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作家志望の経理事務員による「備忘録」的エッセー集 Twitterでもwritelefthandで発信中

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なぜ、「一詩人の最後の歌」を聴くと泣けてしまうのだろう

今私が所属する合唱団では現在、信長高富『混声合唱とピアノのための「新しい歌」』に取り組んでいる。
私は大学時代にこの曲集を歌っているのだが、とりわけ5番
一詩人の最後の歌は別格の思い入れがある。
知人には何度も語ってきた話だが、演奏会本番でイントロから涙がこみ上げてこみ上げて
多少落ち着いて歌おうとすればまた涙が出て、最後まで全く歌えなかったのだ。
これには理由がある。
 
2003/2/15、私は自転車から転倒して左側頭部を強打し脳挫傷・頭蓋骨骨折・脳内出血と大けがを負った。
転倒間もない時に通りがかった方の通報により
病院で緊急手術を受けられたから何の後遺症もなく今こうして記事を書いているが
脳内の出血が脳を圧迫し、死亡する可能性がおおいにあった。
命をとりとめたとしても、左側頭部は言語中枢が占めており、言語障害が懸念されていたらしい。
掛け値なしに生命の危機を潜り抜けた後しばらくの間
なにをするにも「なかったかもしれない今」という言葉が頭をよぎった。
 
対して「一詩人の最後の歌」。
初めて詩を読んだときから素晴らしい詩だと感じていた。
人生の最後に対してこれほど力強い言葉を綴るとは。
葬送の概念をひっくりかえされた。
音楽も、詩にふさわしい荘厳で雄大な創りであり
これも自分の今まで抱いていた死をテーマとした曲に対するイメージをひっくりかえされた。
そうして練習していたある時に、自分の臨死体験とこの曲が結びついてしまった。
さらに演奏会本番の高揚感も重なり、全く歌えない状態になってしまったのだ。
「なかったかもしれない」演奏会であったのも大きい。
そしてこれ以降、「一詩人〜」を聴くと極めて高い確率で
泣けて泣けて仕方がなくなってしまうようになった。
聴いて大丈夫でも、歌おうとするとまた涙、というようなことも多い。
言い訳のように根拠のない理由づけをすれば
あの演奏会で「一詩人〜」と自らの死が
深層的なところで結びついてしまったのではないか。
だから「一詩人〜」と向き合う度に、死ぬという最も避けたいものと向き合うことになり
無意識的な恐怖から泣けてくるのではないだろうか。いや、全くの思いつきなのだが。
と記事を書いている今この瞬間、実は私は「一詩人〜」を聴きながらPCに向かっている。
涙は全く出ない。分析しながらこの記事を書いているおかげで客体然としているからだろうか。
ただこの記事を書こうと決めてからの数日間
仕事をしていても「新しい歌」の5曲が互い違いに頭の中を巡っていたので
感覚が麻痺しているのかもしれない。
聴きながら口ずさんでも、たまに目に緊張が走るが歌えないほどではなかった。
 
これが今日だからなのか、今後ももう泣かなくてすむのかもわからない。
練習で歌ってみればやっぱりダメかもしれないし、本番当日に限って号泣の可能性もある。
だから、この曲を歌うことに対する不安はぬぐいきれない。
けれど同時に、前述した通りこの曲には強烈に引かれていて
昔歌えなかったこの曲をステージで歌いたい気持ちもずっと持ち続けていた。
 
どうか、「一詩人〜」を歌いきれますよう。
今日、2/15は事故を起こした日、私の祥月命日だ。
運命を分けたこの日に、祈りとしか呼びようのないこの記事を捧ぐ。

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