『女と男のいる舗道』
|
この映画は、レコード店に勤めていた若い女性が売春婦になり、突然マフィアの抗争に巻き込まれて銃で撃たれて死ぬという作品(1962年)。監督はジャン=リュック・ゴダール。 主人公の顛末は、この映画では重要視されていない。観客が感情移入できるような登場人物の心理描写はない。 ゴダールにとっての関心領域は、従来の映画文法の破壊、売春、言葉などのようであり、これらが断片的に寄せ集められている。 目立つのは、反『映画』的な部分。 ・冒頭、別れ話をする男女が終始背後からのカメラで撮られており、背中しか映されない。なぜ役者は観客(カメラ)に向かって演じなければならないのか、挑発的なショット。 ・売春の実態は登場人物の対話のナレーションで語られる。それは、映像と独立して、むしろ分断されて一人歩きしている。まるで言葉が映像に挑戦しているかのようだ。 ・アンナ・カリーナのビリヤード場でのダンスや、実在の哲学者との言葉についての対話などは、おそらく即興的な撮影だろう。アクションの一回性。リハーサルを繰り返す従来の映画とは対極。 ・冒頭のアンナ・カリーナの右側、正面、左側からのショットは、よくみると、『Action Start!』の本番前後のシーンも使用されているようにみえる。演技以前の役者の生の姿。 一方で、『女は女である』(1961年)の後に撮られた初期の作品のためか、ゴダールの作品の中では、映画文法の破壊はまだまだ少ない。むしろ古典的手法が目立つ。映画は12の短編(断片)から成り立っているが、これらは、意外にもお互いに繋がっている。カメラワークは大人しい。音楽の挿入法も驚く程ではない。 この映画の基調のトーンはというと、前作の『女は女である』とは打って変わって、沈鬱だ。 役者の演技、編集のテンポ、繰り返される深く沈みこむような音楽、、、そして主人公の突然の死。これらは、当時のゴダールの心象風景の反映だろう。 劇中で哲学者が『言葉で話すことはお互いに考えるため』と語るが、これはゴダールの言葉に対する確固たる考えの反映なのだろう。 『女と男のいる舗道』は、ゴダールの作品群がその後どのように発展していったのか、その萌芽が窺える作品だ。
|
トラックバック(2)
トラックバックされた記事
女と男のいる舗道(1962)
[[attached(1)]] この作品を見るのは3回目(?)くらいかな。ジャン=リュック・ゴダールが、当時自分の妻だった アンナ・カリーナの美しさを最大限に引き出していて、彼女が最も美しい映画ではないでしょうか! 12の連続短編にして、主人公ナナ(アンナ・カリーナ)
2008/9/2(火) 午後 8:15 [ La recherche de soi sans fin ]
*女と男のいる舗道*
Vivre sa vie Trailer (Jean-Luc Godard, 1962) ***STORY*** 1962年 フランス パリのあるカフェ。ナナ(アンナ・カリーナ)は別れた夫と疲れきった人生を語りあっている。現在の報告をしあって別れる。夢も希望もない。ナナはそんなある日、舗道で男に誘われ、体を与えてその代償を得た。そして彼女は古い女友達イヴェット(G・シュランベルゲル)に会う。彼女は街の女達に客を紹介してはピンはね...
2011/10/15(土) 午後 10:42 [ Cartouche ]






8 1/2さんの文章とお写真を見て思い出しました
"背中"が大変印象的だったと・・・
《娼婦》には全く興味が無いのですが(笑)
ドキュメンタリー風の娼婦の実態がリアルでちょっと私には重たかったです
やっぱり『女は女である』のようなコメディタッチの作品が私は好きです^^v
2008/9/1(月) 午後 10:48
おはようございます。
ちょっとこの作品はあまり印象に残ってないんですよね。
たしかに背中ばっかり観てた様な…
好きな作品も多いですが自分にはゴダールは向いてないんじゃないかと思った作品です。
2008/9/2(火) 午前 6:50
Astayさん、
ゴダールは、ポップな作品とへビィーな作品の幅が大きいと思います。たくさん観ているわけではないのですが、明るく爽快なのは、『女は女である』、『はなればなれに』『男性・女性』などでしょうか。反対に、重く沈鬱なのは、『彼女について知っている、、、』や『女と男のいる舗道』などではないかと思います。
私も何度も観るのは、明るいポップな映画の方が多いです。
2008/9/2(火) 午後 6:45
marrさん、
ゴダールは、取っ付きにくい監督ですね、なにせ映画をぶち壊していく監督ですので。
私の場合は、運よく『勝手にしやがれ』、『気狂いピエロ』、『女は女である』から入っていったので、免疫が出来て、なんとかお付き合いすることが出来るようになりました(^^)
でも、重い作品は、観るのにエネルギーが要り、とても苦戦します。
2008/9/2(火) 午後 6:47
やはり8 1/2さんが凄いのは、作品の裏表の読み取りと的確かつ冷静な着眼点だと思います。勉強になります!まさに様々な監督が今まで創り上げてきた映画史の常識を覆していく「新しい波」を起こしているゴダールの一頂点に成り得る作品だと思います。TBさせていただきますね☆
2008/9/2(火) 午後 8:14
観たまま、感じたままを勢いで厚顔無恥に書いてしまっているのです(^^)
専門の方、玄人の方々からみれば、上の記事など、「こいつ、わかってねえなぁ〜」というところではないでしょうか。
コメント、TB、どうもありがとうございます(m_m)
2008/9/3(水) 午後 9:20
ゴダールは「勝手にしやがれ」と「カルメンという名の女」くらいしか、知りませんが、
ゴダールって言葉にできない、いらだちや、怒りや悲しみや
そして、切なさをないまぜにして
映像にシュール描く?そんな印象をもっています。
これから少しずつゴダール見ていきたいと思います。
2008/9/4(木) 午後 6:48 [ ]
ゴダールは、『いらだち、怒り、悲しみ、切なさ』や喜び、性、死、社会、政治、、、などなどあらゆるものが言葉と映像と音でスクランブルされたような印象がありますね、
「カルメンという名の女」は、まだ観たことがないので、機会があれば観てみたいところです。
コメント、どうもありがとうございます☆
2008/9/4(木) 午後 9:21
あ〜これずっと見たい!!と思っている作品です。
そうなのですか。古典的手法で撮られた作品なのですね。
シネフィルに期待・・
2008/9/13(土) 午前 11:23
ゴダールの初期の作品なので、難解という映画ではないと思いますよ、でもトーンは爽快とは程遠く、とても沈鬱です。
レンタルで借りて観ました。おそらく、近くのレンタルに置いてあるのではないでしょうか。
2008/9/13(土) 午後 9:03
しつこく待っていたら、シネフィルさんで放映してくれました。
ゴダール作品としてはわかりやすくて、楽しくて
でも常に。そしてラストも悲しい・・
確かに陰鬱な作品でもありました。
<反『映画』的な部分
なるほど。そうですね。
TBさせてくださいね。
2011/10/15(土) 午後 10:41
カルさん、
ゴダール作品としてはわかりやすいですよね。
悲しいラストは、当時のゴダールの心理の反映ではないでしょうか。タイトルはロマンチックですが、沈鬱なトーンの映画ですね。
TBどうもありがとうございます。
2011/10/16(日) 午後 9:11