立てが他にないか、とはいつも思うのですが…。
2010/1/18(月) 午前 2:11 [ ヴぉlっぇyばll ]
>ヴぉlっぇyばll さん その調査結果の年齢を見ましたか?マージョリー・グノエ教授の研究は、最も良い結果になったのは「2歳から6歳までに叩かれた人」で、次いで「7歳から11歳までに叩かれた人」。しかもそれは親にであってスポーツのコーチではありません。私はいかなる理由でも正当化することは出来ないと思います。本人が叩いて欲しいのならそれでもいいのかもしれませんが、誰にでも当てはめられることではないのではないでしょうか。叩かれなければできない人間的成長というのは一体どんなものだろうと思います。
2010/1/18(月) 午前 4:00
>まりふぁなさん 私もそう思います。
2010/1/18(月) 午前 4:03
>rioさん 認識にズレがあってそれが問題を難しくしていますね。 暴力は暴力であることには変わりはありません。 世の中には暴力で命を落としている人がいるのですから、その程度、大小ではないと思います。 とこんなことをいっても平行線になったりするので、 荒れたりする前に閉じてしまった方がいいかもしれないですね・・・。
2010/1/18(月) 午前 4:11
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はい。よく見ます。毎週のようにw
でも、20年前に比べれば少なくなっています。
こういう教育やスポーツの現場での肉体的懲罰は、「神戸の校門圧死事件」をひとつの契機として、徐々に減少しつつあります。
日本は過渡期なんだと思います。
これからまだまだ減っていくはずです。
ワタクシも極力、いらだちや怒りは内側に向けるようにしておりますw
自分の練習の組み立ての甘さ、指導言語のボキャブラリーの少なさとして・・・。
あと思うのは、
基本的に「権利」や「自由」は、「責任」とセットの概念ですから、若年層に関して欧米では前者が尊重されていて、かつ「責任」がはっきりしていると思います。
日本は前者がまだまだないがしろにされている分、彼らは「責任」を変な意味で逃れているというか、許されている面もあります。
個人的には、彼らの「権利」「自由」を尊重しつつ、「責任」というものを自覚させていくような取り組みを「部活」や「教育」の現場でやり続けたいです。よく「勝ったら生徒の手柄、負けたら指導者の責任」とか言います。耳障りはいい言葉ですが、何か歪んだものを感じます。
2010/1/17(日) 午後 8:07 [ マウリシオ ]
>マウリシオさん
体罰は減ったといえども、まだ激しいのが残っているので何とも言えませんね。暴力で言うことを聴かせるというのは、論理的に相手に理解させるという能力の欠如で、自らの無能さを喧伝しているようなものです。勝っても、負けてもチームを構成する全ての人達の手柄でも責任でもあると素直に思えたらいいですね。
2010/1/17(日) 午後 9:17
む゛〜〜〜…???
こぉいうのを(ましてや試合で)見たらカチンっ#ときて
「もぉオマエ失格っ(#゚Д゚)」っていいたくなるトコですが、
チーム(=選手たち)が失格にされちゃうのも違うよなぁ↓と。
なんかこぉ指導者免許停止するとか取り消すとか青キップ切るとか
それか反省文書かすとか、なんとか本人にペナ与えたいっすねぇ#
2010/1/17(日) 午後 11:52 [ まりふぁな ]
教育現場の意識改善がなされていることは事実だと思います。ただ、体罰=暴力を必要な指導だと主張する声は指導者・保護者ともにいまだ根強く、事件化されているのは氷山の一角。大半は泣き寝入りしているというのも現実です。
また、減少した大きな要因として体罰の「事件化」もあげられると思います。つまり、「保護者やマスコミがうるさいから体罰は禁止」というパターン。本質的な議論を避け、事なかれ主義での対応を選択しているケースが往々にしてみられます。
その結果、近年は生徒から教師への暴力が表面化するケースが増えました(以前は様々なしがらみのなかで“処理”されていたものが事件化するようになってきたと感じています)。体罰=暴力を是認すれば暴力の連鎖が起きるのは当然の成り行きで、教師も被害者となりうるわけですが、その観点での議論が抜け落ちているように思います。
2010/1/18(月) 午前 0:17 [ rio ]
もう少し続き。
教師が生徒の素行の悪さを注意するときに胸倉をつかみ、そのせいで生徒が不登校になったという「事件」がありました。一方、柔道初心者生徒に長時間の乱取りを強要し、最後は教師の手で投げ、締め落とし、そのまま放置して死亡させた「事件」が起きています。あるいは、教師と生徒が“合意”の上でペナルティとして全裸でグランドを走ったことが「事件」となった例もありました。
私は3つのケースともに体罰であって教師が「責任」をとらされてしかるべきだと思っていますが、日本では、たとえば「たかが胸倉をつかんだ程度で?」というレベルの議論になってしまう問題意識のズレが見られます。
たとえばアメリカなら3つのケースはいずれも「教師の暴力」で、解雇・逮捕される可能性があるものです。一方、素行の悪い生徒が教師に暴力で対抗する危険性を想定し、学校に警備員が配置されています。
↑これが良い悪いということではなく、暴力を防ぐためにどうすべきかの観点から議論された上でこのようなスタイルを選択しているという点が重要だと思います。
2010/1/18(月) 午前 0:28 [ rio ]
最近、全く叩かないより適度に叩いた方が良い子に育つ、というような欧米での研究結果が出ましたよね。
私自身、高校時代はコート上で師に叩かれて育てられましたが、暴力体罰と感じるというより、単に厳しい指導だと感じました。その向こうに師の愛を感じましたし、自身の胸に師のメッセージがより強く響きました。そして頑張らねばと奮い立ちました。
力を加減し相手と時を選び、そして教え子への思いやりが前提にあれば、やはり適度に手を上げる指導は有効であるように思います。
特に日本の場合、欧米とは下地の文化も異なり、子供の大人に対する依存心も強いので、安易に欧米では大問題として日本でも大問題とするのは少々疑問に思います。
日本の子は社会の環境が良すぎるのか、ある程度厳しく接しないと自立を促せず人間成長につながらないことが多いです。そのための良い手立てが他にないか、とはいつも思うのですが…。
2010/1/18(月) 午前 2:11 [ ヴぉlっぇyばll ]
>ヴぉlっぇyばll さん
その調査結果の年齢を見ましたか?マージョリー・グノエ教授の研究は、最も良い結果になったのは「2歳から6歳までに叩かれた人」で、次いで「7歳から11歳までに叩かれた人」。しかもそれは親にであってスポーツのコーチではありません。私はいかなる理由でも正当化することは出来ないと思います。本人が叩いて欲しいのならそれでもいいのかもしれませんが、誰にでも当てはめられることではないのではないでしょうか。叩かれなければできない人間的成長というのは一体どんなものだろうと思います。
2010/1/18(月) 午前 4:00
>まりふぁなさん
私もそう思います。
2010/1/18(月) 午前 4:03
>rioさん
認識にズレがあってそれが問題を難しくしていますね。
暴力は暴力であることには変わりはありません。
世の中には暴力で命を落としている人がいるのですから、その程度、大小ではないと思います。
とこんなことをいっても平行線になったりするので、
荒れたりする前に閉じてしまった方がいいかもしれないですね・・・。
2010/1/18(月) 午前 4:11