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近くの河岸段丘の底を流れる川は、塩川という。なぜ塩の川なのか、小さいときから不思議に感じていた。
一昨年、ある人から、塩川の上流の増富に塩分を含む水が流れている場所があって、昔、そのあたりの人はその水を煮詰めて塩を取り出していたという話を聞いた。
それで塩川というのか。その流れ、どこにあるんだろう。いつか行ってみたいと思い続けて、先日、たまたま行くチャンスがあった。
わかりにくいに違いない、道は昔の細い野道に違いない、そう予想していたら、まるで反対。増富の観光マップにも載っていて、舗装された広い道。草ボーボーの場所かと予想していたが、公園のように整備されている。小さな川の流れだと予想していたが、温泉だった。
冷泉で「ヨシャーの温泉」という。白く凍ったみずがき湖=ダム湖の岸辺にあって、山から筒を伝って流れ落ちてくる。「ヨシャー」とは、かつてあたりにヨシやアシが繁っていたからだそう。水槽? 浴槽? からあふれ出た水はダム湖へと入り、ここから塩川の流れとなっていく。
流れを掬って口に含むと、塩の味がきつい。喉がウッとなるほどのエグミがある。(なお、「ヨシャーの温泉」は野湯ということで、この木製の槽に浸かることができるらしい)
看板には以下のようなことが書いてある。
・・・・海なし県の甲斐の国では、塩は貴重品だった。永禄年間、駿河、相模からの塩の道を閉ざされた(このとき、越後の上杉謙信は甲斐の国に塩を送ったといわれる)武田信玄は、国内に岩塩探しのおふれを出した。その結果、塩が採れる場所が2か所あることがわかった。
その1つが、この「ヨシャーの温泉」で、当時の文献には「塩川、昔山塩ヲ産シ、水一升ニテ三勺余有ト伝フ 永禄年中今川北条塩止メノ際、土人塩川源地塩水ヲ送リタリ」とある。
この記述通りに塩が採れるかどうか、昭和62年に実験したところ、1,8リットルの水からコップ3分の1の塩が採れた(たいしたものだ)。また往時のように熊笹に水をかけて天日乾燥すると、葉に塩の結晶が作られた(上のイラスト)。
戦時中、ここらではヨシャーの温泉水で小麦粉を練り、パンを作ったそう。炭酸ナトリウムが強いため、「ふくらし粉」の代わりになったといわれている・・・・
そうかぁ。この冷泉で小麦粉を練ってみたらおもしろそう。ペットボトルに汲んで持ち帰った。
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