「奇跡」 カール・ドライエル監督
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先日、Canaanさんよりご紹介頂き録画したカール・ドライエル監督の「奇跡」を見ました。 モノクロですし、つまらなかったら途中でやめようと思っていたのですが、どんどんストーリーに引き込まれていき、あっという間に最後まで見てしまいました。 家族について、心の病いについて、キリスト教の宗派について、そして、何よりも信仰について、考えさせてくれるとても深い映画です。 *** あらすじ *** 1925年のデンマーク。(1955年の制作。30年前の設定。) 牧師であるカイ・ムンクの戯曲(1932年制作)を映画化したもの。 大きな農場を経営するボーエンは敬虔なキリスト教徒。みずからこの地に農場を開拓し、教会も立ち上げた。仕事と信仰にはとても自信をもっている。 ボーエンは三人の息子と一緒に住んでいる。長男のミカエルには妻と二人の娘がいる。ミカエルはとても実直で、仕事にも熱心である。次男のヨハネスは神学を勉強し、キルケゴールを学んだあげく、精神に異常をきたした。三男のアーナスは人に影響を受けやすく、まだ頼りない。 ミカエルの妻、インガーは二人の娘の母親であり、お腹に赤ちゃんを宿している。とても信仰深く、夫に良く仕え、家事をなんでもこなし、気難しい義父であるボーエンにもよく仕えている。夫のミカエルは神を信じてはいないが、インガーを心から愛し、ボーエンもインガーに心から信頼を寄せている。 インガーの大きな愛がこのばらばらになりそうな家族全体をつなぎとめ支えている。 大富豪となり、社会的には成功したボーエンも心の底には悩みを抱えていた。 三人の息子がボーエンの悩みの種だった。長男は信仰から離れ、次男は神学校に行ったのだが精神に異常をきたし、三男は別の宗派の娘との結婚を望んでいる。三人の息子の悩みから、ボーエン自身の信仰の確信もゆらいでいた。 家族に問題がおこるとみんなが頼りにするのはインガーだった。アーナスは別の宗派の娘との結婚の話を父親に切り出すことができず、ミカエルとインガーに相談する。インガーはこの難しい話を父親にうまく話すことを引き受ける。ボーエンはアンダースの恋人の父親であり、別の宗派のリーダーである洋服屋のパターソンに会いにいくが、パターソンと言い争ってしまう。パターソンの家でもめているボーエンにインガーが難産で苦しんでいるとの緊急の連絡がミカエルから入るのであった・・・。 *** 感 想 *** クリスチャンにとって、信仰とはなにか? 宗派とは何か? 救いとは? 天国とは? もっとも大切なものは何か? いろいろと考えさせてくれる映画です。この映画を見て、自分の信仰を振り返るのもいいと思います。 そして、家族についても考えさせてくれます。主婦はさまざまな家事をこなすだけでなく、精神的な役割もきわめて大きい。家庭の中心に夫を支える主婦がいる大切さ、そんなあたりまえのことを気づかせてくれます。現代では女性の社会での活躍が脚光を浴びますが主婦という仕事の貴さを改めて認識しました。主人公のボーエンも男の子の跡継ぎを欲しがるのですが、家族にとって本当に大切なのは主婦であるインガーであることに気づきます。 また、1925年当時のデンマークの宗派の違いや祈祷会の様子もわかります。ボーエンの所属する宗派はプロテスタントだと思いますが、現世での祝福も重視する。一方、パターソンの宗派は天国の希望を抱き、聖書に忠実であろうとする。現在のデンマークでは95%の人々が福音ルーテルに属しているそうです。私は、ボーエンの宗派は福音ルーテル、パターソンの宗派はバプテストかピューリタンだと思いますがみなさんいかがでしょうか? この映画の制作が1955年、設定が1925年です。原作の戯曲は1932年に公演されています。デンマークでは、1932年から1955年の間に宗派間の対立やドイツによるデンマーク占領と解放などのごたごたにより、少数派であるバプテストなどはデンマークからさらに少なくなっていたのかもしれません。デンマークに住みづらくなりアメリカやカナダに移住した人々もいることでしょう。 そう考えるとこの映画はデンマークの中で圧倒的に大多数となり、力を持ったが聖書的な信仰からは離れた福音ルーテル教会に対する警鐘という意味もあったのではないかと思います。 映画の最後に悔い改めたパターソンがボーエンに謝罪し、パターソンが思いがけない提案をボーエンにすることによって、二人は心の底から完全に和解します。そして、その後、奇跡を体験した二人は宗派を超えて、主の御名を褒めたたえるのです。これが原作者であるカイ・ムンク牧師とドライエル監督の言いたかったことかもしれません。 クリスチャンではないかたにとっては・・・ クリスチャンといって神を信じていても、悩み、苦しみ、時には争う。そのようなクリスチャンの悩みを知ることができます。教会に集っているから、クリスチャンだと言っているから、牧師だから、本当の意味でイエス・キリストを信じる信仰を持っているとは限りません。本当の信仰とは、ただ、幼子のようにイエス・キリストを信じ、奇跡を信じること。そして、そのような信者に主は栄光を現される。カール・ドライヤー監督はそれを伝えたかったのだと思います。 また、1925年のデンマークでは裕福な家では電話がかなり普及していたことがわかります。 日本では一般の家庭に電話が普及したのは1970年頃ですからこれは驚きです。 聖書を一度も読まれたことがない人には、ちょっとわかりづらいかもしれませんが、この映画は一見の価値があります。ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞しただけのことはあります。機会がおありでしたら、ぜひ、ご覧ください!
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