寺社・天井龍図・五重塔・三重塔

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全17ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

3-17 如意寺三重塔 1385年建立 (神戸市西区)

一乗寺から車で40分で如意寺です。住所は神戸市西区櫨谷町谷口259で最寄り駅は神戸電鉄有馬線の鵯越駅です。下調べをする時に住所の櫨谷(はぜたに)も、鵯越(ひよどりごえ)も読めなくてがっかりしました。
 
さて、如意寺ですが比金山如意寺、天台宗の寺院です。寺伝によると一乗寺と同じく法道仙人が多聞天の教化のため櫨の木に地蔵菩薩と毘沙門天を刻んだのが始まりとされ、その地に645年孝徳天皇の勅願により伽藍が建立とあるのは一乗寺より5年ほど早いということになります。
 
櫨谷川をさかのぼり駐車場が無いようなので道端に車を停めるとすぐに坂の途中に建つ文殊堂があります。
文殊堂を過ぎると右手にすぐに目的の三重塔が見えます。
 
文殊堂は1453年建立、三重塔は1385年建立です。
イメージ 1
 
三重塔は高さが21.33mと普通のサイズですが、台上に建立されているため高く見えます。
建築は純和風で案内板によると3層の各階に大日如来、釈迦如来、多宝如来を安置しているらしいです。
三重塔、五重塔といっても内部は層状になっている例は少ないと思うのでぜひ内部を見てみたいものです。
イメージ 2
 
逆光になってしまいましたが常行堂(阿弥陀堂)で12世紀末から13世紀初めに建てられて神戸市最古の建築物です。内部には同時代の阿弥陀像がありますが、私は見ることができませんでした。
イメージ 3
 
孝徳天皇創建当時には「三級塔一宇鐘楼堂二階楼門二箇鎮守其外僧院廿四坊」の規模を誇っていたそうです。往時の名残を少しだけですが偲ぶことができます。
イメージ 4

閉じる コメント(0) ※投稿されたコメントはブログ開設者の承認後に公開されます。

閉じる トラックバック(0) ※トラックバックはブログ開設者の承認後に公開されます。

3-6 一乗寺三重塔1171年建立 兵庫県加西市

兵庫県加西市坂本町にある一乗寺は天台宗のお寺です。
一乗寺の開基法道仙人はインドから紫の雲(金斗雲?)に乗って飛んできたが、八葉蓮華の形をした霊山を見出し、そこに降り立ち、法華山と号したのが始まりで、法道仙人の評判を聞いた孝徳天皇が650年に勅命により建立したのが一乗寺であるという。
 
一乗寺は行きたいお寺ではあったが鉄道の便が悪くなかなか機会がなかったが、娘の春休みに大阪へのドライブ(娘は大阪天保山で開催のツタンカーメン展が目的)を兼ねて参拝することができました。
 
山陽自動車道加古川北ICを降りて15分ほど山道を走ると一乗寺はあります。
駐車場は500円、入山料は300円だったと思います。
イメージ 1
 
一乗寺の堂宇は山の斜面に4層に分けて建てられていて、一番下が山門、駐車場、2番目に常行堂、3番目に三重塔、一番上に本堂の大悲閣があります。目的の三重塔はこのため下から、正面、上から見学することができます。
 
4月の初めとはいえ、山中で寒いせいか緑が少なく、木のこずえ越しに見上げることができます。
この三重塔は平安後期1171年の建立で、日本で現存する6番目に古い三重塔です。五重塔とあわせても9番目に古い塔なので、現地の案内板にも「日本でも10指に入る古塔」とうたっています。
イメージ 2
 
 
やや上から。屋根の低減率が大きく、安定感のある
イメージ 3
 
最後に本堂から。最上層の屋根は吹き替えられて時間がたってないみたいで綺麗ですね。この屋根のゆるやかな曲線の美しさは日本屈指だと思います。といってもこんなに近くから屋根の上が見える塔はそれ程ないのですがね。
相輪も水煙も黒い塗料がとれたのでしょうか、少し赤みがかかっていて美しいです。
 
