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愛の十字路 第二章(9) 漢文?
昨夜、酔っぱらいがまた来ました。
酒が入らないといい人なんだけどねえ。
おや? おまえさん、エコさんなんか忘れていったよ。
「仁」って書いてる。さて、愛の十字路で御座います。
今日のおかずは「仁」でいきましょう。
愛って何? これヨッシー、何を迷っている。
と、始まった愛の考察も早一年。
あの娘はすっかりカラオケに奔り、愛もヘチマもない始末(涙)。
造語の「愛」に一番近い言葉が「仁」であるとされます。
がしかし、この「仁」は上からのそれと下からのそれがある。
儒教論語からですから主従や君主の在り方の臭いがします。臭っさー!
中国春秋時代には「覇者」の考えがありまして、国力軍事力以外に「仁」を求められた。
それを認められるのはどんな王様?
ロバですか? 違う!
簡単にいうと宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」みたいな王様です。
負けず嫌いですか? 違う!
「北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろといい」という人。
小国「宋」にも覇者が現れました。襄公と申します。
話せば長くなるので、ワープして、この宋と大国「楚」が戦争になります。
両軍は大きな川で対峙しました。さきに川を渡ったのは楚の大軍。
いまです。このチャンスを逃していけない。と
ところが、襄公。
そんな卑怯なことができるかいな。私は覇者でっせ。
人の難儀につけ込んで苦しめるよなこと、私はできまっせん!」
結果は、、、。そりゃ多勢に無勢ですからね。大敗、襄公も戦死。
これを「宋襄の仁」という。
こんあバカなことをしてはいけないという意味。
だったら最初から戦争なんてしなけりゃいいじゃないかと。
古の人々は怒り心頭です。
時代によって評価は様々ですが、どう贔屓目に見てもこれはダメです。
擁護する人達にも自分の立場が見え隠れしている。したがって説得力も弱い。
もともとこの戦争は宋国対鄭国が発端で、大国「楚」が鄭を支援したことによります。
小国宋が勝機を見いだす絶好のチャンスがこの「泓水の戦い」だった。
その後、蹂躙される宋国とその遺民のことも考えてやってください(涙)。
なに? だから戦争は反対? そんな、、、。
愛が見失われ、仁も偽られています。
あなたの「仁」は大丈夫ですか?
その「仁」に保身はないか?
ところでヨッシー、私の朝ご飯は?
なに?もう食べた?ホント?おかしいなあ???
じゃあお昼ご飯?
えっ?
いま食べてる! ホントだ。。。
ところで、朝ご飯は?
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お人よしの襄さんですね。
よく云われてるのが、古臭い兵法に
「渡河の途中の兵はうってはいけない」
というのがあります。
これは、勝とうとすることでなく、古の聖王はそんなことしないと
説いてるわけですが、襄さんは時代遅れな感覚でこれにのっとった
みたいな感じだったんだと思います。
古臭くて律儀なところは管仲にも信頼されたんだと思いますが、
この時代の覇者に求められた能力からは、たしかにかけはなれて
ますよね。
僕は基本的に春秋五覇に襄公を入れるのは反対派です。
2007/6/23(土) 午後 0:59
ムッキーーーー!!
『カラオケに奔り、愛もヘチマもない始末』ですと!
私は 愛の唄を歌い続けているんですぞ!!
私の拙い言葉では表せない、愛の世界を
素晴らしい愛の唄で 知ってもらいたいのです!
歌唱力は伴ってませんが、素晴らしい愛の唄の存在を
知ってもらいたいのですよ。
記事は 書きたいことを我慢してるので書けないんです・・・。
辛いことや嫌なことは カラオケで発散することに決めたので。
2007/6/24(日) 午前 2:35
こういちさん、襄公は内政はよかったみたいですかね。
それと昔の戦いって、儀式的というか色々なルールがありましたよね。
まあそのこじつけを震撼とか軍師がやるのですが(笑)。
こういう原則論的な考えは重耳の兄貴とか始皇帝の長男とか腹立たしくなります。
それに比べて日本の戦国武将は果敢でうね(笑)。
民度の低さ。といえばそれまでですが、
秀吉の備中攻めなんかでは遺憾なく発揮させるそのダイナミズムに
私は拍手喝采だったものです。
2007/6/24(日) 午後 0:03
なるほど、ヨッシーは愛を歌に託して福音を伝道されていたのじゃな。
これは失礼をしました。その賛美歌、天使の歌声で極悪人の私も改心するでしょうか。
なにやらヨッシーが菩薩様のように光り輝いて見える。はて?
そのスパンコールの衣装と金ラメメイクは、、、。
自前ですか? マイクも?
お客さんウーロン茶のペットボトル持ち込みはちょっと(店員・汗)。。。
2007/6/24(日) 午後 0:09
今晩は。私の「仁」はどこかへ行ってしまいました。「仁」という字は息子の名前・・・頭文字Kという読み方もあるのです。姓名判断でつけてもらったニックネームですけれど・・赤ちゃんの時から仁ちゃん仁男って呼んでいました。親戚も、お友達も。良い名前だから私は幸になることを信じていました。本名は夫の尊敬する教授I先生から一文字いただき、それに夫の一文字をつけてI○。本名I○という名前で呼べばよかったと後悔しています。姓名判断なんて当てになりません。
私にとってすべてが「仁」です。
2007/6/25(月) 午後 8:41
おかあさん、私は「仁」がわからなくなりました。
その手前の「愛」さえも見失いそうです。
それなのに「仁」など語れません。
虚無で危うささえ感じてしまいます。
外堀と内堀は思った以上に深いようです。
もう少し、整理させて、それから考えてみたいと思います。
2007/6/26(火) 午前 8:43