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哲学日記
泥沼から脱出するまで一気につき進め。休息は泥沼を抜けてからとるものだ。

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GYAO!解説から引用
■内容・ストーリー
13歳の少年・江美留(えみる)と友人たちは、自分たちの将来を夢みていた。ある少年は科学者を夢みて、またある少年は詩人を夢み、そして哲学者を夢みる少年たちのなかで、江美留だけは自分の将来がはっきりと分からなかった。ある日、少年たちの一人が突然自殺してしまう。その死を悼んだ少年たちは、丘の上にある天文台へと出かけていく。そして大きな望遠鏡を覗く天文学士に「そこから何が見えるのですか?」と尋ねてみる。天文学士のおじいさんは、少年たちにこう尋ね返す。「教えてくれないか、僕たちは何処からきて、何処にいくのかを?」と。その答えを探そうとする少年たちの心は、いつしか宇宙をみている。そんななか、江美留は一冊の本のなかに、彌勒(みろく)の写真をみつける。そこには「五十六億七千万年後に、人類全てを救済するもの」と書かれていた。江美留は、その閃きとともに、小説家になることを夢み、そして決断する……。
(引用終)


 前半は終始耐え難いほどの異様な違和感が支配する映画だ。
タルホ級の高貴な男性にしか言えないセリフを、なぜか女性が言うので、「言わされてる感」が凄まじい。女の大多数はこういう男を理解せずバカにして残酷に扱う存在だから。

(以下、以前DVDで観た時の感想文の再録です)
 誰もがおもうことだが、タルホ作品の映像化は無理っぽい。難解で辛気臭い内容を予感して気乗りせず、それでも一種の義務感に近い気持ちで観た。

 映画は2部構成になっている。

 (1部)
 タルホは十代で『一千一秒物語』を書き、以後の自分の全作品はこの注釈に過ぎないと宣言した。その『一千一秒物語』

この記事を書いていたら偶然にも、テレビで子供が
「お月様を食べたい」
「なんで?」
「おせんべいみたいだから」
と言っている。

『一千一秒物語』はそういうことを、おもいきりいっぱいやっちゃう話だ。

昨夜 メトロポリタンの前で電車から跳び下りたはずみに 自分を落としてしまった」とか書いてある。しかも自分はお月様だったりもする。



 (2部)あれから十数年後…
 精根尽き果てかけたタルホが銭湯に入ったものの、体を洗う力もなく、ただ手拭いを静かに身体に当てている。そのタルホの脳裏に突然脈絡なく「saint(修行者,聖者)」という言葉が浮かぶ場面と名言。
ショーペンハウアー哲学との浅からぬ関係。
そういえばショーペンハウアーも「意志と表象としての世界」の偉大な思想を二十代で自分のものにし、以後の自分の全作品はこの注釈に過ぎないと云ってたな。

その他色々。

愛読した原作の数々の名言を聴いて、数十年ぶりに『弥勒』も拾い読みし、おもいを新たにした。

自殺者は意欲を断ちかねて現象のみを殺すもの、生きようとする意志を置いて、現実の生存のみを破棄するものだ」(『弥勒』)

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