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京都へ行くのにあたり、ふと思い出したこと。(^^;
中沢道二(なかざわどうに)1725〜1803は、京都生れ。
「石門心学」の祖・石田梅岩の弟子である手島堵庵の弟子。
「心学」の思想は、神道・儒教・仏教の三教合一説を基盤としており、その実践道徳の
根本は、天地の心に帰することによって、その心を獲得し、私心をなくして無心となり、
仁義を行うというものである。その最も尊重するところは、正直の徳であるとされる。
道二は家業を継いで機織りを営むが、四十半ばに手島堵庵の弟子となり石門心学の
修業に励む。
堵庵の命で関東に下り精力的に教化活動を繰り広げ、日本橋に開いた心学講舎参前合を
拠点に広範囲にわたる布教活動に専心した。
心学を道話様式で説く生活学的なものに改め、その全盛期を築いた。
(明治時代に心学は衰退)
彼の道歌「堪忍が なる堪忍が 堪忍か ならぬ堪忍 するが堪忍」は現在でも有名。
当時都下に聞えた道二は権門勢家も多く延致していた。世人は彼の道歌「堪忍がなる堪忍が
堪忍か、ならぬ堪忍するが堪忍」を賞賛していたが、松平一心斎には面白くない。
ある日一計を案じて道二を邸に招いた。
約束の午前十時にやって来た道二が案内を乞うが、取次ぎの者はなかなか姿を現わさない。
やっと出てきた者に来意を告げると、引っ込んだきり一向に出てくる気配がない。
正午を過ぎて空腹を覚えた道二が人を呼ぶが、やはり誰も出てこない。
そうこうしているうちに、奥から午後四時を告げる時計の音が聞えた。道二が大声で人を
呼ぶと、やっと用人が出てきて奥へ案内をする。
通されたのは意外にも酒宴の席で、すでに座も乱れている。座客の一人が「一盃を献ぜん」と
いって、数合も入る大盃に満酌をし、無理強いする。
道二が下戸だからと辞すると「人のさした盃を飲まないのは不敬だ」といって、頭から
酒を浴びせる。
道二は大いに怒りを発し、座を退こうとすると、座中の人々が一斉に
「ならぬ堪忍 するが堪忍」と高らかに唱え、「足下の心学は未熟だ」と笑いものにした。
道二は大いに恥じて逃げ帰ったという。 (松浦静山『甲子夜話』巻九)
・・・ご存知の通り、私は堪忍袋の緒が切れやすいですが。
京都では切れないようにしたいです。(^^;
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石門心学は、もっと見直されても良いのではと思います。
人間が生きているということは、読んで字のごとく、心の活動であると説いています。心の発見は、すなわち芸術の発見であり、人生の発見なのですから、生きていることの核心の発見を意味すると思います。
2008/6/9(月) 午前 5:39 [ るり猫 ]
今のこういう時代には良い学問かもしれませんね!
2008/6/9(月) 午前 6:22