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2012年2月1日

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暇のついでにナイフを作る。

 
 
今日は適当にドライブして廻って来た。
 
 
家に帰り、それでも暇。
 
 
 
ガレージ内のキャビネット内を整理整頓していたら
 
刃先が欠けてしまい使えない
 
目立てヤスリの錆ているのが出てきた。
 
 
 
そこで
 
この目立てヤスリでナイフを作ることにした。
 
ま、ナイフや包丁の類は何十本とあるので必要に迫られた訳ではないのですが
 
いい暇つぶしになると思って。。
 
 
記事にする気もなっかたから写真撮らなかったけど
 
考えてみたら後で何時ごろ造ったっけ?って思い出したとき
 
ブログに書いておけば忘れないので今写真を撮った。
 
 
 
 
イメージ 1
 
 
 
 
 
イメージ 2
 
 
 
完成したのはこれ。
 
多少グリップを長めにして
 
鹿や猪の内臓を取り出しやすく扱えるようにしました。
 
 
 
 
 
 
先ず最初に錆び錆びの目立てヤスリを加工しやすいように
 
バーナーで炙って、焼き戻し。
 
 
その後、
 
グラインダーで目立てヤスリのヤスリ部分の肌を削り取り
 
適当に思う形に整形。
 
 
ある程度、形が決まったら肌を整えて
 
焼きを入れます。
 
 
エンジンオイルの廃油をペール缶から取り出し
 
2Lのペットボトルの肩を切り落としたものに口切に入れまして
 
バーナーで焼き具合を確認しながら焼きます。
 
 
全体が青焼きのいい色になったところで
 
先のペットボトルの廃油の中に一気に入れて
 
かき回します。
 
 
これでブレードはほぼ完成。
 
 
 
 
 
続いてグリップに使う鹿の角をストックの角の中から選び出し
 
切り取りまして
 
角の中央に使い勝手の良い様に角度を計算しつつ穴をあけまして
 
ブレードを差込み、擦り合わせ。
 
 
大体の調整が取れたところで
 
ヒルト部 (日本刀で言う所のハバキ&柄)を造ります。
 
今回は穴も開いているし、材質も真鍮の板を利用しまして
 
 
まあ、こんな具合に取り付けてヤスリ掛け。
 
 
イメージ 3
 
 
ヤスリ目も多少残してアクセントをつけました。
 
 
 
後は刃先を研ぎ出しまして
 
切っ先を念入りに・・・。
 
 
 
 
 
 
多少、肌が荒れていますが実用品という事でこれでいいでしょ!
 
 
焼入れの際の青焼き部分はあえて残しておいて
 
錆び防止対策とします。
 
 
ちょっと研いだ感じ、刃の返りの出方がちょっとやわい感じがします。
 
ちょっと温度不足で硬度が足りなかったかも知れません。
 
 
あくまでも研いだ感じの判断で・・。
 
 
でも、元々が目立てヤスリなのでちょっとした無理な力で折れやすい。
 
 
 
 
これくらいの硬度が丁度いいのかも知れませんね。
 
 
本当は峰にも刃を付けておけば
 
えぐり出しの時、差しやすくて良いのですが
 
力を入れるとき峰を押さえるので危ないので刃は付けませんでした。
 
 
見た目だけは切れそうに見えるようにしました(笑。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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歴史探訪 里見兄弟の墓に立ち寄る。

 
 
今日はちょっと暇だったのでドライブ。
 
 
途中、旧山田郡大間々町(現在はみどり市)の
 
里見兄弟の墓に立ち寄った。
 
 
なかなかこの辺りは歴史的に色々有るようで
 
気の遠くなるような昔のコノドントの化石から
 
足尾の銅山など色々ある。
 
 
旧笠懸町(現在はみどり市)は旧石器時代の石器が発見され
 
今までの縄文の定説を覆したりした。
 
 
 
そんな扇状地の一角に
 
里見兄弟の墓がある。
 
 
 
イメージ 1
 
 
説明も大変なのでそのくだりをちょっと拝借。
 
 
 
 高津戸の阿弥陀堂脇の墓地にある。山田氏は、平安末期に高津戸に土着した武士団といわれている。渡辺崋山が天保2年(1831)に著した『毛武游記』にみられる
「要害山属高津戸麓有河、渡良瀬源流、堀河院御宇、
山田七郎平吉之居之。至孫筑後守則之桐生国綱滅。
                       時寛応二年云。」
との記述から、高津戸城を築いたのは平安末期の山田吉之と云う伝承があるが、記録の文書は見あたらない。
  里見兄弟というのは、近世期につくられた戦記物語によると、戦国時代末期、桐生又次郎重綱に滅ぼされた家臣里見上総介勝広の二子のことで、兄随見勝政と弟平四郎勝安の兄弟をいうが、名前については記録により異説がある。里見兄弟は上杉謙信の助力を得て高津戸城を再興し、父の敵である石原石見守を討とうとするが、戦いに敗れて天正6年(1578)9月に滅亡する。但し、近世期に作られた戦記物語に登場する史話であり、確実に存在したという史実は見あたらない。
  里見兄弟に関する唯一の遺跡として、この墓地が存在する。五輪塔の数は約30数基分あり、それ以外にも石仏の阿弥陀如来像、宝篋印塔、永禄年号の石殿等があり、中世の武士団の墓地であることは間違いないであろう。里見兄弟の墓と称される五輪塔には、「逆修 天正六季 随見」「道壽 八月廿九日」と刻まれているが、これらの五輪塔は凝灰岩製であり、形式的には鎌倉時代から南北朝時代にかけてのもので、時代が一致しない。こういったことから、里見兄弟にまつわる史話は伝承の域を出ないものではあるが、これらの戦記史話と高津戸城跡の景観は、歴史的ロマンを充分にかき立ててくれるものがある。
 
 
 
イメージ 2
 
 
 
 
イメージ 3
 
 
 
 
 
イメージ 4
 
 
 
と、特にどうって事は無いけど
 
この辺りは観光の名所にもなっているので
 
色々見て歩くのも楽しい。
 
 
 
ここいら辺りの渡良瀬川本流は
 
かつては大きなヤマメの宝庫であり、巨大なヤマメが沢山つれた。
 
 
水は綺麗だが、最近はカワウの影響で魚影はかなり薄くなってしまいました。
 
 
 
 

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