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今年最初の更新はナポレオン漫画から。相変わらず絶好調で何よりである。やはりこの人は戦闘シーンを書かせた方が面白い。ツーロンもさることながら今回のデゴも実にいい展開。マセナに食われて地味な登場になってしまったランヌが、時を追うごとに味のあるキャラになっているのも見所だ。この調子でどんどん突っ走ってもらいたいところだが、一方で戦報執筆者はかなり苦労している模様。本編の進みが遅すぎるだけに、どこまで書くべきか悩んでいるのではないだろうか。実際、ツーロンの時もそうだったが、デゴだけでこれだけ長々と描いている漫画など空前絶後だろう。
ランヌの人間離れした活躍は除いて他の部分を史実と比較するなら、彼が元少佐の軍曹だったというのはおそらくフィクションだろう。ランヌは東部ピレネー軍にいた当時から既にchef de brigade(大佐)になっていたし、その後ただの下士官になったという話もない。彼がデゴの戦い当時「臨時の指揮官」であったことは確かだが、それは彼の率いていた第105半旅団がアマルガムによって他の半旅団と合併し、彼が無任所の大佐になったことが理由。1796年戦役が始まった時、「ランヌは能力の低い大佐から借りた半旅団を一時的に指揮していた」(Margaret Scott Chrisawn "The Emperor's Friend" p17)。
問題はその「借りた」旅団が第51半旅団で間違いないのかどうかだ。Chrisawnは借りてきた半旅団の名を記していない。Ramsay Weston Phippsは彼が戦役開始時点でラアルプ師団の第70及び第79半旅団の擲弾兵部隊を指揮していたと記している(Phipps "The Armies of the First French Republic Volume IV" p13)。Nafzigerが翻訳した"Thr First Phase of Napoleon's 1796 Campaign in Italy"には、そもそもデゴの戦いにおいてランヌの名が登場しない。
はっきりランヌが第51半旅団を率いたと書いてあるのはMartin Boycott-BrownのThe Road to Rivoli。正確には戦役開始時点で彼が「第51半旅団の擲弾兵3個中隊」を率いていたとある。これが正解ならいいのだが、私の手元には断言できるだけの証拠がない。おまけに話をややこしくしているのが上にも記した「アマルガム」だ。この時期、イタリア方面軍では複数の半旅団を1つにまとめる「第二次アマルガム」が盛んに行われていた。
Digby SmithのNapoleon's Regimentsによると、第51半旅団は第99、第105、第199半旅団と第13臨時半旅団、及び第14半旅団第3擲弾兵中隊、第26半旅団第2擲弾兵中隊のアマルガムによって誕生したことになっている。注目すべきなのは「第105」の名前だ。Chrisawnによればこの部隊はランヌが東部ピレネー軍にいた当時に率いていた部隊であり、結局彼は元々自分が指揮していた部隊を「借りて」きたことになる。
しかし、Smithによると第二次アマルガムによって第51半旅団が出来たのは1796年5月30日。デゴの戦いは同年4月だから、漫画に描かれている第51半旅団はアマルガム以前の部隊でなければならない。そういう条件で探してみると、1794年の第一次アマルガムで誕生した第51半旅団が出てくる。この部隊は94年6月10日に第26連隊とオート=アルプ県第3志願兵大隊及び同県第5志願兵大隊が一緒になって作られたもの。97年1月には他の部隊と一緒になって第63半旅団に名前が変わっている。
困ったことにこの第一次アマルガムで出来た「旧」第51半旅団と第二次アマルガムで出来た「新」第51半旅団は、いずれもイタリア方面軍に所属していた。従ってどちらもランヌが指揮した可能性はある。Smithによればデゴの戦いに参加したのは「新」の方だが、上にも記した通り「新」はデゴの戦い時点では存在しなかったはずなので、その時点では古い半旅団名(例えば第99半旅団)でなければいけない。でも「旧」の方がデゴに参加したという記述は、Smithの本には見当たらないのである。
Boycott-Brownの記している戦役開始時点の戦闘序列によれば、マセナ率いる前衛部隊に所属するメニエ師団に「第51戦列[半旅団]」と「旧第51」の両方が記されている。つまりこの時点で既に「新」も誕生していた、というのが彼の主張のようだ。ランヌが率いた部隊について記している部分では「旧」という表現は見当たらないので、彼はランヌが「新」半旅団を指揮していたと考えているのであろう。
とまあ色々書いてきたが、結局のところ正解はよく分からない。分かっているのはランヌがデゴの戦いで活躍したこと、そして(ナポレオンが後にセント=ヘレナで回想したところによると)彼の活躍がボナパルト将軍の目に止まったことである。
なお、作中で民間人が家を焼かれようとしている場面を見て思い出したのが以下の台詞だ。
「さいなりゃ、シーザーの亡靈は、今こそ復讎《ふくしう》をすべき時と、焦熱地獄から驅け來った復讎神《ふくしうじん》を身側《かたへ》に從へ、こゝらあたりを俳諧して國王らしく大音聲《だいおんじやう》に、「かゝれ〜!」と號令を下して、彼の兵《いくさ》(には附きもの)の三疋の犬(饑餓、劍害、兵燹)を放つであらう」
坪内逍遥が翻訳したシェークスピア「ジュリアス・シーザー」第三幕第一場におけるアントニウスの言葉だ。英語で言えば以下のようになる。
And Caesar's spirit, ranging for revenge,
With Ate' by his side come hot from Hell,
Shall in these confines with a monarch's voice
Cry "Havoc!" and let slip the dogs of war,
Dogs of Warという部分を坪内は「兵(には附きもの)の三疋の犬(饑餓、劍害、兵燹)」と翻訳している。「戦争の犬たち」といえば同名の小説や映画のお蔭で傭兵の意味と思われているようだが、坪内の解釈ではこれは傭兵というより戦争のもたらす災厄のことになるらしい。そして、その「三疋の犬」たちのうち一匹が兵燹(へいせん、戦争による火災、兵火の意味)。つまり、あの漫画に出て来た民間人はまさに「戦争の犬たち」に襲われようとしている真っ最中だったのである。
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