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哲学日記
泥沼から脱出するまで一気につき進め。休息は泥沼を抜けてからとるものだ。
「今日を生きよう」
グラス・ルーツ



今日を生きよう [日本語訳付き  グラス・ルーツ]


「明日を生きよう」
ラズベリーズ


歌詞見ると、別に言ってないけど、邦題は「明日を生きよう」にされてた。
その方が大衆に好まれて売れると判断したからだとおもう。商売人の判断は正しい。

そういえば「明日があるさ」って何度もヒットしてる曲もあったな。



 ブッダの教えを学び、ヴィパッサナー実践をやると「今日を生きよう」が正しくて
「明日を生きよう」「明日があるさ」なんてとんでもない考え違いだと分かる。


しかしこの真実は、広く一般に知られることがない。大衆が常に嫌うからだ。

その証拠に上のグラス・ルーツ「今日を生きよう」も肝心の内容が間違っていて、動物的刹那主義に堕している。これだと「明日があるさ」のほうがいくらかましだ。



 「今日を生きよう」正確には「今ここを生きる」というべきだが、これはいわゆる刹那主義と何の関係もない。



 刹那主義は、元の意味と正反対に曲説され「本能の奴隷である獣の生を選んで生きる」という最悪の内容に入れ替えられている。


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ゾンビーズ

 クールな感じがとてもよかったゾンビーズ

なんども聴いた懐かしい曲「ふたりのシーズン」



She's not there






もう1曲。
日本のGS・ザ・カーナビーツがカヴァーしてた
「好きさ好きさ好きさ」

The Zombies Live 2014 = I Love You = Can't Nobody Love You [= 5/4/2014 - Houston, Tx]

そのカーナビーツの「好きさ好きさ好きさ」も


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 ウパシーヴァという名の学生が、次のような正直で切実な質問を、ブッダにした。
わたしは、(ひと)りで他のものにたよることなくして大きな煩悩の流れをわたることはできません。
わたしがそれにたよってこの流れをわたり得るよりどころをお説きください。




ブッダは

『そこには何も存在しない』と思うことに依って

、煩悩の流れを渡れ。


と教えている。




 ブッダは、弟子たちに、戯れに口にするどんな些細な嘘でさえ、断固として禁じていた。

嘘は、どんな理由があろうと決してついてはならない。
たとえ戯れにでも嘘をついてはならない。


というのがブッダの教えだとおもう。

 面白がって悪意のない嘘をついた、後に十大弟子の一人となる小僧ラーフラを呼びつけておこなったブッダの説法は簡明で非常に怖いものだった。


ラーフラを叱ったブッダのことばを載せておきます。

『ヤシ殻の底についている水』

パーリ仏説 中部チュララーフローワーダ経 13巻123頁126項

ラージャカルハに近い竹林精舎で、自ら足を洗われている時に



「ラーフラ。この器にわずかに残っている水が見えますか」

「見えます。ブッダ様」

「ラーフラ。嘘と知りながら嘘を言って恥じない出家の、出家者である意味は、この器の底に残っている水のように少ししかありませんよ」

 ブッダは(わずかしかない水を捨てる仕草で)その水を注いで捨てて言われました。

「ラーフラ。今捨てた水が見えたでしょう」

「見えました、ブッダ様」

「ラーフラ。嘘だと知りながら嘘を言うことを恥じない出家の、サマナである意味は、この器についている水のように少ししか残っていません」

 ブッダはその器を伏せて言われました。

「ラーフラ。伏せた器が見えるでしょう」

「見えます。ブッダ様」

「ラーフラ。嘘と知りながらわざと嘘を言って恥じない出家の、サマナである意味は、伏せた器についている水くらいしかありません」

 ブッダはその器を上向きして、言われました。

「ラーフラ。水のない食器が見えるでしょう」

「見えます、ブッダ様」

「ラーフラ。嘘だと知りながらわざと嘘を言って恥じない出家は、器に水がないように、サマナである意味はありません」

「ラーフラ。嘘と知りながらわざと嘘を言って恥じない、下賤な行動はあってはなりません。あり得ません。だからこのことについて、『私たちは誰も、偽りを言わない。たとえ冗談でも』と注意しなければなりませんよ、ラーフラ。あなたたちはこのように注意しなさい。ラーフラ。鏡は何のためにありますか」

「鏡は映して見るためにあります。ブッダ様」

「ラーフラ、すべてのカルマも、鏡のように映して良く熟慮して見て、それから体と言葉と心の行動に移さなければなりません」

(ターン・プッタタートのHPより)


