女学校卒業旅行(列車、自動車、バス)
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昭和12年女学校の卒業旅行で箱根ー東京ー日光ー長野ー金沢と旅行した時の写真です。 「 第一夜 車中 あけがた 」 00134 客車は明治43年基本型のホハ12000形3等客車です。明治39〜40年に全国の私鉄が多数国有化され、雑多な客車が集まったので同43年に標準型の客車が制定され、大正6年まで量産されました。車長17m、車幅2.6m、「中型」と称されるサイズでした。写真の車両は天井にアバラ骨がむき出しになっている明治43〜45年製造の初期型で、車内灯は透明ガラスの電球。天井の明かり窓は通風を兼ねており、二重屋根の段の部分に並んでいました。通常は車掌が棒を使って開閉しましたが、トンネルでは煤煙が入るので次第に閉め放しにするようになりました。大正8年から「大型」と呼ばれるナハ22000形(車長は同じ、車幅が2.8mに広がる)にモデルチェンジします。女学生達が乗ったこの客車は昭和12年当時でも古典的なものでしたが、昭和20年代末まで各地に生き残って、東京近郊では八高線、五日市線に健在でした。「便所」「洗面所」「湯」「水」などの文字が明治調の達筆で記されていたのを憶えています。 この客車の外観は「梅田駅ホーム」 http://blogs.yahoo.co.jp/dokidoki_puck/14227187.html に出ています、ぜひご覧ください。これが明治末〜大正中期に量産された木造の「中型」客車です。 「 箱根底倉宿舎前 」 00131 バスのほうも調べてみました。現・箱根登山バス(箱根登山鉄道のバス部門を分社化)の前身の1つである富士屋自動車のバスだと判明しました。同社は富士屋ホテルが経営していた近代的なバス会社で、後に富士箱根自動車と改称し、昭和19年に箱根登山に吸収されました。後姿なので詳細は不明ですが、むろんボンネットのガソリン車。エンジンは米国のホワイト、車体は日本製、昭和3年頃の製造と思われます。色は銀色/青帯です。昭和12年頃には美しい曲線を描いたバスが主流になっていましたが、このような1920年代を偲ばせる米国タイプのバスも活躍していました。優雅だったフロントの写真も現れてほしいですね。 うっかり「富士屋自動車」と記しましたが、正式には「富士屋自働車」です。明治期の表記ですが、昭和初期まで自働車と記す人や印刷物も多く、作家の永井荷風は戦後もなお作品に「自働車」と記していました。 「 箱根底倉梅屋旅館前 」 00128
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木炭バスでしょうか?豪華な修学旅行ですね^^当時としては!
2006/3/16(木) 午前 6:52 [ xixi_cohtunn_ixix ]
聞きなれない旅館名だったので調べてみましたが、「梅屋旅館」現在はありませんねぇ…底倉に旅館登録されているのは一軒だけでした。廃業されたのか?、現代風な名前に改名されたのか?
2006/3/16(木) 午前 8:17
女学生の服装から見て、もしかしたらお嬢様学校なのかもしれませんね。
2006/3/16(木) 午前 8:25 [ べーさん ]
こたんさん、木炭バスは車の後部にガス発生用の木炭釜が出っ張っているのではないでしょうか?時期ももっと後の戦時中では?
2006/3/16(木) 午前 8:34
どついたれさん、お調べいただきありがとうございます。現在ある梅屋ホテルは場所が違うのでしょうね?
2006/3/16(木) 午前 8:35
べーさん、明治末期より女子の就学率もだんだん高まりこの頃は女学生も多かったようですけど、その中でもお嬢様学校かもしれませんね。学校名の記載が見当たりません。
2006/3/16(木) 午前 8:39
私の生まれた年です。小・中学校の時代も風景・服装・乗物など、ほとんど変わっていません。とても懐かしいです。
2006/3/16(木) 午後 9:09 [ ariyja ]
ariyiaさん、戦争に突入しなければいい時代でしたね!