イメージ 4
 
 
ちなみに本堂は江戸時代の姫路藩主本多忠政により1628年寄進されたもので本尊はこれも美しい聖観音菩薩立像です。(写真は鐘楼)
イメージ 5
 
 

閉じる コメント(0) ※投稿されたコメントはブログ開設者の承認後に公開されます。

閉じる トラックバック(0) ※トラックバックはブログ開設者の承認後に公開されます。

京都一条浄福寺天井龍図(鳴龍)

恵照山浄福寺、浄土宗のお寺です。延暦年中(782〜802)、賢憬大僧都により天台宗のお寺として開創、当時二十五大寺の一つに数えられていましたがたびたび火災にあい、建治2年(1276)後宇多天皇の命によって一条村雲に再建されました。よって時には村雲寺ともよばれます。ついで室町時代末の大永5年(1525)後柏原天皇より念仏三昧堂の勅号を賜って浄土宗を兼ねるようになり、のち知恩院に属しました。この地に移転したのは元和元年(1615)のことで現堂宇は享保18年(1733)の再建です。本尊は阿弥陀如来像を安置し、釈迦堂は三国伝来と伝える釈迦仏を安置しています。寺宝には、二十五菩薩来迎図(鎌倉時代重要文化財)二幅、土佐光信筆十王像(室町時代重要文化財)十幅などがある。  また境内の墓地には、光格天皇皇女霊妙心院などの墓があります。
 
さて3月はじめに参拝していますので厳しかった冬もようやく終わり、かなり暖かかった記憶があります。
 
こちらは一般に公開してなく、事前に電話で確認したところ、お寺の方が時間があれば見せてくれるとのことでしたので、少し不安でしたが訪問したところ。住職自らが案内して下さいました。
イメージ 1
 
まず本堂のご本尊、阿弥陀如来を参拝し(ちなみに浄土宗のお寺のご本尊は必ず阿弥陀如来です)そののち、本堂東側の方丈にある天井龍図を見せて頂きました。
 
方丈の室内の写真は撮りませんでしたが、天皇の皇女のお墓があるだけに玉座があり、阿弥陀如来像もあり、折り曲げ天井で豪華な作りです。
イメージ 2
 
明治時代の日本画家、山田文厚画による鳴龍です。明治24年5月写、雙竹斎文厚の署名があります。ところどころ薄れているところもありますが保存状態もよく、迫力ある墨画による龍です。龍は3本爪、玉無し、尻尾不明
 
イメージ 3
 
このお寺では山田文厚が京都出身でもあるため、彼の画を集めていて、それらの画も見せて頂きました。
どうやって集めるのか聞いたところ、「インターネットオークションです」とのこと。お寺の雰囲気とインターネットオークションのアンマッチ加減がいいですよね。
 
方丈の南面には素敵な庭もあります。
わざわざ時間をとって対応いただき、素敵な龍図と庭園も見せていただき、更にいろんな解説もして下さった住職に感謝です。
イメージ 4
 
まちなかでは梅が咲き始めていました。
イメージ 5

閉じる コメント(0) ※投稿されたコメントはブログ開設者の承認後に公開されます。

閉じる トラックバック(0) ※トラックバックはブログ開設者の承認後に公開されます。

京都山科 永興寺天井龍図

毘沙門堂を出てから雪が激しくなってきたので贅沢をしてタクシーで永興寺に来ました。
JR山科駅から歩いて20分ほど、京都地下鉄東西線の御陵駅より歩いて10分ほどです。
 
無量山永興寺(ようこうじ)。曹洞宗のお寺です。曹洞宗の開祖道元禅師の弟子詮彗和尚が京都市内に1254年に永興庵を結びましたが、比叡山徒の焼き討ちにあい、市内を転々としていあのですが、1919にこの地に行き着きました。現在の本堂は1984年に新築されたものです。
 