したがって
『そこには何も存在しない』
は、明らかに噓ではないと分かる。

 この教えに実感が持てなくとも、ブッダの保証があるのだから、ブッダを深く信頼する者にとって確かなよりどころになる。











(ブッダのことば スッタニパータ1069,1070 中村 元訳)
1069
ウバシーヴァ尊者がたずねた、「シャカよ。わたしは、独りで他のものにたよることなくして大きな煩悩の流れをわたることはできません。わたしがそれにたよってこの流れをわたり得るよりどころをお説きください。あまねく見る人よ。」
1070
尊師は答えた、「ウバシーヴァよ。よく気をつけて、無所有を期待しつつ、『そこには何も存在しない』と思うことに依って、煩悩の流れを渡れ。諸々の欲望を捨てて、諸々の疑惑を離れ、妄執の消滅を昼夜に観ぜよ。」

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(過去記事統合増補編集再録)

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人生最大の悲惨事


ひとがこの人生において出会う最大の悲惨事は、道が示されたにもかかわらず、いつまでも第三流の席にとどまって、彼らの存在が結局、自分にとっても他人にとっても真実の価値を持たずに終わる場合である。

(ヒルティ幸福論第二部「教養とは何か」 草間平作・大和邦太郎訳)



 ヴィパッサナー実践

これだという確信がある。

 にもかかわらず、いざ始めると、あいかわらず雑念に障えられ、ヴィパッサナーがすぐ切れてしまい、今今今が続かない。

正念相続…道遥か。
そしてもう今日死んでもおかしくない歳だ。


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(過去記事編集再録)

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黒い戦争

エドウィン・スター。
「ウォー/黒い戦争」

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曲の良さに映像のプレゼン的アイデアがプラスされている。


 戦争で金を儲け平和になると儲からなくなる者達にとって、戦争は明らかに望ましいものだ。

しかし戦争が次々起こり平和が来ない真の原因は彼らではないことに気づかないと、戦争がやむことは決してない。

 戦争の真の原因は、ごく普通の人々が「自分は死んでも生きている」という幻想に取り憑かれていることだ。

人々がこの妄信を改めない限り、戦争で金を儲けようとする者がこの人々の中から次々育ち、戦争は繰り返される。

殺す者と殺される者が、同じひとつの愚かな妄想を共有して、殺し合いだけ止めたいなんて無理


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 名前からしてフランス・ギャルだからね。
日本花子みたいなもんか。
今ならこんな芸名、日本でもかっこ悪い。
でも当時は誰も変な名前だと気づかなかったんじゃないか。まじフランス人形みたくかわいかったし。
日本人のフランスへの憧れの気持ちが今よりずっと強かったからだ。

「夢見るシャンソン人形」



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訃報 青山ミチ

「恋はスバヤク」

 青山ミチは一度耳にしただけで強く印象に残って忘れられない歌い手だ。
当時、パンチのある歌声で弘田三枝子と双璧だった。

 生きるのが下手な人だったとおもう。






「ミッチー音頭」


 この名曲。名歌唱。

 昔聞いたとき、すごい迫力だったけど、今聴くと、ミッチー、けっこう軽く流して歌ってる。ちょっと意外。でも野太い力強さが伝わってくる歌いっぷりだ。当時それを感じてたんだな。

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 ミュージシャンとしての確かな才能に裏打ちされた植木等の軽快な歌いっぷりは素晴らしいと思う。

 しかし、この道にも何人かの先駆者がいた。中でも、かる〜い曲の極めつけはトニー谷でしょう。

そろばんを楽器代わりに鳴らして「あなたのお名前なんてえの」とやってるのを、昔テレビで見た気がする。

 そして今、この道を見事に体現してるのがピコ太郎だと思う。
なんか風貌もちょっと似てるし。





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 ネットからダウンロードしたヨブ記.MP3を聴く。

 神と悪魔は、大勢の天使の前で夫婦漫才やってるようなもんだ。
 舞台でどつき合っても楽屋じゃ仲がいいと思う。
 この何千年も続く長い漫才のネタのために操られる人間は堪ったもんじゃない。

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ヴィパッサナー実践は

スローモーション。
実況生中継(内語で)
感覚の変化を感じ取る。


この3項目だけを守れば成立する。


家にひとりでいる時、たまにヴィパッサナーで食事する。

ものの味が非常にはっきり感じられる。
ふだんの自分がいかに雑に食べていたかが、よくわかる。

時間が何倍もかかる。以前のようなドカ食いはできなくなる。

美味しく食べられて食べ過ぎを防げる。
(もちろんヴィパッサナーの目的は、そんなことではないのだが)


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(過去記事編集再録)






※「ヴィパッサナー瞑想」
http://www.j-theravada.net/4-vipassa.html

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