2006/3/16(木) 午後 9:46
客車は明治43年基本型のホハ12000形3等客車です。明治39〜40年に全国の私鉄が多数国有化され、雑多な客車が集まったので同43年に標準型の客車が制定され、大正6年まで量産されました。車長17m、車幅2.6m、「中型」と称されるサイズでした。写真の車両は天井にアバラ骨がむき出しになっている明治43〜45年製造の初期型で、車内灯は透明ガラスの電球。天井の明かり窓は通風を兼ねており、二重屋根の段の部分に並んでいました。通常は車掌が棒を使って開閉しましたが、トンネルでは煤煙が入るので次第に閉め放しにするようになりました。大正8年から「大型」と呼ばれるナハ22000形(車長は同じ、車幅が2.8mに広がる)にモデルチェンジします。女学生達が乗ったこの客車は昭和12年当時でも古典的なものでしたが、昭和20年代末まで各地に生き残って、東京近郊では八高線、五日市線に健在でした。「便所」「洗面所」「湯」「水」などの文字が明治調の達筆で記されていたのを憶えています。
2007/7/31(火) 午前 8:13 [ 小金井橋 ]
小金井橋さん、情報ご提供ありがとうございます。写真は銀化が進行していて状態が悪く不鮮明ですがご容赦下さい。
2007/7/31(火) 午前 10:18
バスのほうも調べてみました。現・箱根登山バス(箱根登山鉄道のバス部門を分社化)の前身の1つである富士屋自動車のバスだと判明しました。同社は富士屋ホテルが経営していた近代的なバス会社で、後に富士箱根自動車と改称し、昭和19年に箱根登山に吸収されました。後姿なので詳細は不明ですが、むろんボンネットのガソリン車。エンジンは米国のホワイト、車体は日本製、昭和3年頃の製造と思われます。色は銀色/青帯です。昭和12年頃には美しい曲線を描いたバスが主流になっていましたが、このような1920年代を偲ばせる米国タイプのバスも活躍していました。優雅だったフロントの写真も現れてほしいですね。
2007/7/31(火) 午前 11:54 [ 小金井橋 ]
箱根のバスの件、追記。うっかり「富士屋自動車」と記しましたが、正式には「富士屋自働車」です。明治期の表記ですが、昭和初期まで自働車と記す人や印刷物も多く、作家の永井荷風は戦後もなお作品に「自働車」と記していました。
2007/7/31(火) 午後 4:22 [ 小金井橋 ]
小金井橋さん、バス情報のご提供ありがとうございます。バスのフロント写真は当方にはありません、残念ながら。
2007/7/31(火) 午後 11:14
卒業旅行で乗った客車の外観は「梅田駅ホーム」http://blogs.yahoo.co.jp/dokidoki_puck/14227187.htmlに出ていますので、ぜひご覧ください。これが明治末〜大正中期に量産された木造の「中型」客車です。
2007/8/1(水) 午前 9:29 [ 小金井橋 ]
小金井橋さん、同じ型式の車内と外観ですね、ありがとうございます。
2007/8/1(水) 午後 8:16
小金井橋さん、3年も前のコメントを読んでの投稿です。箱根ホテルについて調べていて、ホテルの沿革の一覧に「冨士屋ホテルの乗り合い自動車」という記事に米国製ホワイトという大型自動車購入とあり、小さい写真ですが格調高いフロント部分が写った写真がございました。赤く塗ったため「冨士屋の弁当箱」と呼ばれて親しまれた。と書かれています。すでに写真を見たことがあるかもしれませんがよろしければ冨士屋ホテルチェーンで検索して「ホテルヒストリー」をクリックしてください。
2010/6/20(日) 午前 4:02 [ グズグズ ]
ご指摘ありがとうございます。富士屋ホテル系の富士屋自働車のバスは開業後しばらくして銀色/青帯の塗装になりました。このページのバスもその塗り分けです。この塗り分けは非常に新鮮だったので他社に影響を与え、各地に「銀バス」が登場しています。中でも人脈のつながりがあった日光自動車では富士屋と全く同じ塗装、富士屋とそっくり?の社紋を採用していました。本倶楽部の「日光駅」で検索すると見ることができます。
2010/6/20(日) 午前 7:25 [ 小金井橋 ]