参道の脇にある「承陽(じょうよう)大師」とは道元禅師のことです。
 
イメージ 1
 
本堂前の庭は立ち入ることができませんが綺麗に整備されています。
奥ののぼりが建っているのは豊川稲荷です。
イメージ 2
 
入口右手にはこのようなオブジェが。水車かと思いましたが龍の背中を表しているとのこと。
イメージ 3
 
 
玄関で案内を請い、本堂に入らせてもらいました。
日本画家安藤康行による龍図。幽幻な雰囲気は古い幽霊図を思わせ、背景も通常の雲ではなく波しぶきに見えます。爪も4本は珍しく、いろいろ挑戦したんだなと思いました。
 
爪4本、玉あり、尻尾不明。
イメージ 4
 
反対からも。
イメージ 5
 
このお寺には日本一大きい木魚もあります。
イメージ 6
 
お寺の方が親切に案内して下さったので気持ちよかったです。
永興寺を出る頃には雪もすっかりやんで御陵駅まで歩きました。
 
 

閉じる コメント(0) ※投稿されたコメントはブログ開設者の承認後に公開されます。

閉じる トラックバック(0) ※トラックバックはブログ開設者の承認後に公開されます。

京都山科 毘沙門堂天井龍図

昨年秋のJR東日本の「そうだ京都に行こう」キャンペーンで素晴らしい紅葉のポスターが紹介されていましたが、私が参拝した1月の終わりは葉の落ちた木々の茶色が寂しげでした。しかも雪まで降ってきて一層寂しさが増しました。

さて、毘沙門堂ですが天台宗五門跡のひとつで毘沙門堂門跡ともよばれています。

もともとは703年に相国寺の北に行基が出雲寺として創建、その後最澄が毘沙門天を安置した頃から毘沙門堂という現在の呼び名に変わり、その後の戦乱で荒廃していたのを江戸時代に現在地に再興され、1665年後西天皇の皇子、公弁法親王が入寺したため門跡寺院となった。

紅葉が見れないのはもちろん残念ですが、人気のないお寺もいいものです。JR山科駅から徒歩20分というところでしょうか。
イメージ 7



イメージ 1

境内も小さく、他の門跡寺院に比べるとかなり小ぶりですね。
イメージ 2

正面の小さい象が本尊毘沙門天。毘沙門天は四天王としての時は多聞天ともよばれますが独尊の時は毘沙門天とよばれます。
お堂の中は明るく、毘沙門天も近くで見ることができます。彩色も綺麗に残っていて、煤けてもいません。ふっくらお丸いほうから顎にかけての線は幼い童の雰囲気を残しています。
こちらのお寺ではお願いすると説明もして下さいます。
イメージ 3


こちらの天井龍図は後西天皇の旧殿を公弁親王が拝領、移築したと伝えられています。
天井龍図は狩野永叔主信の筆ですが移築する前からあったと思われます。
イメージ 4

違う角度でもう一枚。いわゆる八方睨みの龍ですが、黒目の周りに白目を残すとどんな絵も八方睨みになります。宸殿の襖絵もすべて同じ作者の作です。
イメージ 5

本堂裏側にある晩翠園。結婚写真を撮っていたので遠慮して降りてみませんでしたが。モミジの季節は本当に素晴らしいでしょうね。(そのかわり観光客もいっぱいでゆっくり見れないとは思いますが)

イメージ 6

途中から粉雪が降ってきて座敷中から見る庭はいい雰囲気でした。

次回は毘沙門堂の西側の永興寺を訪問します。

閉じる コメント(0) ※投稿されたコメントはブログ開設者の承認後に公開されます。

閉じる トラックバック(0) ※トラックバックはブログ開設者の承認後に公開されます。

全17ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.

CPOND
人気度

ヘルプ

Yahoo Image

  今日 全体
訪問者 49 60313
ブログリンク 0 55
コメント 0 9063
トラックバック 0 193
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

開設日: 2005/2/14(月)


プライバシーポリシー -  利用規約 -  ガイドライン -  順守事項 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2012 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.