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2007年8月7日

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ヒロシマ原爆の歌・『FLASH IN JAPAN』

“永ちゃん”という愛称で知られる、
日本人ロック歌手屋さんとしては“老舗”の、
矢沢永吉さん。







いまから19年前、
全米発売を目的に作ったアルバム、
『Flash In Japan』
を1987年に制作、
翌年、ワーナー・ブラザースよりアメリカだけでリリースしました。



それまでは『YAZAWA』、『YAZAWA IT'S JUST ROCK'N ROLL』と
二枚のアルバムを世界発売したが、
これは彼が所属していたレコード会社であるワーナー・パイオニアが
ハナから世界で発売する気が無いのに矢沢には「発売する」と約束し、
SONYから移籍させたいきさつがあり、
その二枚のアルバムはリリースはされたものの
ただ“発売した”という既成事実だけは作り、
まったくバックアップしなかったという。
パイオニアサイドとしては国内で売れればそれでいい、という
計算があったようである。





それに怒った彼は、
その後の数年をアメリカのワーナー・ブラザースの幹部と直々にコネクションを築きあげていき、
最終的に、
有力プロデューサーの紹介、
正規のルートでのアルバム発売、
ならびにプロモ制作など社を挙げてのバックアップ
などの約束を取り付けたようである。





そして内密にことを運び、
プロデューサーとして
映画音楽などで有名なジェームス・ニュートン・ハワードを迎え、
当時売れていたバンド、Mr.ミスターからの提供曲、
『Something Real』と、
この『Flash In Japan』をレコーディングした。





当時、この『Flash In Japan』というタイトルを耳にした時、
矢沢はピンと来なかったらしい。
「ヤザワは、ブルース・スプリングスティーン(当時アメリカを代表するシンガーで、
メッセージの強い曲を歌っていた)のようなイメージがある。
ならば、日本からやってきたシンガーが原爆の歌をうたってはどうか?という意見が出た」
とスタッフから説明されたという。
これを運命だと感じた矢沢は
「じつは父親が軽度の被爆者である」とそのスタッフたちに語った。






日本人が原爆の歌を世界に向けて唄う・・・






あまりにもセンセーショナルな内容に矢沢も乗り気になった。
プロモーションも
あの広島の原爆ドームで撮影するというものだった。


MTVで数々のアーティストの撮影をするトップクルーたちも
ヤザワを撮影しに日本に来日し、撮影を行った。
この流れを後押しするように、
原爆ドーム内の立ち入り、そして撮影は許されていないのだが、
その平和というメッセージ性の強い曲であることに、
今回は撮影を許可するというのだ。











『Flash In Japan』

No war is over
'Till someone gives in・・・






当時、アメリカ国内だけのセールスを見てみたい、と
矢沢は日本盤の発売を行うことをやめた。












準備は整った。
いままでとは違う、
自分の力で手に入れたチャンス。
アメリカのマーケットで勝負するために
コネクションを築き、
そして強力なバックアップを手に入れた。





















しかし。
















時代が早すぎたのか?


















突然、ワーナーの宣伝部門ら上層部が難色を示してきた。
「このアルバムは本当に売れるのか?」
「無名の日本人にこんだけの売出しをかけて平気か?」
「売れた場合、彼は永住権を取れるのか?」
などなど・・・。





つまらない理由で言いがかりをつけてきたという。





そして、
当初4月の下旬発売の予定だった日程を、
無期延期させられた。





プロモーションビデオも制作し、
セールスの態勢も整い、
あとはシングル、アルバムのリリース。
そして、
MTVでプロモをヘビー・ローテーションで流すのみ。
しかし、
それが白紙となったのだ。





おかしな話である。
アメリカは
企画さえしっかりしていればたとえ経営したことがない個人であっても
銀行がお金を貸してくれるお国柄である。
つまり、
実現できるできないに関わらず可能性があるものならばなんでもウエルカムなのである。

被爆二世のジャパニーズが
アメリカで原爆の歌を唄う。
こんな衝撃をアメリカが何も感じないはずがない。






これは私見であるが
アメリカが一番触れてほしくないところは、
「核の威力を人間で試したことがある唯一の国」というところである。
戦勝国は必ず自分の国がやったことを正当化するものだ。
勝てば官軍、である。
90年半ばにNYで開催しようとしていた原爆展を
勝手な行政命令で中止にしたほどである。
反戦ならともかく、原爆使用に触れることはタブーの国なのである。







あの反戦、そしてラブ&ピースを掲げていたジョン・レノンを
FBIのブラックリストでマークし、
行動を監視していた国である。
原爆の歌を唄う日本人に注意を払った(ワーナーに圧力をかけて発売を邪魔した)としても
おかしくはないと思う。



また4月にはプリンスのようなビッグアーティストもリリースされるにあたり、
余計な話題づくりをワーナー側が仕掛けては迷惑である、ということも
少なからずあったかもしれない。








この不可解な発売延期は、
結局、6月にポッとリリースされてしまい、
それで終わり。
バックアップは無いに等しかった。
事実上、4月の発売にむけて組んでいた宣伝のスケジュールも白紙になってしまった関係で、
宣伝費がパーになってしまったと思われる。







結局、5万枚しか売れなかったという。




















当時、矢沢だからダメだった、と酷評されたりもした。
しかし、
私はこのアルバムの件だけは違うと断言できる。






矢沢のアルバムの成功を考えると、
『Flash In Japan』の曲制作はやめて、
『Something Real』だけをシングル発売すれば、
もっとセールスできたのではないか?
と思ったりもしたが、
しかし、
「やっぱり、もう、こういうのはやめたほうがいいと思う。だってあそこ(原爆ドーム)は、
戦争の“お墓”だからさ」
と本人がプロモーション製作時に語ってたように、
セールスに結びつかなかったことが逆に良かったのかもしれない。
原爆という重い話を
メッセージを発信する、とはいえ商業ベースに乗せて、
アメリカ人の金儲けに使われることこそが、
ひどい話であるからだ。









アメリカ国内だけで発売されたため、
むこうでは当然廃盤になっており、
長い間、幻のアルバムとなっていた。
しかし、
'99年の12月にやっと日本盤として発売された。







彼が“反戦”というメッセージソングを唄っていることは意外と知られていないが、
矢沢の声にぴったりとハマッた
アコースティックギターが心に突き刺さる歌である。
とてもいい歌なので
この時期、
興味を持たれた方は一度聴いてほしい曲である。


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dicky☆
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