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天皇と皇子の敬称
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飛鳥・奈良時代から律令制度が整い、文字表記において人の身分に応じた敬称の表記が定まってきました。その一例が有名な人の死の表記で、三位以上が「薨」、五位以上が「卒」、それ以下が「死」の漢字表記を使い分けるとする律令での規定です。
私は、敬称で身分を明らかにする、この規定が万葉集の歌にも影響を及ぼしていると思っています。そこで、万葉集の歌について対象者(天皇や皇子)、歌が詠われた時の生没、歌での敬称、万葉集の歌番号について調べてみました。それが、次のリストです。
万葉集での各天皇及び重要な皇子の呼称
人物 時期 表記 歌番号
舒明天皇 生前 八隅知之 我大王乃 朝庭 集歌3
生前 遠神 吾大王乃 行幸能 集歌5
中大兄 生前 中大兄 (特殊例 標での表記) 集歌13
天智天皇 死没 大王乃 御寿者長久 集歌147
死没 八隅知之 吾期大王 大御船 集歌152
死没 八隅知之 和期大王 恐也 集歌155
天武天皇 死没 八隅知之 吾大王 暮去者 集歌159
死没 八隅知之 吾大王 高照 日之皇子 集歌162
死没 高照 日之御子 集歌162
死没 神下 座奉之 高照 日之皇子波 集歌167
死没 神随 太布座而 天皇之 敷座國等 集歌167
持統天皇 生前 八隅知之 吾大王之 所聞食 集歌36
生前 安見知之 吾大王 神長柄 神佐備世須登 集歌38
生前 吾大王 高照 日之皇子 集歌45
生前 八隅知之 吾大王 高照 日乃皇子 集歌50
生前 八隅知之 和期大王 高照 日之皇子 集歌52
生前 皇者 神二四座者 集歌235
生前 八隅知之 吾大王 高輝 日之皇子 集歌261
元明天皇 生前 天皇乃 御命畏美 集歌79
生前 吾大王 物莫御念 集歌77
生前 八隅知之 和期大皇 高照 日之皇子之 集歌3234
重要な皇子の尊称
草壁日並皇子尊 死没 吾王 皇子之命 集歌167
死没 高光 我日皇子 集歌171
死没 高光 吾日皇子乃 集歌173
高市後日並皇子尊 死没 八隅知之 吾大王乃 所聞見為 集歌199
死没 吾大王 皇子之御門乎 集歌199
死没 吾大王乃 萬代跡 集歌199
死没 我王者 高日所知奴 集歌202
忍壁皇子 生前 王 神座者 集歌235別
弓削皇子 死没 安見知之 吾王 高光 日之皇子 集歌204
生前 王者 神西座者 集歌205
長皇子 生前 八隅知之 吾大王 高光 吾日乃皇子乃 集歌239
生前 吾於富吉美可聞 集歌239
生前 我大王者 集歌240
生前 皇者 神尓之坐者 集歌241
石田王 死没 吾大王者 隠久乃 集歌420
死没 君之御門乎 集歌3324
死没 吾思 皇子命者 集歌3324
死没 皇可聞 集歌3325
長屋王 生前 安見知之 吾王乃 敷座在 集歌329
死没 大皇之 命恐 大荒城乃 集歌441
安積皇子 死没 吾王 御子乃命 集歌475
死没 吾王 天所知牟登 集歌476
死没 挂巻毛 文尓恐之 吾王 皇子之命 集歌478
死没 皇子乃御門乃 集歌478
死没 皇子之命乃 集歌479
志貴親王 死没 天皇之 神之御子之 集歌230
このようにリストにしますと、普段の解説にある歴史上の人物と万葉集での重要な人物が違うことに気付かれると思います。有名人ではない石田王は、弓削皇子と紀皇女との間の御子と思われる人物ですが、歴史では闇の中の人物です。次に安積皇子は、聖武天皇の御子で、場合により暗殺されたとする人物です。
最初に、天皇に使われる敬称の表記を見てみますと、原則、「八隅知之 吾大王」や「高照 日之皇子」の敬称を使っています。持統天皇の敬称で大嘗祭の前の「高輝 日之皇子」の敬称表記がありますが、大嘗祭の後では「高照 日之皇子」の敬称です。つまり、「八隅知之 吾大王」や「高照 日之皇子」の敬称があれば、天皇の位にあったと推定できるのではと思っています。
次に皇太子に使われる敬称の表記を見てみます。確実に皇太子であったと確証できるのが草壁皇子尊ですから、彼の敬称を見てみます。その敬称は「吾王 皇子之命」と「高光 吾日皇子」ですから、他の人物にこの敬称が使われていた場合、その人物は皇太子に相当する人物と見做せる可能性があります。
私は、飛鳥・奈良時代に役人が高貴な人物について挽歌や寿歌を詠う場合、その高貴な人物の敬称に規定があったと考えますと、統計学のルールに拠らずに参照にするサンプル数が少なくても、横への類推の展開が可能と考えます。つまり、身分制度を基準とした律令政治において、その身分を表す敬称に一定のルールがあるとするならば、特定のサンプルで類推の展開は可能とする立場です。
万葉集から見た皇太子の系譜
草壁皇子 − 高市皇子 − 石田王 − 安積皇子
万葉集から見た太政大臣の系譜
高市皇子 − 弓削皇子 − 長皇子 − 長屋王
この皇子たちの内、人麻呂が関係するのは、草壁皇子、高市皇子、弓削皇子、石田王、長皇子です。そして、大伴旅人が関係すると思われるのが、長屋王と安積皇子です。なお、高市皇子の敬称「吾大王 皇子之御門乎」は天皇と皇太子の中間のようなものですから、非常に微妙な敬称です。
敬称から類推すると、大嘗祭を竟えた天皇は御威光で天上まで世界を照らすますが、大嘗祭を迎える天皇は御威光で自身が眩いほどに輝くだけのようです。そして、日の皇子は御威光で自身が光るだけのようで、周囲を明るくするまでにはいかないようです。
遊びの連想ゲーム
赫奕姫 光り輝く皇女(ひめみこ) 舞ひを披露する皇太子の皇女 阿倍内親王
赫 輝き明らかなさま
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赫奕 光り輝くさま
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