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跡形もない街の映像や被ばく被害の報道、被害の実態が依然明らかにならないこと、政府の節電要請など、異常な報道の連続にあ然としています。電力のことなら関西在住の私も協力できると思ったら、周波数の違いが障壁となって簡単にはいかないとのことで、これ以上事態が悪化しないのを願うのみです。
今晩の総理の会見を視聴しましたが、目に涙を浮かべる姿に、東京が困りきった様子がうかがえて、見ている側も深刻になりました。東京が弱った顔を見せるのが初めてで、そのことにも私はショックを受けています。
ひと月前、個人のカンニングでマスコミが騒いでいた時期がありましたが、そんなくだらないことが一面を飾るなんて、平和な国だったんだなと思います。
借金の多い国で支援金を出せないのなら、時限立法で復興税を課せばいいです。力になれるなら払います(民間の募金は信用していないタイプですので…)。何もかも失った人たちがおられますし、あのがれきを取り除いて復興するためには相当の時間と費用がかかります。個人的には「港町ブルース」で歌われた宮古、釜石、気仙沼や「みちのくひとり旅」の白河、松島の街、その一帯が壊滅的な被害を受けたことに言葉もありません。曲を聴きながら、「歌に歌われるくらい風光明媚な街並みなんだろうなぁ」と思い巡らせていた土地土地なので、テレビに映し出された有様はいまだに信じられません。
世界の関心は福島の原子力発電所の危機ですが、専門家の解説を聞いても理解できません。一度動き出した原子炉は容易に止めることができないのか、水を注ぎ込むしか手だてがない仕組みをよく理解できていません。原子力発電で生み出される電力の恩恵を受け、その危険性を認識していなかったなんて日本人として恥ずかしいことです。
1983年生まれの私は、過去のヒット曲を調べるとともにそれぞれ時代にどんな出来事があったかも調べていました。そのなかで1つだけ信じられない出来事があります。それは、敗戦後から驚異的な復興を遂げたことです。他国の戦争で需要があったのが支えになったのかもしれませんが、国中の街が空襲を受けて跡形もない焼け野原となったところから始まった戦後の復興は、ひとりの力でできることではなく、国の再生にみんなで一致団結したことだと推測できます。力を合わせるとすごいことができます。海外の人たちの励ましの言葉は、この出来事があってのことでしょう。
その頃は「リンゴの唄」や「東京ブギウギ」、「啼くな小鳩よ」、「異国の丘」などなど、心を慰める歌も多数あったようですが、最近は誰でも知っていて、ひとつになれるような歌もありませんが、歌などなくても構わないです。何か復興の一助になれるようなことをできないか、と意識を持ちながら生活をしようと思います。
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